≪ 本日のまさやん ≫




2006年6月11日(日)☆開幕☆FIFAワールドカップ

海の向こうドイツでは、サッカーのワールドカップが始まっています。連日、注目チームが 出場するので、サッカー好きなまさやんも目を擦りながら夜中の放送を見ています。なんといっても 注目は日本代表がどれだけできるか?通用するのか?特に前回のホスト国とは違い、本当の意味での 実力が問われる大会になりそうです。あと見ていて面白いなぁ、と思えるのが、普段、あまり 気にしていない国(といったら失礼なんだけど)。これはオリンピックのときもそうなんだけど、 どこにある国かもわからない国。例えば「トリニダード・ドバコ」どこよ?この国?って。 調べてみたけど、なかなか検索にもひっかからない。ようやく南米大陸のちょっと上。 エリア的には中米になるのか?でもこのチームなかなか面白い。スウェーデンと対戦したのだが、 途中反則退場者が一人出て、10人で戦ったのにも関わらず北欧の強豪スウェーデンの猛攻をしのぎ、 引き分けで勝ち点ゲット☆白星に値する引き分けでした〜。なんか一回では名前を覚えられない この国。次も期待できそう☆日本代表もがんばれ!あ、アメリカ合衆国は出ているのかな?


2006年5月29日(月) 渡米から3年・帰国して2年2ヶ月

 久しぶりにイサカのホームページを更新した。冬のR13の景色を夏版に戻した。懐かしかった。 イサカに渡ったのはちょうど今から3年前の6月1日。ちょうどバタバタしていた時期だった。 不安と期待でいっぱいだったあの頃。いま自分は果たして成長したのだろうか? もしかしたら自分と同じ身分で在外研究員としてコーネルに赴任される方がいるかも知れない。 最初の不安をやわらげてくれたのは「イサカインフォ」。このサイトには本当にお世話になった。 できる限りイサカ生活を開始する日本人の方への情報提供ができれば、、、と思う(最新情報は持ち合わせていませんが)。





12月28日(火)イサカから帰国して9ヶ月


 帰国して9ヶ月経過した。この日記も帰国してからはバタバタしていてぜんぜん更新していなかった。日本とアメリカの  違いをまざまざと感じた9ヶ月でもあった。いろいろと書きたいことはいっぱいある。この冬休みの間に書くことができればと  思う。川崎先生のお家ではまた忘年会&新年会が開催されている頃だろうか?なにか日本から日本らしい物でも。。。とも  思ったのが、年明けになりそうだ。。。待っててくださいねぇ。今日は職場の忘年会!飲みすぎないようにしないと・・・。


3月29日(日)Thank you! Ithaca! We love Ithaca!


 とうとう出発の朝を迎えた。前日というか日が変わって2時過ぎに帰宅。その後ふらふらになりながらけんさんと 一緒に最後の荷造りをした。途中で出発の便を延ばそうか?と何度も誘惑に負けそうになったが、そこは女性のパワー ってやつか?けんさんは気合で荷造りをしていた。一瞬、寝そうになったがなんとか完了。ほとんど最後はバタバタだった。 飛行機は朝9時過ぎの便。アパートに別れを告げ、上に住むAndyに挨拶をし損なったので、置手紙をして出発した。 飛行場に着くと、川崎先生の姿が・・・。そしてレンタカーのバックミラーをみると梁取さんご夫婦、遥くんまで。 レンタカーを返したときには、川崎先生邸にいつも集っていたコーネル日本人バレーボール部の面々がずらーーーと。 吉田さん・朝子さん、シングル組の斉藤さん・木谷さんも、2人ともシングルだけあって寝癖(?)も少し残しながら、 目をこすりながら来てくれた。そしてけんさんのBOCESの友人・プラシット、チャンヤ・そしてツーシンまで来てくれた。 みんな申し合わせてくれて集まってくれたかと思うとグーーときてしまった。実はバタバタしていてほとんど話をできずに 飛行機に飛び乗った感じである。飛行機に搭乗後、イサカの上空を眺めていた。けんさんと2人で、コーネル・イサカ全体、 Candlewyckが見えたときは思わず涙してしまった。けんさんも大泣き。USエアウェイズのスッチィも大泣きしている自分たちを 見て不思議そうにしていたけど、すぐに状況を察してくれたようだ。この10ヶ月本当にいろいろなヒトに支えられて ここまで来た。ここには自分たちが一生懸命生活した思い(重い)がある。一生の中でも絶対忘れない日々になるだろう。 日記には登場してない沢山のヒトたち、本当にありがとうみんな、ありがとうイサカ。GaryとMeganは今ごろ 爆睡中だろうなぁ・・・See you later!


3月28日(土)イサカ最後の夜


 今日はMeganとGarrettと一緒にイサカのBARの老舗Chapter's Houseに行って飲みを入れた。  Garyは仕事(Zaza'sのシェフ)が 終わってからの合流ということで一足先にMegan,けんさんと一緒に3人でBeerを飲みに行くことにした。車も売れて、 引越しも片付いて・・・で後は飲むだけ・・・という状態を想定していたのだが、結局、少し荷造り(実際に飛行機 で持って帰るもの)が残ってしまったままでの外出になってしまった。もうフライパンも何も家に残っていなかったから、 最後に飲みにでる、というのは我ながら名案かと思ったが結構シンドイ思いを後ですることになる。でも楽しまなくちゃ、 の合言葉にけんさんとCandlewyckのアパートを出た。まずいっぱい目、シラキュースのBeerというのを注文した。 銘柄は忘れてしまったが、かなり甘い感じがしたのを覚えている。2杯目、3杯目とのんでいった。Meganは今週から EastHillのHSBCでの仕事がスタートしていたので、彼女の就職祝いを兼ねてもいた。アメリカのバーは一杯ごとに お金を払っていくのだが、グループで飲む場合は、最初誰かが全員の分を払い、次に違う誰か・・・という具合に 効率よく支払いを済ませていくという感じである。イサカ最後の夜にして、このような雰囲気で飲むのはけんさんも 自分も初めてなので妙に興奮してしまった。23時過ぎ、Garyも合流して飲みに入った。バンドの生演奏も入り結構 クライマックスに。。。そろそろ引き上げる?と思ったときに、Garyが「ピザを食べに行こう!」というので お腹も少し空いていたので賛成ということでダウンタウンへ。時間は既に1時過ぎ。でもピザ屋の前は大渋滞。若者で ごった返していたのである。これがイサカの週末なんだな?スプリングブレイク中でもここには学生が集まるのか? という感じであった。一番驚いたのが、女の子4人組が男の子4人組に「遊びにいかない?」と逆ナンパをしていた 光景である。アメリカさすが、ビバリーヒルズ青春白書のようだった。笑 でももっとビックリしたのがGaryである。 ダウンタウンにはピザ屋が2軒あるのだが、1軒目ででかいピザを食べた後、もう一軒行こう!というのである。 横にいるMeganが「Good idea!」とか言っている。日本で言うところの「もう一杯!」なんだろうけど、こいつら よく食うなぁ〜と本当に思った。これも最後だ、と思いお腹に既にピザが満載されていそうなけんさんの腕を引っ張り 2軒目に。さらにでかいピザをGaryもMeganもオーダーしていた。2軒目の方が美味しかった気がする。お腹がいっぱいな 状態で食べても2軒目が美味しいということは2軒目の方が確実にうまいのだろう。2軒目はコモンズの中にある。 1軒目はコモンズの中ではなく通りに面したところにある。店の名前は忘れてしまった。通りとはイサカカレッジに行く 道である。ピザを食べて、いよいよ最後ということになった。それぞれ2人から「日本に戻ってからもこれからも 手紙なりメールなり頂戴。いつか遊びに行くから・・・」といわれ、抱き合い少し涙も出てきそうになったが、 その夜は終始笑い放しだったのでなんだかここちよい別れだった。まさにSee you laterだった。また会えるだろう、本当に そう思えるカップルである。もし2人が結婚したら結婚式に呼べといって別れた。明朝はいよいよイサカを発つ。


3月26日(木)ジャネット&ギャビー


 けんさんがかつて一番最初にお世話になったBOCESのクラス(レベル3ということらしい)の先生やクラスメートに 会いに、教室のあるダウンタウンの教会に一緒に足を運んだ。けんさんは昨日寝ないで小さい鶴を熱心に作っていた が、彼らにお礼の印として配っていた。そのためだと後で知ってなんかいい贈り物をしたな、と心が温かくなれた。 日ごろから話を聞いていたが、彼女がお世話になった先生Mary(チャップマン)と初めてお話をすることができた。 年配の女性だがとても声が綺麗なヒトだと思った。温かい相手のことを包み込むような話し方をする女性だった。 もちろん英語もとても聞き取りやすく話しやすくて、これが先生なんだと思った。自分がお世話になったジョンとは またタイプの違う先生だった。けんさんが教室に入るといきなり泣き出し、写真をみんなで撮って楽しんでしまった。 でも後々よく考えたら、とても雰囲気の良いクラスだと思った。数多くの日本人は一番最初にレベル3から始まるということ があまり無いらしく、けんさんは日本から来た数少ない生徒だったようである。多くは中国・韓国・中南米のヒトが占めている ようだったのだが、先生のMaryを含めてかなり「興味深い」日本人だったようである。それが彼らのけんさんに対して 話している光景を見ていて本当にそのように感じた。何人かの生徒も感激して泣いていたのである。温かいクラスだと 思った。英語をうまく話せないレベルからスタートするので、なにもかもを共有しているような雰囲気なのである。 きっと先生のMaryがとてもスキルのあるヒトなのだと思った。でも同じBOCESでもこんなにも違うのか?(決して夜の部が 悪いというわけではないが)と思った。

昼過ぎ、引越し作業の合間にけんさんのクラスメートのジャネットの家に行った。最近バタバタしていて 年が明けてからはまったく訪問できずじまいだった。そして彼女の娘ギャビーも待っていてくれた。やはり彼女たちもなんだか さびしそう。ギャビーは平静を装っていたようだった。ドミノ(マージャンのようなゲーム)をしたい!とせがまれたが 時間がなかったので、今度日本でやろう!といって悲しいけど別れた。でも彼ら、さすがラテン系。これは別れではない、 という。また会うんだから。See you laterだと。それを聞いてから帰りの車の中でなんだか涙してしまった。 ありがとう、ジャネット&ギャビー。

 

3月25日(水)Erikoさん大悟君&アランさん


 定期的に訪ねてこのページにきてくれるヒトはもうお気づきかと思いますが、この日記かなり後から更新しています。 (そう既に帰国しています。だから思い出して書いているのですが具体的に日時を忘れてしまっていることもあります) イサカに来ていろいろなヒトに知り合ったが、お世話になったヒトといえばこのヒトたち。エリコさんアランさんご夫妻である。 ウェストヒルにあるイサカエコビレッジに御住まいのご夫婦で、エリコさんは作家。アランさんはイラストレーター、アーティスト まぁ何でもやります、という感じの夫婦である。基本的にcreativeな仕事をしている方たちなので、やはり気持ちもおおらか。 切羽詰った中にもアートやcreativityはあるのかもしれないけど、気持ちに余裕が無いときは、手は動かないと思う。 手を動かす原動力が仮に余裕が無いときの思い出だとしても(これはまさやんの意見)だから、彼らは私たち夫婦にとても 優しくしてくれるのである。ちょうどコーネル大学がスプリングブレイク中で、エンジニアリングに通う大悟君が手料理を 作ってくれるというので、引越し作業の気晴らしにお邪魔した。今回で最後になるかも知れない、という訪問であったが、 彼らの家はいつもと変わらず迎えてくれた。美味しい料理の数々、ワインを堪能したらあっという間に11時を回っていた。 エリコさんから著書、アランさんから最新の作品(音楽CD)をいただいた。そしてそれぞれにサインまでしてもらい。。 涙が出そうなくらい嬉しかったし、短い時間、そして決してたくさんの時間を過ごしたというわけでもないのに温かくしてくれた ことに感謝している。心の温かさは日本という国を超えて、この田舎町イサカでも感じている。ここで出会う日本人のヒトは とても数少ないのでなんだか寂しい思いをすることも多いのだが、彼らのようにたくましく生きているの感じるとこちらも 勇気が出てくるのである。また会う機会をどこかで設けたい。またどこかで。いつか。

 

3月24日(水)交渉ごとPart2


   昨日リクエストされた整備工場に愛車を入れて、検査結果を待つことに・・・およそ1時間弱。工場は彼女の指定で Bill Cooke'sの工場。いやぁホンダ車だからホンダといわれるかな?と思ったのだが、彼女も(というか周りの友人か?) よく知っているようで。ホンダにされたら月曜日に決裂したばかりの店にノコノコいく羽目になるのでなんとしてもそれは 避けたかった。Bill Cookeに着いて車を預けていると、なんと"Hi Masa!!"とネクタイをしめたBradが。彼に月曜日にHondaの Bradとの知り合いとの間であった話を正直に打ち明けた。するとBradは仕方ない。Masaは悪くない。お前は頑張っているぞ! have a nice trip to Japan!と最後は抱き合って別れた。いやぁこれで帳消しになった。言葉にハンディがあるが、生きていくには そんなこともある。とぜんぶ認めてくれたことが嬉しかった。ところで検査結果だがいたって普通のもの。10年経過した車 の割りに良いほうだと言われた。ただ少しオイルが漏れている(ほとんど微量だが)。といわれた。パキスタン人の彼女は かなりしっかりもので、併行して電話を入れていたらしく検査結果を検査スタッフに聞いていたようだった。だから 金を彼女は払うといったのである。いやぁしっかりモノだわ。で、何も問題もなく交渉成立かと思い、待ち合わせ場所へ。 そしたら彼女、オイル漏れしているところを完璧に調査して必要なら修理したい・・・と。いやぁ参った。こちらには時間が ないから後は自分でやって。と言ったのだが、自分も検査をしないで売っているという弱み(?)みたいなものを感じてしまい、 まぁ原因なら今日中にわかるだろうとOkして別のガレージに持ち込んだ。どうも彼女はまわり(友人?)に遠隔で(携帯で) 指示を受けているらしく、一回の話が終わるたびに誰かに連絡をとって、しかも英語ではなく、パキスタンのウンドゥー語(?) で会話をしているのである。前日のタイ語に続きなんだか気分がよくない。結局、Dryden通り沿いにある台湾のヒトがやっている ガレージ(とても良心的なお店で、かつてタイヤ交換と電気の整備をしてもらった)に行った。この店のdemeritはアクセスが 悪いことである。自分の車を預けるとすぐには見てもらえない場合があるので、しばらく預けないといけないのだが、店から ダウンタウンに戻るにもバスが全然ないのである。歩くと40分ぐらい(まさやんのdepartmentの場合)かかる。 もともと車を売却した後はイサカ空港でレンタカーを借りる予定だったので、予定を少し早めてタクシーでまず空港にいき、 そこでレンタカーをかりて、それでまたガレージに戻り、ガレージでパキスタンの彼女にお金をもらってアコードを引き渡し。 という流れにした。その間、いろいろお世話になったヒトにあいさつ回りに。ひとつは、学科の事務員の方々。とてもお世話に なった人たちである。そして渡米から約3週間、居候させていただいたTadさん一家。ただTadさんは忙しいようで不在だった。 数時間後またガレージにアコードのオイル漏れの結果を聞きに戻ると、なんとガレージにTadさんとヴァレリヤさんとJuliaちゃんが。実は時間を見て帰国前に挨拶に行こう!と 何回かダウンタウンのご自宅に寄っていたのだがこれはタイミングが良かった。イサカは狭いがこのタイミングで会うなんて・・ ラッキーだった。「帰国する」というとTadさんもヴァレリヤさんもびっくり。少し話してガレージで彼らともお別れした。 その後肝腎の結果。オーナーであり整備を担当してくれた方に言わせるとBill Cookと一緒で 10年経過した車としてはノーマルな状態だと前置きした上で、全部完璧に治すことはできないが、部品を交換するなら、 これとこれ・・・と言って見積もりを出してくれた。その合計額1000ドル程度。でもこれをしても古い車は完璧にならないから。 このまま乗りつぶしても全然問題ないちう感じだった。まさやんも同感。だが肝腎の彼女はそこに漬け込んで1000ドル引け。と 言ってきたのである。そして鳴り捲る携帯。彼女のオリジナルの意見というよりは裏で誰かが彼女を操っているようにしか 思えなかった。でもここは大人にならなければ。冷静に冷静に。ということで。「これは非常にノーマルな状態だ」と 2つのガレージで言われたことを引き合いにだし、彼女はいくらかまけてほしいのだ、という気持ちを察して、2件目までのガレージの 検査代と空港までのタクシー代(彼女が出してくれていたというか、すべて彼女のリクエストでやっていたことなので)合わせて 100ドル程度を自分が出すといった。そうするとあっさりOK.なんだか1000ドルまけろ!というのはなんだったか?と思う 手のひらの返しようだったが、まさやんには時間がなかったのでこれで良しとした。そして愛車アコードは彼女へ。いろいろ お世話になった車だが最後は恨みっこなしの状態でお渡しできた。女性だからきっと大事にしてくれるだろう・・・NYのナンバーを 外していたらなんだか泣けてしまった。いやぁ、こいつには色々短い間だけど本当に世話になった。最後はスピード違反で お巡りさんにも捕まったし。愛車アコードよ、Good luck!そしてさよなら。

 ちなみにIthaca Journalに出した広告の効果だが、絶大だった。理由は日本車ホンダアコードで10年ものでも値段が破格だったから だろう。出た当日に電話が4本。次の日に3本、その翌日に2本あった。ISSOの掲示板から問い合わせがそれ以上だったので、 全体の問い合わせは30件近くに相当した。1人目のタイ人は知り合い、2人目のパキスタン人はISSOからの問い合わせで 最終的には彼女で決定した。それなりに時間をかければIthaca Journalも効果があると思う。学生以外との取引を望む場合は 新聞広告が良いのかも知れない。以上、参考情報まで。


3月23日(火)交渉ごと


 さて新聞広告の効果なのだが、それを感じる前にISSOのボードに載せた内容についての問い合わせがバンバンにきた。 以前、載せたときよりも値段を少し下げたのだが、学生にも2000〜2500ドルというのはなかなか魅力的な価格なのだろうと思った。 朝刊を見る前にメールに10通以上の問い合わせが。けんさんのBOCESの知り合いのタイ人プラシットの友人が興味を持っているとのことで、 その彼を優先して午前中会うことに。Toriphammer Mallのワイン屋の前が彼の指定の待ち合わせ場所。行ってみると、 彼の友人でやはりタイから来ている若い(ちょっとリッチそうな)学生と一緒に来ていた。 やはり単独では来ないんだなぁなんて妙に感心して話をした。するとお客さんの彼は車の運転免許を持っていなく、 彼の奥様がもっているとのこと。一緒にいる学生のタイ人が試運転をするのでそれで確かめたいと。。車については だいぶ気に入ってくれているようだ。彼らはタイ語で暗号を話すようにあーでもないこーでもない、とやっている。 横で聞いていて何もわからないのだが、気分は正直言ってあまり良くない。日本人同士で車を見定めるような機会も あると思うが、相手のアメリカ人なり日本人でない場合であればそれは気持ちよくないんだろうな?と思った。 どうもお客さんの方は神経質な感じの人で一緒にいる学生が「それは気にしないでいいことですよ!」なんて 言っているようだった。ひとつだけ「マイペンライ(気にするな)」というタイ語を知っていて、それを何回か 学生の彼からお客さんに話していたからだ。実際自分が買うわけではないので気が楽だということもあるが、 学生の彼の方がわりと周りに気が利くタイプのようである。そして彼の方が英語が聞き取りやすくて、話をしているとなんとアメリカ在住 8年目でミシガン大学の学部にいたという。彼の車もVWのけっこう新しい車で、「もしかしてタイの貴族か王様の息子?」なんて 思ったりしていたのだが、肝腎のお客さんの方はいかんともし難い顔を終始していて、時間のないまさやんにとっては 即決してほしいぐらいだった。だが、肝腎の運転免許の話をすると奥様は運転に消極的だから、自分が取るまで待っててくれ、 というではないか?もう日本に帰国しなくてはならないまさやんはそれは駄目と断った。すると今度はミシガンの彼の車に 一時的にしてその後俺が彼から買うというようにしたい。。。といわれた。なんだかヤヤコシイ話だな、と直感で思い、 一応ペンディングにして、次の予約の人に会う約束があると言って別れた。いやぁ大変だ。個人売買は、って感じ。

   午後、タイ人の次に約束して会ったのがパキスタンから来ている政治学専攻の女子大学院生だった。 最初インドのヒトかと思ってインドか?って聞いたら、「パキスタンだ!」と強く否定されて参った。いやぁ聞き方が悪かったなと反省したけど、日本人からみると パキスタン人とインド人の違いなんてわからないよ。ところで肝腎の交渉のほう。彼女は単独できたのだが割りとしっかりさんで こちらの事情を察知するとすぐに納得して言い値で買ってくれるということに。ただひとつだけ注文がついた。翌日の朝、 車の基本的な点検をしてから異常なかったら買う、ということだった。しかもその点検代は彼女が持つから、というのである。 まさやん、ちょっと面倒くさいと思ったがそれが済めば問題ないと思ってあっさりOKしたのだが、これがしんどい思いを する序曲だったとは後になるまでわからなかったのだ。夜、午前中に面会したタイ人と電話で「お客さんが決まった」と 告げた。彼のショックの様はとてもすごいもので、なんだか肉親が死んでしまったかのような声を出していた。いやぁ悪いことを したなぁ。と思ったのだが、まさやんも時間がないので+面倒なことをしたくないので+何か問題がお互いの間で起こったら 国費留学している互いの身分として問題が大きい(彼もタイ国代表できている研究員)と30分以上話しをしてようやく収まった。 最後の「国代表で来ているんだから、お互いに問題を起こしたくない・・・」という最後の言葉が決定的だったのかな。彼のプライドに 迫って納得させた格好になった。「自分には時間がない」まさにこれだけである。国によってヒトの考えかたがまったく違う。合わせて いたら大変だが、相手の気持ちになって考える。 でも自分の考えているようにできるだけ近い形でもっていくこれが大事なのだと。 でも翌日が大変だったのである。まさやんはこの逆になってしまった?(この日記は後日書いています)。


3月22日(月)引越し大童


 ムービングセールの方も好調でほとんどモノを購入いただいた。この場を借りて買っていただいた方に感謝。 とまぁかなりの勢いで買って頂いているのだが、あとは車を残すのみ。 ちなみにホンダのディーラーにBrad(チームメイトでBill Cooke's勤務)に紹介されて 車の値段を本日聞きにいったところ1000ドルということ。ほとんど見もしないで1000ドル。 日本だったら「ありがたい!」と思ってすぐに取引に。ということになったのだろうが、 アメリカに10ヶ月も住むともうアメリカナイズされているまさやんだった。 なんだか足元を見られているようでとても頭にきた、という話。まぁ そりゃそうだよなぁ。と妙に後から納得もしたが。 「ふぁざけんなよ、こら」と汚い言葉まで(ホッケーで覚えた)出してしまった。むこうも強気で 「顔洗って出直して来い」みたいなことをいっていたような。最後はもう喧嘩だった。Bradに謝らなければ。 自分もかなり幼いと思った。まぁそんなことで交渉決裂したので、どうしよう?と 思い悩んだあげく、ボロ呼ばわりされた愛車アコードとともに、ダウンタウンにあるIthaca Journalのヘッドオフィス( というかここだけですよね?)に足は向かっていた。最初から目指していたというか、どちらかというと「 さぁどうしよう!」と朦朧としながら走っていて(クールダウンをしていたと思う)、自然に信号待ちをして、 横を向いたら新聞社があったという感じ。Meganが効果があるから載せてみたら?といってくれていた。 道脇に車を止め、中に入るとホンダのディーラーで馬鹿者扱いされたまさやんを優しく包み込んでくれそうな 恰幅のよいおばさんが、何もまだ話してないのに、優しい顔で話しかけてくれた。 そう明日の朝刊から愛車の広告が掲載されることに。 15ドルで1週間載る。新聞社にとってはたかが15ドルでも大事なお客さん。でもHondaの店にとっては 厄介者。まさに自分の立場が180度違うことを改めて感じた。 これはいわゆる3行広告であるが。だいたいのフォーマットは決まっているようだ。まさやんの 車はホンダのアコードなので、HONDA ACCORDときて、その次に年数、マイル数、あとはオプションで付けたいことを。 まさやんの車はbodyが綺麗なのでGood Bodyと付けておいた(少し錆びている箇所があるのだが、それは会って説明 すればよいと。内装はほとんど綺麗なままなので)。さぁどれほどの効果があるのか?やさしい新聞社のおばさんは 「Good luck!」って。先の嫌な思いを帳消しにしてくれるような優しい言葉だった。でも忙しすぎる。みなさん引越しは お早めに。これ大事なこと。


3月21日(日)プラシット&チャンヤ


 けんさんのBOCESのクラスメートにタイからきているプラシットという男性と台湾から来ているチャンヤという女性がいる。 2人とも我々と年齢も近いのでかれらの家族(2人とも既婚)ぐるみのお付き合いをするようになった。というか、この引越し シーズンが佳境になる中で、彼らがかなり我が家の家具なり道具を買ってくれていたのである。プラシットの奥様はコーネルの 農業環境に関するPh.Dの学生、チャンヤの旦那様のツーシンも同じ分野のPh.Dの学生で、彼らは2人ともそれぞれタイ政府、台湾政府 からの給費留学生で来ている。けんさんのクラスメート2人は同伴者ということになるのだが、このプラシットという彼は 典型的なタイ人でとても人懐っこいのである。一度、全家族集合して我が家でpartyをしたのであるが、その日に自分と 初めて顔を合わし話をしたら、もうかなり昔から付き合っている友達。みたいな感じで話すのである。その後は毎日のように 家に彼から電話がかかってきて、ランプは売れたか?車は売れたか?と兄弟のように心配してくれるのである。自分の家に ドライヤーがあるのにもかかわらず彼は壊れたときにため、と2台目のものを買おうとしているぐらいであった。そんな彼等が いろいろなモノを買ってくれたことに感謝感謝である。チャンヤとツーシンはHasbrock(コーネル経営のアパート)内で引越しを するということで、ちょうどこの日に引越しがあった。少し間取りが大きくなると聞いていて、それで家からも家具を買うことに したのかな?と思っていた。一番の目玉がダイニングテーブル。ツーシンがレンタカー屋で借りてきたトラックに積み込み、 みんなで新しいチャンヤとツーシンの家に行った。我が家(Candlewyckに比べると)お世辞にも大きいとはいえない間取りだが、 大学から近いというのが何よりも魅力的だと思った。実は初めて中に入ったのだ。家具を一通り中に運び込み。その後はPizzaを ツーシンが買ってきてくれ中で小規模なpartyをした。日本でも引越しのとき、手伝いにきてくれた人たちに酒や寿司を振舞ったり することがあるが、アメリカ版のパーティーだった。でもツーシンもチャンヤも少し疲れているようだ。大丈夫かな?ちょっと 心配。でもそれに反してプラシットは元気マンマンである。そんなことにもなかなか国の違いが出るので面白いといえば面白い。


3月20日(土)川崎先生邸にて


 川崎先生邸にて、まさやんとけんさんの送別会をしていただいた。なんども先生邸にはお邪魔しているが、 なんだか久しぶりの訪問のような気がした。集まってくれたメンバーは、コーネル大学のバレーボールのメンバー。 吉田さんご夫妻、梁取さんご夫妻+遥くん、斉藤さん、そして川崎先生。自宅にある残り物の日本食(かつおぶしなど) を持参して登場した。するとテーブルには豪華な美味しい料理の数々。。。もうけんさんと二人で感激。 いただきながらカメラを忘れてきてしまったのを悔やんだ。いやぁ本当に美味しかったし、 なんといっても高額なワイン(先日帰国された後藤家(ロケットの 研究者)からの寄贈?)を堪能してしまった。梁取さんがコルクの長さを比較していたが、高額なワインのコルクは、 他のワインのコルクよりも1cmほど長いものだった。コルクに違いがあったとは発見。ところで梁取家の遥くん、先日 1歳になったばかりだが運動神経は抜群にいいと思った。学生時代の同期も最近ポコポコ子供を授かるので、1歳前後の お子さんを見る機会に比較的恵まれていると思うのだが、遥くんはダントツだと思った。なんと将来はアイスホッケーの 選手にでも・・・と考えているようで、まさやんも思わず納得。10年後いや15年後にスケートリンクで再会することを 遥くんと約束して別れた。

 吉田さんには加藤さんが帰国された後もいろいろとお世話になりまくりの数ヶ月でした。バレーボールを1度もしていない のに集まったメンバーからの温かいメッセージの書かれたバレーボールをいただき、スポーツは違えどもホッケーマンとしては 心にジーンと来た瞬間でした。宴会ばかりの参加で申し訳なかったですが、今後ともよろしくお願いします。。あと斉藤さん。 必ず美味しいケーキを持って、少し時間差をつけて必ず登場する「ケーキ職人」です。いつもそのケーキの見事さにおどろか されるのだけど今日のケーキも本当に美味かった。。。ありがとうございます。そして、最後に川崎先生。いやぁ先生には なんといえば良いのやら・・・。イサカに来ていろいろなまさやんの トラブルや悩みなどにいつも明るく元気よく対応していただいた。なんといっても日本語でなら込み入った話ができるのだが 英語で全てをやらないといけない環境なので、自分がいかにその環境にアジャストするか、、までを教えていただいた。 研究室では淑女。才女。自邸での宴会も始め1時間は淑女だが、それ以降は?という最高に面白い先生だが、今日の宴会は 終始「淑女」でまさやんは少しビックリしてしまった(先生、どうしちゃったんですか?僕の気のせい?)。 にしても残り1週間。まだまだ先生には最後まで面倒をかけてしまうかも?可能性大?最後まで看取ってください。嫌だといわずに。


3月18日(木)Jasonとの別れ


 朝午前3時。カーテンの外は雪・・・かなり深々と降っているではないか・・・。 6時のフライトでシカゴ経由でハワイに戻る先輩をシラキュース空港に送り届けるというスケジュールで今日は始まった。 先輩はNHLの試合を一番楽しみにしてくれていたのに、実現できなかったのでなんとも残念だった。 残念そうな顔をして空港のGateに消えていく先輩の背中に申し訳なく思った、、、。その後シラキュースからすぐにイサカに戻った。 自分で言うのもなんだが、さすが札幌で2年鍛えられたドラテクである。 愛車アコードも引き取り先はまだ決まっていないが、彼の「感覚」は完全にハンドルから伝わってきて最近ものにできたような気がする。 ところで、今日はNASAの研究員がAlanを訪ねてくるとのことだったので、 Alanがまさやんを彼らに紹介してくれることになっていた。NASAはいま火星探索・SPIRITSの話題で毎日新しい情報を発信しているが、 あの小型探索器(リモコンで動いているような車)の一部はコーネルの研究者がコミットしているらしい。訪ねてきたNASAのスタッフは、 3人。宇宙飛行士の作業効率のこと、コクピットのデザインのことについてのスペシャリストだった。一人はインド系の研究者だったが、 彼の英語がNativeぽくなくて、NASAというところで働く人はみな英語がNativeぽいのかと思っていたが、英語は必要最低限の力は 求められるが結局は彼の研究業績や内容が評価されて彼はNASAで働いているんだな、と理解できた。とても感じの良い方々で 話をしていてとても楽しかった。この手の研究は発想が大事なことなんだろう、まさにアメリカらしい一幕を感じた。

   また今日はJasonと会う最後の日でもあった。コーネルは明日からスプリングブレイク。キャンパスでは建築学部の学生がおもいおもいの 仮装をしてキャンパスを練り歩く「Dragon day」が開催されていた。明日から大学はしばしの休みに入る。Jasonはこの休暇を利用して NYCブルックリンにある実家に帰るとのことである。まさやんとけんさんも28日にNYC経由で日本に帰国するが、彼は28日にイサカに 戻るとのことなのですれ違い。。。ということで今日は最後の日ということで彼のガールフレンドMia(日系アメリカ人)と一緒に 我が家で食事会をした。そのついでに彼の「推薦状」を一緒に書いた。もちろん英語である。今度の夏にインターンシップ、また次に シーズンで大学院にアプライすることになっているので、その推薦状の執筆を頼まれていた。Jasonがまずたたき台を(自己アピールとして 書いたもの)を書き、それにまさやんが加筆・修正するという形で仕上げた。日本でも自分の学生の推薦状を書く機会があって、 同じような方法でやっているがまさかイサカでコーネルの学生の推薦状を書くとは思っていなかったので自分としてもとても光栄だった。

 この10ヶ月、本当にJasonには世話になった。なんというか挙げたらきりがない。とにかく奴は、まさやんが調子が悪いと思ったらいつも 元気良く声をかけてくれ、何かアイディアを提案してくれたり、気持ちを励ましてくれるパートナーだった。まだ21歳。とても大人な奴 である。多分コーネル大学で一番一緒に長い時間を過ごしたパートナーかも知れない(Alanは時として密度の濃い時間を過ごすのだが、 結構忙しくしている教授でたまにしか顔を合わさなかった。それでも最後の実験のときはかなり密度の濃い時間が集中したが)。 まぁJasonはまさやんのパートナーとして一生懸命になってくれたことが何よりうれしい。おそらくそれはガールフレンドのMiaの存在も 大きいのだろう。彼の日本に対する理解はMiaから、またまさやんから定常的に伝えられる環境にあった。だからこの10ヶ月で彼は 日本語も少し覚えたように思う。形容詞(例えば、良い、悪い、難しい、楽(ちょっと発音が「六」になるときがあるが)など)を 比較的マスターしたかも知れない。いずれにしても最後分かれるときは互いに涙ぐんでしまった。Jasonはいつか日本にも行くと。。。 またまさやんはNYなら割と日本から来やすいから今度はエンパイアステートビルの上で会おう!!と。お互いに成長してな。と。 固い約束をしてWestキャンパスで分かれた。まさにラッシュアワーのエンディングみたいだったかな。Thanks, Jason!! See you somewhere.


3月17日(水)NHLをあきらめる


 St Patrick's DayのNYC。朝からグリーン色の服を着たヒトにホテルやその周辺で出会った。ただ天候は昨日と同じ曇り時々雪という感じ。 寒い寒いNYCだった。今日の夜はNJでNHL(NJデビルス対ピッツバーグペンギンズ)を観戦する予定だった。が、明日18(木)の朝6時までに シラキュースに行かなければならない。。。帰り道は雪で覆われているかも?夜通し運転して帰るのはどうだろうか?晴れているならまだしも 大雪になったら大変である。。。Alanの携帯にUpstateの天候はどうか?と連絡をしたら不在だったが留守電に「すぐにイサカに帰って来た方 が良い」とのことで彼の判断は正しいと自分も思い、NJでのNHLの試合はあきらめイサカに戻ることにした。先輩はなんだか寂しそうな感じで たいへん申し訳なかったのだが、冬道の怖さを知っているまさやんとしては諦めてもらうしかなかったと思っている。でも初日の15(月)には 天候の良いエンパイアステートビルからの眺めを堪能していただいたので良かった。それだけが救いだった。

   心配していたものの、というか好判断だったのか帰りの道はとても快適。昨晩から降った雪もきちんと除雪されていて3時にNYCを出て 7時にはイサカに戻ってくる事ができた。いつも17号線を使っていたが初めて281号線と81号を使って帰ってきた。気のせいかも知れないが かなり楽に帰ってきた気がする。明日は先輩がハワイに戻る日。朝6時のシラキュース発のフライトである。今晩、雪が積もらないといいのだが・・・ ところでショッキングなニュース。コーネルのラクロス部の主将が今日のビンガムトン大学との試合中にいきなり倒れ、その後病院に搬送されたが帰らぬヒトとなった。 ニュース10NOWのトップニュースだった。スポーツをする者としてゲーム中になくなるなんて・・・息が詰まりそうな事件だったが、 心から哀悼の意を表したい。《関連ページ


3月15日(月)まさやん捕まる


 今日は先輩の希望のNHLを観戦するためにNYへオノボリサンになりました。天気も良く最高の日。  ところがである。そうタイトルのとおりNYへの道中の高速道路でスピードを 出しすぎてお巡りさんに捕まってしまいました。17号線を南下していたSullivan Countyに入った丁度山道の終わるあたりで。右にキャンピングカーが RV車を牽引していて蒸気機関車のように煙を撒き上げながら走行していたのでした。終始、法定速度の時速55マイルを遵守していたのですが、 そのときばかりは、なんでこんなに煙出しているのよ!と思い愛車アコードのアクセルを踏み込んで抜き去った後でした。橋脚の陰から、 STATE POLICEのパトカーさんが・・・・ありゃりゃ。。。まさに捕まる時は日本もアメリカも一緒。参ったなぁ。とお巡りさんがまさやんの車の横に 歩いてきて窓を開けたら、先ほど抜いたキャンピングカーがさらに煙をまきあげながら「ざまぁ見ろ!」といわんばかりで目の前の左車線を走り去っていきました。 「あんな奴がいるからスピードを出して抜いた・・」といおうと思ったら、カーボーイハットをかぶった強面のお巡りさんなので「はーい、免許証でーーす」と 素直になっている自分が改めて小心者な気がした。なんだか違反したのだが、罰金が明確に書いていない?これって結構重罪?それとも今回は 見逃し。。。なんだか早口で全然わからなかった。聞き返そうと思ったらトットと走り去ってしまうという始末。いやぁ帰国前に面倒なことを 背負い込んでしまった。まったく車がらみは最初も最後もついていない・・・(最初については後日改めて・・・)。

   ところでNYに出たまさやんの目的はもうひとつあった。荷物の日本への輸送である。イサカの郵便局からももちろん送る事ができるのだが、 まさやんこちらで結構な量の本を買ってしまった。その輸送に郵便局の定型の箱では間に合わない大きさ(容積)だったのである。そこで登場した案が 我らがニッポン代表・クロネコヤマトさんの別送品受付である。結論から言うと米国クロネコヤマトさん、最高です。思わず宣伝しちゃいたくなるぐらい。 まず何といっても対応が抜群にGood。いやExcellentです。同じ日系の某社とは雲泥の差。けんさんが両社に電話したところ、某社には、電話に出て 0.5秒くらいでこちらの要望も聞かずに「却下」ということ。一方、米国ヤマトさんは懇切丁寧に一通りのプロセスまで説明してくれたのでした。 タイミングが悪くイサカの荷物の収集は先週既に終わってしまったとのこと(イカサは田舎なので月1回だそうです)。でもNJにある営業所に 直接持ってきてくれればいつでも受付可能ということで、せっかく先輩とNYに出るのだから、、、と荷物をアコードのトランクに満載にして、 NJのリンカーントンネルの手前の営業所に立ち寄ったのでした。電話のときと同様に社員の方の対応も抜群!!営業時間の6時を少し回ってしまったが、 嫌な顔ひとつせず対応してくれました。

  ここで帰国に伴う引越しに関する個人的な結論。まさやんのように大学や高専などの学校関係者また学生としてイサカに来た人 が帰国する場合は、引越しに係る費用は個人でそのほとんどを捻出することに(おそらく)なる。 家財道具はこちらのガレージセールなどで購入し、またそれをムービングセールとして買っていただくようにするのが賢いかも。 衣類など、どうしても必要なものについては引越しパックを使うのは割高なので、 急いでいるなら、クロネコヤマトさんなどが扱っている「別送品」を利用するのが良いでしょう。 急いでいないならUSPS(郵便局)から船便で送る。「別送品」とは、自分が利用する飛行機に一緒に乗っけてもらうという意味です。 だから早い!まさやんの場合は、日本に帰国してすぐに使う必要のある書籍などを(重かったさぁ:北海道弁)別送品としました。 以上のような小口利用者の味方がヤマトさんかと思います(ただしこの情報は3月15日現在のもの)。これから引越しの方、ご参考まで。


3月14日(日)Alan夫妻とDinner


 日本ではホワイトデーとかやっている時期か?今日は所属先のAlanにまさやんの帰国も近づいてきたということでDinnerに誘っていただいた。 昨日イサカに来たまさやんの先輩も一緒に来てきたら?と誘ってくれたので、けんさんと先輩、3人でレストランに出かけた。場所はまさやんらの アパートから車で3分ほどの距離、ホームリンクCassParkのそばのCayuga湖畔にある Boat Yard Grill というレストラン。さすが水際にあるだけに店の「ウリ」がシーフードというレストランだった。Alanは奥様Mary(マリー)も連れてきてくれた。 先輩はAlan夫妻に流暢な英語で自己紹介を自ら進んでしてくれたのでスムーズに話ができた。でも会っていきなり「こいつどうですか?」と、 まさやんのことを指しながらAlanに聞くので、聞かれたAlanもびっくりしていたが、話を聞いていたまさやんもタマゲテしまった。 英国紳士のAlanは最初はびっくりしていたが、彼も彼の奥様もadjustするのにそう時間はかからなかったようなので安心できた。 でも先輩はかなりハワイアンになってしまった気がする。笑 趣味のこと、ホッケーのこと、少しばかりであるが研究のことにも話は及んだ。 いろいろ普段大学では話をゆっくりする時間がなかったのだが、Alanはいろいろなことを考えていたんだな、とこの時期になってようやく感じる事が できた。まさやんのことも研究のパートナーとして真剣に考えていてくれたことがなんとなくわかって、イサカに来てAlanと一緒に研究が できて本当に良かったとおもった。とても楽しい時間を過ごす事ができたのだが、唯一残念なことがあった。 コーネル大学のアイスホッケー部がPlayoffで、しかも地元イサカで敗退してしまうという夜でもあった。 Alanの息子Matt(Elmira Junior Jackalsのスタープレーヤー)からピリオド間に電話がちょこちょこ入ってきて、 それを受けるたびに彼らの顔が「がっかり」したような顔だったので、たぶん形勢は不利なのか?と予想できた。彼らも一番見たい試合だったと思うが、 まさやんのためにコーネル最後の試合よりも優先して時間を作ってくれたことに感謝 (もともと彼らはコーネルが敗退して最後のゲームになるとは信じていなかったのだが・・・)。 でもコーネル負けるなんて、まさやんも応援してきただけに残念。。。来年は、今シーズンElmiraで ナンバー1の戦績 を残したMattがコーネルで大活躍するじゃない?。。と言ったら、あながち考えてもいたことのようで、 さすが両親めちゃくちゃ喜んでいた。笑 帰国してからもMattの活躍には期待大かな? 活躍したら試合だけでも見にまたイサカに来てもいいよなぁ。。なんて・・・。 ところで、このレストランの「サーモン」結構おいしかったです。一度お試しあれ。


3月13日(土)先輩 来イサカ


 学生時代のアイスホッケー部の1つ上の先輩がイサカにまさやんらを訪ねてきた。先輩は大学も同じだが、同郷(千葉市出身)ということも あり、学生時代から練習の送り迎えやスケートリンクでのアルバイトで大変お世話になった人である。今はハワイに在住して、ヘリコプターの 操縦士の免許をとるために訓練をしている。そのヘリの研修がLAで開催されたとのことで、ついでに(といってもかなりの距離になるのだが)、 東側まで遊びにきてくれた。2年ぶりの再会だったが、学生時代のころの話、いまの互いの状態などなど話が弾んだ。

   ハワイではアイスホッケーはできないようなので、NYに行ってNHLの試合を観戦することを第1の目的にして来てくれた。それをとても楽しみに してくれている。その前哨戦ではないが、明日地元イサカのスケート場に滑りにいくことに決めた。久しぶりに氷上のようで、先輩はいまから心が ワクワクしているようだった。先輩に言わせると、週2回もイサカで試合をしてきたまさやんは幸せ者のようである。だってハワイとNYじゃ全然違うよね。 環境が・・・笑 ムービングセールはおかげさまでどんどん売れていく・・・イサカインフォに改めて感謝!!! 誰か車買ってくれぃ!


3月11日(木)実験終了!


 本日ようやく被験者実験12セッションが終了した。これですべてのセッションについての実験が終わり。いやぁ長かった。 途中なんどもドタキャンに泣かされながらJasonと二人でなんとかここまでやってこれた。にしてもいろいろな被験者が いて面白かった実験である。日本であれば被験者はほぼ100%日本人であるが、アメリカの大学にはいろいろな国や人種の 人であふれている。したがって被験者には白人もいれば黒人も、少し南米系の雰囲気の人もいればアジア系だっている。 それぞれ特徴があるようだ。ちなみにアジア系はタイピングの速度が他より異様に速く、実験後をコメントを 求めると寡黙で調書をとるのに困難を極めたが、生粋のアメリカ人は、こちらの調書のメモ欄が いっぱいになるぐらいコメントをしてくれた。アメリカの一大学での実験だが、世界を旅しているような気がした。 相棒のJasonにその話をしたら「これがアメリカなんだよ!」と偉そうなことを言う。そんなJasonの反応もアメリカだわな。笑

  自分でいうのもおかしいが、この程度の規模の実験をするのには、 日本であれば大学院生・学部生4〜5名ぐらいで取り組むことが通常であるが、 Jasonと自分の2人だけで切り盛りした。これは正直言って大変な作業だったが、セッションが進むにつれJasonも自分も 要領を覚えうまく実験を進めることができたと思う。Jasonもその表情は充実感でいっぱいのよう。本当に頼りになるパートナー である。でもこれから解析。おそらく、いや絶対イサカに滞在中には解析までは終わらせることができないので、日本に帰って 取り組むことになるのだろうな。まずは自分とJasonにお疲れ様。Jason本当にありがとう。


3月7日(日)ムーヴィングセール


 このページのホームでも紹介しているとおり家の家財道具をムーヴィングセール品としてアップロードした。 いろいろ整理してくると「これは本当に重宝したなぁ」というのから、 全然使わずにクローゼットの中に眠っているものまで結構な数である。 本当に重宝したものは自分でも他人にあーだ、こーだと、、勧めやすいのだが、 全然使っていないのはコメントのしようもないし、存在自体忘れていて、 未だにあーーそういえばなんて今になって思うものもある。まぁ人間の記憶なんてそんな ものなのだろう。

 ところでこのアップロードした情報、リンクをはっていただいている「イサカインフォ」の蚤の市コーナーのページに 夜9時過ぎに載せてみた。すると、、、メールによる問い合わせが3時間ぐらいの間に10通ほど来た。中には日本からの 問い合わせも。結構なヒトがイサカインフォのMLにいるのだなぁと、、、改めてサイトを運営してくださっている 池さんや吉田ご夫妻らに感謝である。お陰様で「やはり重宝したよなぁ」というものからドンドンSold outに・・・。皆さん、よくわかっていらっしゃるという 印象をもった。Yahooオークションがここアメリカでも流行っているが、流行る理由もなんとなく今回セールを始めてみて わかったことだ。まぁこの日記で宣伝するのはどうかと思うが、まだまだ「重宝したなぁ」と思うものは残っています。 さぁどれでしょう?そんなことを考えながらもし少しでも気になるものがあったら早めにメールをくださ〜い。。



3月6日(土)Megan 寿司を巻く


 けんさんに英語の個人レッスンをしてくれているMeganの希望で「けんさんによるサーモンロール教室」が開講された。 いつもはMegan先生と生徒けんさんの関係なのだが、今日は立場が180度変わったということである。2時過ぎにいつもどおり元気 よく登場したMegan。よーーく見ると右手になにか持っている。そう炊飯器(それもかなり大きめ・ファミリーサイズ用)と シャモジを持っていた。もう早くも戦闘態勢、いや気合いが入っているのである。なんだか180cmはあるであろうMeganが 日本製の炊飯器をもって登場する、という絵は今思い出しても笑える。Garrettと数ヶ月前、アジア系食品店で購入したそうだ。

 さっそく「教室」が始まった。けんさんによるご飯の作り方。そうMeganは炊飯器を手にはしていたがご飯の炊き方、また 「米をとぐ」というプロセスを知ったのがはじめてだったらしい。まぁそれも無理はないだろう。かなりAmazingな顔をしながら けんさんの話を聞いているMeganの顔が(失礼だが)可笑しくて仕方なかった。あと彼女の質問、的を得ていているのだが、 本当に疑問を持ってきているので、なおさら可笑しかった。米のとぎ汁をどうするか?何回ぐらい水でとげばよいか? とぎ方はこんな感じでいいのか?と。そしてできたご飯を酢飯にするプロセス。これもAmazingだったようだ。もともと すっぱいものはあまり得意でないそうだ。鼻にツンとくるこの匂いはまだMeganは慣れていないようである。Garrettは酢の物が 好きだ(やっぱりあいつ変わったアメリカ人だよ)というから可笑しい。そして巻き簾で巻く作業。海苔を下にひきその後に 酢飯を乗せる。Meganがやるとどうも酢飯を多く乗せすぎてしまう感じだった。でも自分でSushiを作るプロセスを楽しんでいる ようで、家に帰ってシェフGarrettに食べさせてあげるんだ!とのこと。もう26になる彼女だがやはりけんさんや自分よりだいぶ 若い女の子だな、と思った。自分の友達にも教える。。。と意気込んでいた。 彼女はいろいろなことに感動するのでけんさんも教え甲斐があったようだ。さぁガレージセールの準備をせねば。。。誰か 車、買わない・・・お買得のいい車だと思うんだけど。。。


3月5日(金)ドタキャンのあとで


 ここ数日突然のドタキャンにもだいぶノウハウをゲットしつつあるJasonとまさやんだったが、さすがに今日は対応できなかった。 実験開始なんと40分前のドタキャンである。日本だったら考えられないよ。と思わず吐き捨てそうになったが、これには参った。 まさにドタキャンの最上級である。3人1組で行なうセッションなので一人足りないと1セッションが丸々できなくなる。そういう アナウンスメントが必要である、責任感を促す配慮が必要だったのだろう。でももう遅い。Jasonはまさやんの携帯を使って、 自分の知人、あらゆるネットワークに声をかけてくれている。でも金曜日の夜。つかまるはずがない。まさやんもホッケー関係の 知人やLanguage exchangeをしているMattにも電話してみたが・・・つかまらなかった。3人でやるという方針はあきらめ、2人だけの セッションをやることにした。少し失望(まさにdisappointed)な状態で始まったわけだが、それに追い討ちをかけるようなことが 起こる。2人のうちの一人が「不真面目」なのである。タイピングを時間内にしてもらう作業を課しているのだが、彼は椅子に ふんぞり返って片手でやっているのである(片手しか使えない、という理解もできるのだが、明らかに疲れているようでやる気が ないのである)。これにはタマゲタ。Jasonと相談して、急遽セッションを途中であるがキャンセルすることに。この実験はある DEAの授業のエクストラクレジットを与えるという条件で学生には参加してもらっているのだが、彼らにはこちらのコーディネート のミスという面もあるので、不真面目な一人に対しては特に不本意ながらではあったが、クレジットを与えることにした。

 ところで不真面目でないほうの学生。普通の学生なのだが、とてもナイスな奴だった。聞くとホテルスクール。ホテルスクールの 学生は何人か今までも参加してくれているのだが、例外なくみなキビキビしているし、時間厳守だし、とてもサービス精神が 旺盛であると思った。さすがホテルスクールである。コーネルのホテルスクールはとても有名だが、自分の実験を通して教育が しっかりしていると勝手ながら感じることができた。実験としては最悪な結果になったが、コーネルの誇るホテルスクールの水準を 肌で体験できたことはよかったと思う。これはまさやんの勝手な推測だが、ホテルスクールの学生はリッチな雰囲気も持っている と思った。思い切り偏見かも知れないと承知で書いている。ただアメリカのリッチな家庭は、金だけでなく精神的にも リッチでないと文字通りリッチになれないのかもしれない・・・日本の成金とちがって 教育もしっかりされているという印象を持った。好きなものをただ買い与えているのではなくて情操教育というのか? それがしっかりしているようにも思う。きっと親父がホテルやレストランの経営者?なんていうご子息だったりするのだろう。変な嫌味がなくて彼らの雰囲気はとても大好きだ。もちろんこれも 今のうちに友達になっておいたら、将来・・・なんて考える俺はやはり小市民か?失望で顔が放心状態になっているまさやんを Jasonはいつもやさしく慰めてくれる・・・お前って本当にいい奴だな。お前とはいつかどこかでまた一緒に仕事がしたい。 帰国直前なのでそんなことも考えてしまう。改めてJasonに感謝。まだ21だよ。こいつ。すげぇよ。・


3月4日(木)散髪


 髪を切った。数ヶ月床屋にいってなくてようやく時間がスポット的にできたのでいってみた。ガラガラで すぐに入れた。いつも行っている床屋。なんとチップ込みで12ドル。もちろんカットしかしてくれないのだが、 腕はなかなか良いと思っている。いつも行くとアジア系の客はあまり来ない店のようで珍しがられるし、何を 話していいかわからないようで、いつも髪を切ってくれるオジサンは口数は多いほうだと思うがまさやんがくると 無言になってしまうようだ。そういうのもアメリカ人らしくて面白い。髪を切ってもらいながらCNNを見ていた。 ちょうど今アメリカでは大統領の予備選が行なわれている。そして今日からか?BushのキャンペーンCMが始まった。 すごい作りこんでいて、正直言って興ざめ。選挙って金だな。と思った。思わず苦笑いをしたら、 髪を切っているおじさんが、「君はBushをどう思う?」と・・・。 なんだか緊張する質問だったが素直に「嫌いだ。」と答えた。おじさんは少し戸惑いながらも「俺もだ」と。。 意見がまぁ一致したので良かったが、 もし正反対だったらどうだったか?でもそれで少し話しが弾んだ。日本のことも聞かれた。小泉さん、当然知らなかった。笑 Bush大統領にそういう意味では感謝。話は変わるが、そのブッシュの対抗馬のケリーさん、 自分を第2のケネディといって売り込んでいるが戦略的には失敗だな。なにそれ?って感じである。顔のことを言っては 失礼だが、ぜんぜん違うよ。あんた?って感じ。なんかこの先どういう展開になるかわからないが、アメリカも 日本もなんだか適役が居ない・・・印象を受けている。顔のことを言ってはいけないのだが、なんだか ケリーと争っていたエドワードさんの方が(直感だが)有能な気がした。どうして結果は反対になるのだろう。 政治ってやっぱりわからない。

 夜は被験者実験。3時過ぎにまたドタキャンを喰らってしまい、アタフタしていた。が運良く一人友達を連れてきてくれた 被験者がいて助かった。まさにギリギリセーフ。実験直前にSONYのハンディカムがものの見事に動かなくなり、バックアップ のカメラで対応した。まったく実験というのは何回もやっているがこの手のトラブル・ハプニングがつき物である。 あと明日の1セッションで最後。もうドタキャンは懲り懲りだ。おやすみなさい。


3月3日(水)たくさんの国から・・・


 BOCESも残りあと4,5回ということになってきた。今日のBOCESは、それはもうたくさんの生徒でいっぱいだった。 こんな人数になるのは初めてかも?ざっと20人はいたような気がする。新しい顔が5人ほど。もうそれはたくさんの国から。 あと数回でクラスを去らねばならないのがなんとなく惜しい気がする。一人日本からのヒトかな?と思ったのだが、 グループが違って話せずじまいだった。ひな祭りなので、けんさんのために、 クラスの帰りにWegmansでビールを買って帰ろうとしたら、John(先生)と一緒にいる 彼女を発見。Johnが紹介してくれた。日本人の女性だった。やはりそうだったかぁ?アジア系でも日本人、韓国人、中国人の 違いがなんとなくわかるようになってきている。でもけんさんはいつも中国のヒトだと思われる。まぁそれも楽しい。 あと数回のなかでできるだけ多くの仲間と仲良くなっておきたい。

帰宅すると、加藤キャプテンの後を引きついで「コーネル大学バレーボール部(日本人同好会??)」のキャプテンを している吉田さんから電話があったと、、、けんさんが。すぐに電話をすると、今月の私たちの帰国前に送別会をしたい。との 温かいメッセージ。けんさんと2人とも本当にうれしかった。まさやんは自分の研究室やホッケーのスケジュールを優先するが あまりバレーには顔を出さずじまいで(宴会には行くのだが)、本当に申しわけなく日ごろから思っていたのですが、 日本のネットワークもイサカに来てとてもお世話になっている。吉田さんをはじめ、K先生にも改めて感謝。ところでこの吉田さん、 あの科学雑誌Natureにもご自身の論文が掲載されるキャリアの持ち主。でも宴会では夜10時がリミット、それで帰り際の深夜1時、2時という時間に 再びシャキっと起きて洗い物を始める、、、、というとってもユニークなキャプテンであります。 まさやんとはそれぞれ専門分野は違えどもとても刺激的な日本人のネットワークもあります(直にちょこちょこ紹介していこうと思います) さぁ引越し準備きちんとしてみんなで飲むぞ!!(でも引越し、大丈夫?by けんさん)


3月2日(火)水の摂取


 とうとう残り1ヶ月をきってしまった。あと10分の1かぁ。早いものである。ところで今日は水の話。 アメリカに来て結構驚いたことのひとつに、みな水やコーヒーをよく飲むことがある。特に水。専用のプラスチック 製のカップ(そうね500mlは入るような)デカイものを携帯している。日本でも最近スタバで専用の容器が 売られているがまだそれほど普及しているとは思えない?いや最近変わってきたのかな?でもこちらはちがう。 結構な頻度でみな持ち歩いているのである。とにかく水を良く飲む。DEAのFacultyルーム(リフレッシュルームみたいな 部屋・サロン)にも水の入った大きなパックがおいてあり、必ず誰かが水を汲みにきている。そんなことで 自分たちもスーパーなどで水を買い求め、必要に応じて飲む機会が日本にいたときより増えた気がする。実際、 今行なっている実験も、ヒトの温熱環境に関する調査も同時に行なっているのだが、実験中にやはり被験者の 学生も水をほしがると思ったので500mlのペットボトルを用意して実験中にいつでも飲んでね!と言っている。 面白いのは被験者の何人かが実験後にあまった水の入ったボトルを持ち帰ろうとする。が、実は「これ実験データ のひとつにしようと思っているので持ち帰らないでね」といっている。ほとんどの被験者はそこで初めて「俺って モルモットだったのね・・・」という自覚からか苦笑いをしながら部屋を去っていく。2時間ほどの実験で もちろんヒト、性別によるが全体的に見て本当によく飲むよなぁ。。。という印象である。 夏は水を良くのみ、冬は飲まない、というイメージもあったが、自分も含めて水の消費量自体は季節に よってほとんど変わらないように思う。なんといっても身体の70%が水なんだから、水の摂取とはかなり身体を健康な状態に維持する のにとても大事なようである。先日書き終えた原稿を書く際に(「ヒトのからだ」という原稿を書いていた) 、一日における成人1人の水の収支を、日本語で書かれた医学書で調べたのだが、 飲み水や食物を通じて約2500ml入り、それと同じ2500mlが汗や便で出るという収支だそうだ。 であるから体重70kgのヒトだと約50kg(=70kg×0.7)は水だから、 20日ほどで身体の水全てが入れ替わるという計算である。2500mlとはもともと平均的な数字。 だからアメリカ人はその倍のスピードで水を摂取しているような気がする。彼らは10日で体内の水が入れ替わっている かもしれない。体重も大きければその分水も多い。まさにアメ車とガソリンの関係だよね。


2月29日(日)Meganと一緒


 けんさんが受けているMeganの英語教室に一緒に参加させてもらった。MeganはチームメイトGarrettのガールフレンド。 とても綺麗な発音をするのでやはりわかり易い。今日はvaluableとvariebleの発音の違いを徹底的にトレーニング してもらった。やはり取り上げる単語が「言えそうできちんと発音できないもの」なのでやっていてとても 楽しい。Meganはとてもクールである。今度はけんさんがサーモンロールを伝授すると約束して喜んで 帰っていった。彼女の明るさは忙しくアワアワしている我々をホッとさせてくれる。感謝である。イサカインフォで 紹介されていたStatler HotelのディナーにもGarrettを誘って4人で行くことに。楽しみ。。。


2月28日(土)「ラッシュアワー」のように


 一日中被験者実験をしていた。土曜日は朝8時半から夜8時まで。実験自体は10時から6時までだが、前後に 機器のセッティング、データの回収をしないといけないので必然的にそれぐらいの時間になる。被験者は全部で9人 (3セッション×3人)という形でやっている。先日ドタキャンの話をしたが、そうなんです。一人でもキャンセル されると1つのセッションができなくなるので大変なんです。今日はまたいきなりキャンセルが出て(これで5人目、 なぜかわからないけど皆女子学生)、カレッジタウンのホンコンでランチをJasonと取りながら「仕方ないから2人 だけでもやるか?」と話していた。そこでまさやん、「そうだ!Jason、このあたりで人を探さないか?」とランチも 途中ぐらいでカレッジタウンの道行く女子学生に声をかけまくった。まるで映画「ラッシュアワー」のような2人である。 アジア人と黒人のコンビ。声をかけられる方もなんとなくビックリしていた。そりゃぁそうだよなぁ。要は「ナンパ」じゃん。 これ?駄目もとになってきてJasonと笑いながらカレッジタウンをかけずりまわった。でも不思議なのは 相方Jasonはまさやんが女性に声をかけているときはほとんど無口なのである。英語があまり流暢でないまさやんが切り出していることがほとんどであった。 残念ながら興味はもってくれるものの1時間後に実験。というあまりにインスタントな日程にフィットする学生は見つからず、 2人で首をうなだれながらDEAに戻った。そのときである。「Masa、良い方法がある!」とJason。何かと思いきや、 まさやんの携帯を貸せ、といい実験に来る予定の2人の学生の一人に電話をしたのである。話を聞いていると、 Jasonは彼女に「友達がいたら、そうルームメイトでも親友でもいい、誰か一人連れてきてくれないか?」と聞こえた。 Jason、お前は偉い!なんで思いつかなかったのか?しかもその彼女の答えが「なんとかしてみる」との温かい返事。 そして待ち合わせの時間にその彼女が友人を連れてきてくれたのである。しかも同じGary Evansの授業をとっていて Extra creditを求めているという子が・・・。ぎりぎりセーフでなんとか3人1セットでの実験をすることができた。 今日はJasonに感謝!!ありがとよ、Jason。お前は俺のベストパートナーだ。Jason曰く「カレッジタウンでそこら中の 女子学生に声をかえているお前の方が俺にはAmazingだよ」とのことである。凸と凹の関係だろう。まさにラッシアワー!


2月27日(金)実験中


 被験者実験はいまのところ順調である。そうドタキャンがなければ・・・。ものの見事にまたいくらかの キャンセルを受けてしまい(ドタキャンではない)、3月にまで実験が伸びてしまうことになった。今日は 先日も日記にかいたが、Evens教授の講義前後にまた被験者を募集しにいった。今日はみんなの前で説明というよりは、 視覚情報に訴える作戦に切り替えた。そう、あの空港の到着ゲートとかでボードとか紙を持って待っている 旅行代理店の方のように。あれです。蛍光色の紙に大きく「Extra credit!! Final call for subjects」とマジックで 書いて反応を見た。そうバッチリであった。みなくもの巣に誘いこまれる蝶のように・・・なんていったら 失礼だがまさに効果覿面(こうかてきめん)だったのである。横で同じように被験者を募集しているDEAの 顔見知りの学生が「私も次回はそれを作る!!」と。まさに一気に満杯! 日本でもキムタク主演のホッケードラマ「プライド」の効果で新横浜で開催の日本リーグの試合が 満員御礼になったそうだが(YahooJAPANより)、まさやんもイサカで満員御礼となった。 気をつけなければならないのはドタキャンだけ。まぁ結果オーライということで。ところでキムタク滑ってるの?みてぇ!! 絶対「足タレ」使ってるでしょ!


2月25日(水)イサカホッケーリーグ終了!


 被験者実験が本格的にはじまり、また日本からの4月からの仕事の準備にも追いまくられて、また何といっても 3月末に帰国するための準備。。そうまったく何もやっていない・・・このままだと大変なことになる!!という 状況である。とは言うものの、趣味のアイスホッケーだけは別物で、なぜかそれをするためにいろいろなことを切り詰める という何ともけんさんに言わせたらどうし様もないパートナーのまさやんである。 今日はなんとコーネル大学にMicrosoftの社長、いや会長か?CEOなんでもいいや、あのBill Gatesが講演 をする、というので行って見ようと思ったのだが、 イサカアダルトホッケーリーグのプレーオフ2戦目だったので、 GatesではなくてCooke's(チーム名)をとることにした。 実はプレーオフ1戦目は月曜日に行なわれたが、まさやんの(今でも意味不明の)反則を契機にわが Bill Cooke's は一気に意気消沈モードに突入。立て続けに5点ほど奪われものの見事に初戦を落としてしまった。 3戦で先2勝したチームが上のトーナメントに進出する仕組みである。今日、勝たないと上にはいけない。 何がなんでもと!臨んだ1戦だった。だが、GKのDon(イサカカレッジ、パーティー好き。でも少し神経質) が絶不調。ファーストシュートをほとんど入れられてしまう感じで1P終了時点で6対1。 まさやん少し冷静になって考えた。もう逆転は物理的に駄目だな。 相手は近年イサカ高校を卒業したばかりの平均年齢でいうと19から20ぐらい。兎にも角にも速いのである。 ネバーギブアップが性分の まさやん (#24孤軍奮闘中!!だけど、足みじけぇ〜)ですが、 「勝とう」という齷齪した気持ちから詰まらない反則を重ねたりするより、 むしろ今の自分のチームBill Cooke'sのチームメイトとできるホッケーを 最後まで楽しもうという戦い方に切り替えた。 終始相手にはパワーで圧倒されたCooke'sだったが、 不思議なことに随所に「いけるねぇ」というプレーも出てきて、 ベンチにも笑い、励まし、いつもとは違う雰囲気が生まれた。 Garrett&まさやん のコンビでかなりいいパスもつながった試合でした。 結局試合は大きく差をつけられたけど、メンバー全員でなにか最後は戦えた満足感でいっぱいになった。 試合後の控え室では1シーズンを振り返る話に盛り上がった。最後にまさやんが、、みんなぁ注目!!といった後、 I should say special thanks for you and our sponsor's, Bill Cooke. I have to go back to Japan at the end of March. I never forget our team and also each of you. Hope to see you at the International men's hockey tournament somewhere! と挨拶した。みんな大爆笑してくれたが、まさやんの帰国を知らなかった何人かのメンバーは急の話でかなりびっくりしていたが、またイサカに 戻って来いよ。来シーズンも一緒にできるとおもったのに、体格が2倍はあるやつをふっ飛ばすお前のスタイルを愛している ・・・と温かい言葉をメンバーみなかけてくれ、それぞれと抱き合い思わず目頭が熱くなってしまった。 最初はばらばらだったけど試合を重ねるうちにみんなの特徴も序所わかっていった。Bill cooke's。キャプテン Brad(Bill Cooke勤務)の頑張りも大きい。 みんな に出会えてイサカをさらに好きになることができた。 Brad, Roger, Luke, Rob, Eric, Don, Ted, Scott, Mich, John, and Garrett, thank you again. Your teammate Masa


2月24日(火)ドタキャン


 被験者実験の続いている毎日である。先週土曜日はこの日記にも書いたとおり一気に3セッションもして死にそうに なった。相方Jasonも若さだけでなんとか乗り切っている感じである。今日に至ってはやつの目の下には「くま」ができていた。 ブラックなのに「くま」がわかったから相当彼も疲れている、日ごろの授業と併行してやってくれているのだから。 と感謝のまさやんである。ところが今日はわれわれのそんな頑張りに反する頭にくることがおきた。そう被験者のドタキャン である。しかも3人1組の実験で、その3人がそろいもそろって。 一人にいたっては実験開始1時間前にメールでいってきた。まさやんも日本にいる周りの友人からは「ドタキャン王」と呼ばれたことがあるぐらいの人間なので、 ヒトのことをあまりいえないのだが、さすがにされると勝手かもしれないが頭にくる。しかも理由が「明日テストで 勉強しないといけないから・・・」だぁあああ?てめーー!って鉄拳を喰らわせたくなる様な言い分である。テストの 話は最初からわかっていたのでは?だったら安請け合いするなよ!と、後でJasonに聞いたら、そのときはまさやんとは 怖くて話ができなかったそうである。相当怒っていた模様。 でもJasonに言わせると、ごく普通のことだよMasa,don't worry!と。「テストの準備で来れない」なんてのは Jasonに言わせるとよくあることのようである。彼も過去に何度か同じような経験をしたという。でも納得できない まさやんは、「テストの準備でこれない!」なんていう理由は、「彼氏と会うから」「映画を見に行くから」 と同じレベルの理由さぁ。自分のスケジュールをコントロールできない、て言っているようなものさ、 と返したのである。Jasonは納得してくれながらもかなり驚いていた。Masaya,日本ではこんなことないのか?ときいてきた。無くはないが、もっと気の利いたことを相手に 話すし、ドタキャンするやつも誰か代わりのやつを立てるとか、まぁテストがあっても実験をしてその後徹夜で勉強して 試験に臨むのが日本の学生だよ!と力説した。でも、 あとあと考えたら日本にもとんでも無いやつがいる(自分も含めて)ので言い過ぎかもしれないが、Jason はアメリカ合衆国、USAをまさやんに全否定されたかのようなショッキングな顔でまさやんに同情してくれたのであった。 わかった結論。最初からドタキャンはなし。する場合は代わりを立てるべし、とアナウンスすることが賢明。国による あるいは文化による違いはあっても結局はヒトによる。Jasonには別れ際にそう話し帰宅した。Jasonが少しホッとしてくれたようで 逆にホッとした。


2月21日(土)朝から晩まで


 実は昨晩、宇宙開発(ロケット)の研究をコーネルでしている後藤さんご夫妻がまさやんらより1ヶ月早く来週帰国するため その送別会がK先生のご自宅で開催されていた。まさやんも実験後にけんさんと参加!!!予定だったのだが、 けんさん、かなりの高熱(102Fぐらい=38℃)でダウン。ワインだけプレゼントして帰宅してきたのであった。 けんさんにバナナと薬を飲ませ、少し気にはなったが実験をすっぽかすわけにもいかずけんさん一人家に残し 大学へ。途中、一度家に電話を入れたらだいぶよくなっているというので安心してJasonと朝から3セッション(10時間) あまりの実験をこなした。改めて思ったのだが、日本で経験があるとはいえ、とにかくとても疲れる。疲労度ZZである。 なんでこんなに疲れるのか?と考えたのだが、まず1つはなんといってもやはり 言葉 その次は、スタッフの人数かも 知れない。日本では多かれ少なかれ大学院生や学部生など1プロジェクト平均4,5人でやっていたような気がする。 だからJasonと自分だけでやるのは、1人あたりのタスクが多すぎてしまうのである。なるべく単純化・効率的に やろうとするのであるが、今度はそれでJasonと考え方が若干違ったりする(日本の学生は、もし相手が上級生や教員なら、 黙ってはいそうですね。とか言ってそのまま言いなりになったりする傾向が強いが)Jasonは意見をきちんとしてくる。 反対意見なら反対。賛成なら「Good suggestion!」とハッキリしているのである。これは慣れるまで結構まさやんには しんどかったが、「パートナー」としてはこれが理想である。実験もほぼパーフェクト(いまのところ)。 家に帰ると少し体調のよくなったけんさんが居たので安心した。後藤さんご夫妻。送別会参加できませんですみませんでした。 気をつけてお帰りください。我々もそろそろ準備に入らないと・・・地獄が待っているような・・・まずいよなぁ・このままじゃ。


2月20日(金)本実験開始


 今日から本格的な被験者実験が始まった。いままで予備実験を何回か試行してきて、帰国1ヶ月前にようやく本番を 迎えた。かなりプレッシャーであった。が幸い被験者も順調に集めることができ、今日を無事迎えた。 実験のパートナーのJasonも授業で忙しい中準備に精力的に動いてくれている。彼の働きがとてもいまのまさやんには大きい。 そしていよいよ実験開始。被験者へのアナウンスは基本的にJasonが担当してくれているのだが、どうも一部まさやんには 「そうじゃないだろ!?」と思うこともあり、一回一回議論を重ねている。可能であれば12回のセッションの中で 徐々にまさやんも自分から被験者に積極的に話していくようにしたいと思っている。今日は疲れているのでこんなところで。 でも被験者実験って日本でも何回か経験があるが、若干の手続き(サインなど)が異なるだけであとはみな同じ。それが 実際始めてみてわかったのでかなりホッとしている。明日は3セッションも。おやすみなさい。


2月16日(月)Garrettの手料理


 けんさんが英語レッスンを受けているMeganとまさやんのチームメイトGarrettがホームパーティーに 招待してくれた。イサカのそれはそれはもう郊外。真っ暗な、でも星のきれいな道を進むとかれらのアパートが あった。でも素敵な部屋だった。部屋の一角には日本のような雰囲気のインテリアになっていた。 彼の父親は趣味で「Bonsai(盆栽)」をしているかなりの日本通だそうだ。だから彼らも日本に詳しい。 もちろんまだ行ったことは無いということだが、まさやんらと知り合いになった契機にぜひとも日本を 訪れたいと。。。うれしいことを言ってくれる友人である。ところで、Gerrett。イサカのダウンタウンに あるZaza'sでシェフをしているが、かなりの料理通。自分で料理を研究だ、と言っている男である。 だから家の台所周辺は、ほとんど「アイアンシェフ(料理の鉄人)のキッチンスタジアム」のような雰囲気。 自分から意識している。という。かなり本物だと思った。冷蔵庫には調味料がいっぱい、しょうゆ・みりん・酒なんて 当たり前のように完備していた。けんさんが海苔巻きとサーモン寿司をこしらえてくれてもっていたのだが、 行く途中、「Garyの家に醤油あるかな_」なんて心配していたけど心配する必要がないくらいの充実ぶり。 もっと驚いたのが、本棚に日本の料理を紹介している、かなりネンキの入った本があったのである。 これにはびっくり著者は日系人だった。発行は1950年代。出版はカリフォルニアになっていた。そしてGaryの 料理登場。豚肉の蒸し焼き&ジンジャー、チンゲン菜(中国系マーケットにも自分で買い物に行くという)、 肉じゃがのアメリカ版みたいなものが登場。どれも美味しかったし、なんといってもバランスが良かった。 手の凝ったものもあれば、チンゲン菜にいたっては茹でただけ。でもこれが抜群にうまかった。キッチンスタジアムで 試食しているゲストのような雰囲気になっていた。でももう最高。話題は日本とアメリカの歴史のことにも および、彼らが(当たり前かもしれないけど)、パールハーバーの前にどんなことが日本や中国、韓国(朝鮮)で 起こったのか知らなかったので説明をした。びっくりしていた。まさやんは彼らがそのことを知らないことに 少しびっくりした。彼らにとって日本の理解は文化という形でいまも定常的にアメリカには入ってきているが、 歴史というのは、意外とパールハーバー以後なのかも知れない。そんな発見も新鮮であった。彼らは決して嫌味な ことを言わず、わからないことを本当に知ろうとするから話をしたり聞いたりしていてとても気持ちがいい。 Megan の声がとてもきれい、聞きやすいと思っていたら、前に声楽をしていたとのこと。なるほどと思った。 まさやんとけんさんに気づかないように、MeganがGaryに「彼らにわかるように話なさいね!」と念押ししている のが面白かった。garyは大きい声で話していたが、Meganに「大きい声でなくてゆっくりと・・・」と子供のように 言われているGaryがなかなか楽しかった。それなりに気を使ってくれているということだけでも今のまさやんらには とてもうれしい配慮である。


2月14日(土)Big RED 勝利!


 バレンタインデーの今日は、奥さんと一緒に見に行ったら??とアランが、CornellとYaleのホッケーの試合 (これはかなりプラチナもの)のチケットをくれた。なんでこんなに気前がいいの?今日のアランは?と思ったら、 彼は次男マットの試合の応援にAlbanyまで行くからそっちを見に行くんだ!とのこと。納得。でもうれしかった。 それでけんさんと二人で「今日は勝ってくれるよね!!」と祈りながら会場に・・・。同じIvyの大学とあって、 もうそれは早慶戦のような盛り上がり。観客はホッケーを見に来ているというよりは、その雰囲気を楽しみに 来ているという感じでFaceオフになった。かなり均衡したハードなゲーム。でもコーネルは、先日見たコールゲート戦よりは 安定していた。変なミスもなく定常的に攻め、守っていたように思う。相手もYaleもとてもいいチームだった。 身長がそれほど高くないように思えたが、平均で180cm(5.8feet)以上はあるコーネルの選手とほぼ互角に 戦っていたように思う。中でもYale44番の子が上手だった。後で調べたらスウェーデンからの留学生だった。 身長は5.6だから175cmぐらいか?アメリカの大学もアメリカかカナダだけかと思っていたが、結構インターナショナルな選手を集めているんだな。 試合は2対1でコーネルが辛くも勝利。勝ち越し点はGKの真横から打ったシュートがGKのれがーすにあたりそのまま 入るという、まぁなんとも泥臭いでも味のある試合だった。Yaleも本当にいいチームだった。 ホームゲームはこれで2試合目だが、一度コーネルのアウェイでの試合を見てみたい。どんな環境で彼らが戦っているのか 一度見てみたくなった。ホームとアウェイの違いは相当なものだと思った試合でもあった。確かYaleのホッケーリンクって 建築構造美の象徴だったように思うが・・・横にいるけんさんに聞いてみる。知らない。と素っ気無い返事。 もう見に行く時間はさすがにないかな・・・母校で構造力学を教えていた、 ゼミにはなぜか女子学生だけを集めるというちょっと色ボケした先生だったが、 彼のある授業での一言を急に思い出した。


2月11日(水)300人の前で


 被験者実験をするために被験者を相当数かくほしないといけない。。。これはまさやんの頭を常に悩ましていた のだがそのときがとうとうやってきた。最初はいくらか謝金(バイト代みたいなもの)を支払って、それでやってもらう 方法を考えていたのだが、同じDEAのEvans教授(建築環境心理専門)が、「自分の授業の中でHuman Subjectsをしたら 成績判定の際の参考単位に加える制度があるから、その一環で呼びかけてみるといいよ!」と親切に教えてくれ、 なんとあり難い教授。「感謝します!」といってみたはいいものの、おいおい誰が呼びかけるの?それ?っと急に 気になり教授に「Gary(彼のファーストネーム)、ところでそのアナウンスはいつすればいいの?」となんとも小学生の ような質問をしてしまった。そうしたら、gary:「それは君のやりたい時にやればいいのさぁ」 まさやん:「え?おれ?」gary:「うんそうだよ。僕の授業は毎週月水にPlant Scienceの講堂でやってるから」 まさやん:「ところでクラスを受講している学生は何人ですか?」 Gary:「300人くらいかな?登録しているだけで」「あ、そうそう君も建築環境のことを専門にしているなら いつでも来てくれていいよ!」「今度の授業で話す???」といきなりいわれ、まさやん:「Sure!」と いいながらもかなりびびりまくっていた。。。そしてそれが今日であった。。。なんとなくGaryが紹介してくれるのかな?なんて思ったら大間違い。居ないのである。 とにかく時間が来てTAの院生が、「Professor Saito, Garyがアナウンスを始めていてくれ。といってました」 というではないか???いきなり壇上に現れた、いつものgaryと違うまさやんの滑稽な姿にあたりは少々ざわついていた。が、 こういうときの一発目の言葉で印象が違うから、何からいい始めようか緊張して頭が回らないでいた。そして出てきた 言葉が「Ladies & gentlemen」。大笑い。これでは興行である。でも急に冷静さを取り戻し、「はろー」と 言ったら前の方にいる学生が「はろー」と返してくれた。これで少し楽になった。かんぺは用意していたが、 壇上に立ったらすべて吹っ飛びアドリブだったような気がする。一通り話し終わり、それで質問が後ろの女の子から きた。「実験はなんでTシャツでやるの?」という質問だった。 それなりに答えてみたが彼女も理解してくれたようで一通りアナウンスは済んだ。 そこへGary登場。額に汗びっしょりのまさやんを見て「Good Job!」だって。本当にお世辞抜きで自分に対して Good jobだと思った。変な度胸だけはついたよな。って自分で勝手に思っている。


2月4日(水)ヒトの心


 今、まさやんは日本にいる恩師を中心としたグループの先生方と一緒に(日本語の)本を執筆中である。 作業も佳境にいよいよ入ってきて気の抜けない時間帯になってきている。ただコーネルでこれから始まる実験なども あって、その原稿だけに集中できないでいた(「だったらホッケーとかしてんじゃねー!」という声が 聞こえてきそうだけど)原稿の提出も遅れ遅れになっていたのでした。 ここ数日、コーネルでの実験の進捗がだいぶ明るくなってきたので、ひとつの原稿を出した後に 「コーネルでの本実験も来週からようやく始められそう・・・」と 記したところ、日本にいるある1人の先生(かつての先輩)から「遅れ遅れになっているのは君の責任なんだから、 誠意を見せる意味においても今は自分の実験のことは書かない方がいい。少し無神経すぎやしないか?」という 叱咤のメールをもらいました。最初読んだときは思ってもいなかったことなのでビックリしただけど、 よく考えたら無神経な奴ととられてもおかしかくない指摘だということに遅まきながら気付いたのでした。 なんとはずかしや。実験についてはいろいろ忙しい中でそれなりにトンネルの先に明かりが見えたので、ふとホッとした所から記してしまったが、 彼が指摘してくれたように、今回のような緊迫しているときにその話はしない方が良かった、と心から猛省し、 彼にもきちんと詫びた。最近、あまり人に怒られていなかったので、びっくりした一件だったが、 自分にとってはとても貴重な「アドバイス」だった。 ところで、そんなことがあって少しブルーになっている自分に吉報が日本から届いた。札幌の昨年度の卒業生が 一年、大学編入学のために一生懸命に準備していたのだが、無事に東京都内の大学に進学することが決まったとの知らせだった。 彼女らしい等身大でとても謙虚なメールで心が洗われた。 今日は自分が出したメールが相手の心をきちんと理解していなくて恥ずかしい思いもしたのが、 去年まであーだこーだ、まさやんがいっていた学生から、 とても丁寧な文章のメールが届いた。自分はヒトの気持ちを理解することについてはまだまだ勉強が足りないな、 と反省した一日だった。


2月2日(月)流行り言葉


 Jasonと被験者実験のつめの打ち合わせ。何度もやっている実験なのだが妙に新鮮である。同じような 手順であることには変わりはないのだが、日本のそれと少し違う、そんな違いも楽しみながらやっている。 夜はBOCES。フィンランドに出張していた間にだいぶ国際色豊かになってきた。先日も書いたがコロンビア、 トルコ、そしてスロバキア。韓国から来ていた2人が帰国したので、韓国人も少し減り、全体にバランスが 出てきた感じ。あと同じく日本から参加のYasu。彼も久しぶりに帰ってきた。会社の方針でしばらくイサカに いて修行をすることが決定したそうだ。まさやんにしてみたら羨ましい限りだが、本人は「微妙です・・・」と 久々に聞いた「微妙」という日本で流行っていたか?という日本語だった。そういえばアメリカにも 流行り言葉ってあるようです。今年の米語流行語はなんだと思いますか?別に面白くないんだけど、 先日見た新聞には、「text」を動詞として使うことが流行ったようです。多くは政治家の演説などから 流行るということのようですが、これについてはまさやんはよくわかりません。確かに辞書を見ると textは名詞としてしか記されていない・・・そんな風に言葉も化けていくんだな、、、 中学校とか高校で習った英語を教科書どおりに、例えばホッケーのゲーム前の控え室で話したらみんなひきます。 要するにそんな英語、誰も口にはしないよ・・・ということです。まさやんは最初、そんな感じでした。 NHKのアナウンサーを連れてきた?かのような雰囲気なのかも知れません。会話の場合はなんだかよくわからないけど 形が崩れている。英語もその基本をしっかり学習することは間違っていないのだけど、 日本の英語教育は生きた英語を教えていない。教えることができていない。。。 もともと会話が目標ではない(?)という話もあるわけだが、 いざ飛行機降りて、最初に使う英語ってどんな英語?っていたら「This is a pen.」じゃないでしょ? 今はもう変わったのかな?会話教育ももう少し必要かも知れないね。 流行語を考えただけでそんことまでフト思ってしまった。


2月1日(日)浦島太郎にならないように


 とうとう2月に突入。残り2ヶ月(全体の80%を消化)まで来ました。札幌の学校では卒業制作が締め切られ、 みな卒業生はそれなりに充実した作品を残してくれたよう。審査も無事に終わり、今年穴をあけてしまい、 いろいろな面でまさやんのフォローをしてくれている先生方に改めて感謝、、という一日でした。ただ 油断ならないのが、今の世の中、仕事という仕事がメールで日本からポンポン飛んでくるというのも考え物。 特に今の時期、日本の学校は年度末前で翌年度の準備に入る時期。シラバスの修正や来年度の授業計画、 その他もろもろのことが一気に押し寄せてくる。そんなことをしていると嫌でも日本のサイクルに身体が あわされる感じがするのだが、ポジティブに考えればそれをうまく利用すれば、4月から日本で復帰しても 浦島太郎さんみたいにならないのかなぁ?なんて考えて毎日を過ごしている。

 午後から天気が良かったので車で10分ほどのところにある Taughannock Falls にけんさんと行った。 冬はTrailは開いていないと勝手に思っていたのだが、アクセスもTrail自体もここはあまり危険ではないようで、 開放されていた。もちろん日中だけなのだが。でも驚いたのは結構な人がクロスカントリーをしていたり、 Trailに来たりしていたことである。自然の創る造形美にひたすら驚くばかりであった。


1月30日(金)Cornell vs Colgate


 イサカに来て初めて本家コーネル大学のアイスホッケーの試合を観戦した。アランがシーズンチケットを 購入していて今日のカードはいい試合だから、、、とまさやんとけんさんにも2席用意してくれたのだった。 もうシーズンチケット買っているって最初から知っていたらもっと早くから「スリスリ」していたのに。。。と 図々しいことはさて置き、早速言ってまいりました。BIG REDのホッケーです!さすがにチケットは売り出されたら 即完売!というゲームの雰囲気。外は−15℃くらいなのに中はフロリダのような暑さ(というのは嘘ですが) 熱気ムンムン(っていま言わない?)でした。 会場のリンクはキャンパス内にある伝統ある築50年以上は経っているでしょ?という建物の中にそれは もうミミズのようにたくさんいました。ただでさえ狭い会場なのに、阪神タイガースのファンでも連れてきたかのよう な盛り上がりよう中には上半身裸の学生までいました。試合はColgateが先制して始まりました。アランはすぐに 逆転するよ、、なんて言っているうちに2点目を献上。ホッケー歴14年のまさやんの目には、コーネルはホームという メリットはあるけど、相手のコールゲートの方が上手、というか落ち着いてプレーしているように見えたので、 点差こそ開かないものの「コーネルまずいんちゃうの??」と不安に思っていました。そしたらまさやんの予想、 見事的中。コーネルは慌てて反則の乱発。ほとんど4人、もしくは3人で闘うことを強いられ、結局0対2のまま 試合終了。最後はフラストレーションの溜まった両軍選手が大乱闘、まるで映画の撮影かのようでしたが、 一応玄人を自負するまさやんとしては、ちと物足りないゲームでした。アランもこんな試合はunusualだよ。 また今度良い試合を見よう。。。とリンクで別れました。翌朝の新聞に「もうダメ!コーネル?」と書かれたのは 言うまでもありません(ちなみに昨年は全米4位という輝かしい成績を収めたものの、今シーズンはけが人続出、 昨年のメンバーがごっそりNHLプレーヤーになるために抜け、ぼろぼろの戦績で東部地区では5位。思わず自分の 学生時代の戦績を思い出させるような連敗ぶり。。。ガンバ、コーネル!ミラクル オン アイス!


1月29日(木)ジェラシー


 今日はラボでJasonと実験の打ち合わせをまた長々とした。最近、Jasonは授業で忙しいのだが必ずラボに来て、 まさやんと何か話してから帰る奴になっている。これから一緒にやる実験が面白いと思ってくれているのかも 知れない。最近の彼は以前にも増してとても協力的でまさやんも嬉しい。ところがである。今日はいま修士論文を まとめている台湾のChia-chenが登場した後はその様子が少し変だったのである。Jasonとは金曜日に我々の実験に使う机の セットアップを依頼していたのであるが、Chai-chenができることは一日でも早くやっておいた方がいいとアドバイスして くれ手伝ってくれる事になったのである。元々Jasonとは金曜日にセットアップを全部やるということに していたのだけど、Chia-chenの奉仕の心に感謝して作業開始。 でも、肝腎のJasonは、「今日は俺はやらないからね・・・」となんだか嬉しく無さそうなのである。 こういうときのアメリカ人ってたまにわからなくなる。 Jasonとしては結局、俺のパートナーだ!って思っていたまさやんが都合がよくなったからといって、 別のChia-chenと何か始める、という行為があまりウェルカムでないようだった。特に彼の目から見たら、 まさやんとChia-chenそっくりだからね。笑 Jasonはおそらく軽いジェラシーか?と思ったのだが 困った場面である。なのでまさやんの究極の判断、今日全体の半分までChia-chenとやって、明日残りの 半分をJasonとする、、、そういう方針でいくと二人に伝えたところ、Chia-chenは問題なくOK,一方Jasonは さっきの不機嫌モードから掌を返したように急に元気になり、明日一気にやろう!と鼻息を荒くしながら 帰ったのであった。とにかく今日についてはChia-chen、ありがとう。


1月28日(水)トルコ人+コロンビア人


 今日は久しぶりにBOCESに顔を出しました。フィンランドに行くということでしばらく休みをいただいてたからです。 John(先生)はまさやんを見るなり、早速フィンランドの話をみんなの前でしなさい。。。と小学校の先生のように 言うではないですか。。。まぁするつもりではいたので、素直にしました。みんな興味をもってくれたようで兎に角 良かった。ところでBOCESしばらく来ていないうちに新しい顔が増えていました。トルコからの男性とコロンビアから 女性です。今日はグループディスカッションでトルコから来た人と話しました。すると彼がいきなりまさやんの視界から 居なくなったのです。バッキ!という音ともに・・・。パイプ椅子に座っていた彼は、いま話題のイルハンに似た顔なんだけど、 結構フクヨカで、パイプが彼の体重に負け折れてしまい、彼は椅子ごと転倒したのです。 あまりに鮮やかだったので笑うと言うよりびっくりしました。でもその後まさやんの座っている椅子が 「ミシミシ」といったのです!不安になってまさやんが椅子の足を覗き込むと もうみんな爆笑でした。Johnにいたっては「おいおい、1クラスで2つの椅子を壊すのはまずいからね!」と。。。 しかも初対面のコロンビアの女性がまさやんに「あなたもダイエットが必要ね!」というではありませんか。。。 これには何を言われてもあまり動じないタイプのまさやん、少し焦りました・・・結構素で言われてしまい、 俺ってそんなにフクヨカ?って自問自答したのでした。BOCESは9時に終了。 その後すぐに9:15〜試合開始だったので急いでCassParkに向かいました。控え室で着替えていて、我がチームメイトのフクヨカな身体を何体か見てまだまだ俺はスマートな方だよなぁと 自分で納得したのでした。試合は1対1で、試合終了直前に追いつくと言う勝に等しい分けでした。 でもGarrettがさんざんまさやんに「もう反則はするな」と忠告していたのに、 自分が相手の挑発に乗って相手を殴ってしまい、ゲームミスコンでしばらく試合に出られなくなってしまった。。 相手もずるいけど、、、頼むよGarrett...


1月27日(火)Eriko-san, Daigo-kun, & Alan-san


 イサカエコビレッジにお住まいのErikoさんらご家族をご招待しました。新年会です。というのは年末年始のあたりで と予定していたのが、まさやん&けんさんが体調を崩したのとフィンランドへ行っていたということもありのびのび になってしまいました。お待たせしました、という新年会でした。ところが当日は大雪。晴れていれば車で5分とかからない距離 なんですが、結構場所がわからなかったらしく時間をかけさせてしまいました。この3人、なんだか良いコンビだと 思いました。誰が飛び出ているわけでもなく、引っ込みすぎてるわけでもない微妙なバランスがとれている家族との 対話でした。Alanさんがいたのですが会話の大半は日本語になってしまいました(Alanさん、ごめんなさい)。やはり 5人居て日本人が4人いると日本語多用になってしまいます。でも極力、けんさんも僕も英語で話す意識をもってました。 そうAlanさんの英語ってまさやんには聞きやすいのです。BOCESのテープで聞いているようなやわらかい感じの声です。 温かい感じもありますね。かすれていない、はっきりとした良い声です。デザイナーってのは声もかっこいいと得だね! なんて思ったりしました。まさやんも札幌の職場で、ミュージカルの顧問のM先生に「まささん、声がセクシーだよ!」 とか一度言われたことがあって、そんなこと言われたことがなかったから、しかもセクシーだなんて、、反応に 困りました。その後、うちで役者にならない?だって・・・なんかM先生、3月にNYCに来るかも?会えるといいな。


1月26日(月)Megan & Garrett


 今日も朝から超がつくぐらい忙しかった!午前中は家の掃除、昼過ぎに大学に行き、 アランとジェソンと打ち合わせ。これが当初の予想を超えて延々3時間ほど。これはかなりぐったり来た。 でも今週末のコーネル大学のホッケーのチケットをゲットしたので一緒に行かないか?と誘っていただき 一気に復活。でももう33か?そろそろ限界かも知れない、、、とふらふらになりながら帰った。 帰りのバスの中で思わず転寝をしてしまうぐらい疲労度DかEの状態だった。そして家に帰り本日の一大イベント。 Megan&Garrettとの日本食パーティーである。そう、まさやんがアイスホッケーの試合でGarrettにアシストを してくれたらアシスト一つにつき、寿司パーティーを開く、という約束の第一弾である。 なんと既に3アシストしてくれているので、帰国までにあと2回は寿司パーティーを開かないといけない。 けんさんもたぶんまだ時差ボケから抜けられていないようだが、二人してボーっとしながら寿司を作って スタンバイした。午後6時半。パワー満々で二人が登場していっきにヒートあっぷ!カナダで作られている サッポロビールでまずは乾杯、その後日本食のオンパレードでガンガンいきました。昨日の試合では、 まさやんがまずいところで2つもペナルティをとられ、リードしていたのに逆転負け。少々ブルーになっていた のもあったのだけど、Garrettもどうもその話からしたかったらしく「昨日はまさやらしくなかった。 良いときの自分をイメージしてやるといいよ!」となんとも涙がチョチョぎれそうなコメントを してくれた。Meganにいたってはグレツキー(カナダ人でNHLのかつての大スター)の話を出してくれ、 彼はいつだって良いときのイメージをもってやっている。。。と語ってくれた。まぁなんとも愛情 たっぷりで接してくれる二人には感謝である。もともとGarrettは学生時代に奨学金を得て 欧州にいきオーストリアで発電プラントの建設(技術系)に携わった経験の持ち主。 英語が通じない環境を良く知っている。そして日本が大好き(特に日本食)。 Meganもハワイにかつて在住経験があり日本人を良く知っている。 やはりアメリカ人でも一度(アメリカ大陸の)外に出た人は、内と外の関係を理解しているだけあって、 日本やアジアの理解度や親切度が高い気もするね。出たことないアメリカ人の多くは、例えば日本であれば、 Sushi,Sashimi,SONY, TOYOTAいまだったらSamurai,,,ということにでもなるのか? そうこう話しながら、本日のメインデッシュ・最後はなんと鍋。 アメリカ移住して初めてけんさんがこしらえてくれました。サーモン鍋ですね。ミソスープ!を二人は 連発してだいぶ満足したよう。最後のとどめはGarrettが作ってきてくれた、美味しいケーキ。そう彼は イサカZaZa'sのシェフ。なんでも作ってしまう。時として日本食も?元々ボルチモアにいたときは、日本食屋 「将軍」でバイトをしていたという。その話がまた面白くて、常連でいつも(週に2,3回ぐらい)日本人の 中年の男性が来ていて、「かっぱ巻き」だけを頼んで食べに来る客がいたそうだ。Garrettはそれで「かっぱ巻き」 をおぼえたそうだ。かっぱの意味を聞かれて答えに窮したのは言うまでもありましぇん。そいでもって Meganがさらに元気。もうパワーを完全に吸い取れたけんさんとまさやんでした・・・おやすみなさいませ。


1月25日(日)え、まる2週間も???


 まる2週間もお休みしてしまった・・・ブヒ。そうなんです。イサカに居なかったんです。毎日とかの頻度で 更新を待っていた皆さん失礼しました。実は12から21まで欧州に旅していました。今日は25日。この間いっぱい たくさんあったのですが、逆に12まで徐々に思い出しながら、12と25の間の日記を挟んでいこうと思います。 そうです、明日からは上と下に日記が伸びていきます。乞うご期待! ところで今日は大事な書類をブヒっと札幌に送りました、いやぁイーメールて便利ですね。勝手に飛んでいって くれます。締め切りに間に合ったからまだ良いものの昨日まで怒涛の2週間でした。いや正確に言うと今日ですね。 その書類ってのは、いままでの業績をお耳揃えて全て提出せい!という信じられないお上からリクエストだったのですが、 日ごろからデータを整理していないまさやんにはかなり辛い作業でした。母校の研究室のホームページなんかに 整理されてたりしなかな?なんて淡い期待をして行ってみたら、、、なんと!あったのです!偉い後輩諸君! しかも論文概要まで丁寧にアップされている!!時間がないので事後承諾ということでコピペさせていただきました。 でもこれがなかったら、間違いなくブヒブヒっと締め切りを過ぎていたところです。いやぁ助かった! この作業、とてもルーチンな仕事だと思っていたのですが、まさやんにとっては結構タメになった作業でした。 というのは、いままで自分が研究なり教育なりしてきたプロセスを振り返ることができたからです。頭では こんな感じでやってきたよなぁ。と思っていても実際に文字情報にしてみると頭で考えている以上に結構ハッキリします。 これからの展開に役立つ作業でした。ということでこれからホッケーにむかいます。


1月23日(金)ツアコンになる


 アメリカ・イサカに舞い戻りまだ1日しか経っておらず時差ボケまっしぐらなのだが、 今日も朝から大忙しの日だった。今日はまさやん一日ツアコンをしました。というのは、 旭川にある道立北方建築総合研究所から研究員の方1名がイサカ・コーネル大学に視察に来たのです!! はるばる日本から、しかも旭川からということで、帰国直後とはいえ腕によりを奮って(とは言わないと思いますが)大歓迎でお迎えしました。 なんか日本語が変ですね。研究員の方はHさん。以前、北海道の学会でお目にかかったことが一度あったような 無いような、イサカ空港に降り立った彼はどことなく、研究室の先輩Iたるさんに似た雰囲気で ヨソヨソしながらゲートから出てきました。どことなく口数が少ないところは北海道の人だよな、という 雰囲気が出ていて、けんさんに「口から生まれてきた奴」と言われるまさやんとの会話は9割まさやんが 話して、H氏が1割話すという感じでスタートしました。でもHさんかなり興味深い方でした。 淡々と話す中身に重みがあって久々に日本語で議論できたような気がしました。今日は、まず午前中に アランと懇談、午後はコーネルセオリーセンターでVR技術を開発しているマーガレットを紹介。 ヴァーチャルリアリティの迫力に、無口なHさんも「ブヒ!」ではないけど「Woo!」を連発していて、 マーガレット以下助手の皆さんも爆笑でした。アランと彼は結構似たような研究をしていて、 アランの方が逆に興味をもってくれたよう。これからうまく関係が繋がっていくといいなぁ。 その後はイサカエコビレッジのErikoさん・Alanさんを紹介してそれぞれの施設を見学しました。それなりに 満足していただいたようなので、まさやんも満足。でも夜寝る前に気付いたこと。一日ツアコンをしかも 通訳まで俺やってたじゃん!!だいぶ板についてきたよう。ということで自画自賛したところでおやすみなさい!

1月12日(月)〜1月21日(水)はイサカを脱出!



欧州旅行編 はこちら





1月11日(日)仕事しすぎかも?え?


 パソコンが調子悪い。自分も調子悪い。いやぁ朝から深夜まで日本にいたときより仕事している。 俺って変態かも?そしてまた暮れていく。昨日の深夜ふとつけたTVで大学入学前だったかに映画館で 見た「Working girl」がやっていた。ので思わず見入ってしまった。主人公のキャリアなしウーマンが 買収劇のお膳立てをして、キャリアウーマンモドキ(ニコールキッドマン)を引き摺り下ろし、 ハリソンフォードとハッピーエンドというなんとも脚本は浅い映画なのである、が、あの当時、 日本は世界のトップアメリカを凌ぐか?の勢い。時はバブル。 当時その映画を見ていたときはぜんぜん気がつかなかったのだが、主人公のセリフの中に2,3回ほど、 日本のある会社が目をつけている・・・、日本の動きはこうだ・・・と語るシーンがある。そう今で こそだいぶ落ち着いたが、当時日本はアメリカにとって脅威だったのだろう。。。だいたいロックフェラーを 買収した日系の会社があったが、金に物を言わせてよくも当時そんなことをしたものだと思った。 映画は時の流れを映すというが本当にそうね。いやぁ。そんなことやってるから仕事終わらないのねぇ・・・ 困りました。。。ブヒ。


1月10日(土)信頼関係


 今日はJasonと2月に行なう実験の打ち合わせをした。彼の英語は前からとても早くて 時として「お前なにいってんだ!こら!」と日本語で言いたくなるときすらある。でもきょうは違った、と 書きたいところだが、今日はさらに早かった。でもやはり今日は違った。なにが?そう我田引水だが、 まさやんの聞き取り能力がアップしていると素直に思った。議論と言うのはお互いが信頼関係を持って話すことで より楽しい有機的な方向につながると思う出来事だった。彼の言っていることがわかるから、 前と違ってそれなりに的はずれでない、いやむしろもう一歩かなり突っ込んだ議論が展開できるようになる。 Jasonはまだ大学生だから経験こそないが、いつも真剣だからまさやんは大好きなのである。 いい加減な奴ではないので信頼している。この信頼関係がいまとても大きい気がする。彼もまさやんの 言っていることを真剣に聞いてくれ、精一杯の回答をする。この繰り返しである。 まさやんが今日は先にラボを去る事になったのだが、いつも"Take care, Masa"とか適当なことをいって わかれる彼がまだ残って仕事をするというのに、ドアのところまで来てマサやんを送ってくれたのである。 そう議論がとても楽しかったのだ。実は、フィンランドに出張で出るまさやんの留守を彼がマネージメント してくれることになったのだが、その手順の話し合いをしていて、まさやんとしては彼に全権を一任することに したのだ。彼はそれがとても嬉しかったみたいで。学芸会のセリフのようだが、 「マサの為なら俺、なんだってやるから、おまえは心置きなくフィンランドの仕事に集中して」 みたいなことを言うのである。そして最後はドアのところで堅い握手。いつもとはまったく違った。 帰ってきて数日前にインターネットで注文して届いていた養老孟子の「ばかの壁」をさらっと読んだ。 常識と雑学の違いに気付いていないヒトが多いのでは、、 「ばかの壁」がたちはだかることによって理解しあえない関係ができている・・・ 今日のJasonと自分の会話を振り返って逆の意味で納得できた。


1月9日(金)Andy


 まさやんたちのアパートは2Fである。このサイトのトップページの写真はその窓際から けんさんが頭にタオルを巻きながら一生懸命定期的に撮ったものであるが、とても環境に恵まれた 自慢のアパートである。7棟あってその一番南側に南北軸に立てられた東側(湖側に面する)建物である。 2ベッドルーム。一室はまさやんの書斎ならぬホッケー道具置き場。もうひとつは寝室。そして十分広い 居間。高専のY先生じゃないけど、入口にもう少し工夫があったら(入って中がすぐ見えないとかね・・) もう100点満点だったんだけど。まさやんたちのこの部屋。この不動産会社が管理しているアパート群で はもしかしたら一番かも?とか勝手に勘違いしているのだったが、その期待というか変な誇りが 見事に打ち砕かれる日がやってきたのである。そうわれわれの上の3Fに住んでいるAndyの部屋である。 (前置き長いよね。いつも)彼はとても明るいアメリカの青年っといった感じで、廊下で会っても駐車場で 会っても、夏はプールで会ってもいつもどこでも"Hey, how is it going??"と元気良く話しかけてくるのである。 まさやん6月末に入居したときから挨拶だけは元気良くしてくれるのでお互いにとっても気持ちのよい存在であった。 その彼が以前夏に一回、飯でも一緒に食おう!といっていてなかなか実現できないのを急に思い出して、 この日に自宅に招待してくれた。それで実際に彼の部屋のけんさんと寿司を持参してあがったら・・・ もうそこは別世界・・・ひとつしたの我々の部屋とは大違い。まどりは確かに一緒なんだが。おいていある 家具も部屋の壁の装飾も。なんというか有機的というか・・・猫も2匹いたから、、というのもあるかもしれないが。 でインテリアだけではない。彼はタバコを吸うのであるが、食事の後でタバコを吸うので彼がバルコニーに出た。 そう気温−20℃くらいの厳寒の中に。闇夜に映える月が目の前の湖面を明るく照らし、それに向かって たばこをふかす絵がなんとも「日本で見たテレビCM」のようなのである(こちらではたばこのCMはありません)。 それで圧巻だったのが景色。1フロアの違いがこうも違うのか?という絶景だった。いやぁ天守閣のような絶景。 まったく2Fと3Fでこうも違うのか???けんさんもびっくり。彼はシラキュース出身の30歳。 もともとあるチューだった自分を変えるために酒を断ち(たばこはするが)、いまはそんな人たちを 助けるためのカウンセラーを管理する仕事をイサカでしているというのである。そうもともとはシャイ。 で、自分の殻を常に破っていかないと・・・と意識して人に明るく声をかけたり、やさしく接する事で 自分をコントロールしているようだった。アメリカ人は自分の過去を正直にカミングアウトする ことで相手がどんな反応をするのか試されているような気もした。けんさんもまさやんも基本的には あまり過去のことには動じない方なので淡々ときけたのであるが、それは彼にとっては小気味良い反応だったのと 同時に少し予想外だったようだ。実際彼は疲れていたようだったので早々失礼したが、とても深ーーい ディナーだった気もする。今度は下に誘ってみようっと。


1月8日(木)これも成長でしょ?


 今日はというかもう日曜日です(本当は、いや月曜日深夜)。なんだかまた忙しい日々を送っている。 日本にいる自分の恩師がある国際共同研究プログラムに日本代表として参加している関係で、 札幌に赴任した後もまたイサカに来てからもそれに関わる仕事をさせていただいている。 とはいっても元々自分のためにやっていた研究が、幸か不幸か、いや幸に決まっているが、 国際共同研究プログラムという聞こえの良い、いや聞こえだけでなく実質を伴うような活動になってきている。 それが今はとても嬉しい。3年の期間を経て今回そのまとめの会議がフィンランドで行なわれる。 明朝、その仕事にむけてまさやんは北欧に向かう。過去に記した文章(もちろん英文)をバージョンアップ させる必要があり、それを昨日からはじめ先ほどようやく終わり、Emailにて横浜に送信。これで なんとか間に合ったか?と思いきや実は日本は祝日でした。チャンちゃん!よくあるんだよね。こういう 時差以外の祝日差ボケ(?)。まぁ終わってあとは後輩Kの頑張りに期待したい。ところで今日のトピックスは 英語である。6月に来たときより間違いなく成長していると思った。そりゃぁもうまだまだでしょ?って 自分を感じない日はないんだけど、増してや昨日書いた文章(↓)ひどいね。これを日記で公開しているんだから お前も落ちたもんだな、と自分で言ってしまいそうだけど、間違いなくしたの文章には数多くの誤りがちりばめられて いると思うが、来た当初に比べ英文をつくるスピードが早くなったのである。そうそう来た当初はそれこそ 10行ぐらいのメールを打つのに1時間くらいかけるときもあったのだ。最近は、とにかく頭に浮かんだフレーズを 書きなぐりならぬうち殴り。多少辞書を引く事もあるが引く回数もだいぶ減ったような気がする。 まだまだだと思うが速読もしかり速書も大事なことかも知れないと感じるわけである。なるべく 会話のような状態で書きなぐる。校正は後からでも、、、そんな感じで最近はやっている。これも成長?どうだろ?


Korea, 7th Jan on Wednesday


 KOREAN community in Ithaca is larger than Japanese. Chinese are also more than us. In this background we can have an opportunity of conversation with them rather than that in Japan. At the BOCES which is English class as second language in Ithaca area as well as the other situation such as shopping, hobby, whatever they can be required. Ken-san has conversation with them at the BOCES class every morning. She actually stepped her class up to two grades at the last class in the last year. In fact I felt that she has had progress in her English after she came here in last July. In newly her class (Level 5) in this week was boring for her because there are lots of Korean people which her class is occupied 70-80 % of Korean. Actually Korean students are over 10 in her class of 13-15. In the break she tried to talk some classmates but unfortunately they almost speak their language so that she had to be alone. After the class she told me what they happened at that time. I told her that don't worry about it especially in first period. If a couple of weeks would be past, they could be good atmosphere for her. But she almost disappointed in her class. I think it will be change day by day from my experience in the evening class. Good luck, Ken-san!


Progress, 5th Jan on Monday


 Last night Ithaca had snow, the around of my apartment became brighter than yesterday. I like this scene meantime it's difficult to manage something in the outside and to drive the roads. I'm actually focusing on the effect on the brightness from the snow surface brought by the reflective sunlight. This brightness, that is daylight can be utilized as substitute for the electric lamps such as flourescent light. This season my colleague and I are trying to make it clear by the survey and some experiments in Ithaca and Sapporo, respectively.

Today Jason and I talked about our project. It is long time no seeing and talking with him because of Xmas holidasy. His English, I mean his English came from Brocklyn so it's pretty quick and there are much his stuff, was easy to understand for me. Ken-san is taught English as a private lesson by Megan. She told me Ken-san's English also has had progress. Tonight I went to the BOCES class, I felt that what John was talking about tonight is easier than that in the last class. Eventually both of us certainly can be progressive in English!! By the way, last Saturday evening U.S. Rover Lands, beams home dramatic Mars images!! As you know this news in Japan, a robotic explorer beamed remarkable images of the bleak Martian surface back to the Earth. Those kinds of technology are also progressive, too!! In this connection some Cornell stuff are related in this huge project organized by NASA.


1月4日(日)5人+GKで闘う


 今晩からイサカも久しぶりの降雪。深々と積もっている。明日はドカ雪になっていないといいのだが・・・ でもって、2日続けてホッケーネタ。興味のない人すみません。。今日は今年初のホッケーのゲームがCass Parkで あった。キャプテンのBradから試合前に「Masa、今日は来るのか?」と電話があって、なんか変だなと思ってリンクに いったらGKとプレーヤーが4人しか居なかったのだ。そうまさやん入れて5人である。コーネルの春のセメスターは 1月末からなのでほとんどのチームメイトがイサカに帰ってきていないのだった。 日本ではキムタク主演のホッケーのドラマがオンエアされるらしいが、知らない読者のために説明するとホッケーはプレーヤー5人とGKで敵と対戦します。 かなり速いスピードで動く競技なので、サッカーのように連続してはさすがに動けません、 それで途中でセット(5人一組)をなんどか交代しながらプレーします。そう勘のいい 読者はもうわかりますよね???ずばり今日は交代要員が居ない・・・。 ベンチはNobody、3Pをとおしで交代なしでプレーしないといけません。 幸か不幸か5にん+GK で試合はできるということでFace off。 まさやん初めての経験でした。余力を残しながらプレーしない といけない、しかも相手はリーグ一凶暴なチームで敵のベンチを見るとずらりと3セットはいる。 なんだか俺に出させろと刑務所のフェンスか動物園のおりから手を出している化け物のような状態で 「ぎゃ^ぎゃー」喚いている。もう参るよなぁ。新年早々。 でも気合を入れなおしプレーする。3分も経たないうちに1点を献上。 あ、今日は何点取られるのかな?と正直に思った。でもアイリッシュアメリカンGary、なんだか神風ニッポンもびっくり するぐらい気合入っている。よっしやるかと、Garyアシストで1点をまさやんゲット!1対1になりやした。そうたらもう 敵が今度は「誰か酒でも飲ませたのかよ!」というぐらい凶暴になってきてしまいやした。まったくこれだから困るよな。。 とかなり冷静になりながら、多少不気味な笑みをうかべてまさやんもチェックを敢行して相手に応戦していました。 もう相手はホッケーからボクシングにチェンジです。まさやんには「あしたのジョー」のテーマソングがかかっていました。 殴られても相手のプレーヤーが減る(反則になると人数が減ります)分には自分が楽になるから、 1発は殴られても反応しないと、我ながら変なルールを決めて臨んだのでした。交代要員が居ないからできる決心だった。 そうこう我慢していると点は取られてもチャンスはめぐってくるものでまさやん本日2点目。 辛抱しながらの戦いは審判も味方になるよな?という日本式お情け頂戴アピールも見事成功しながらの、脳を酷使する 戦いでした・・・最後は敵のGKと1対1になったのでハットトリックか?とか思ったが気負って外してしまい本日2ゴール1アシストで終了。失点は9点ぐらいか、多すぎて覚えていない。 garyもまさやんのアシストで1点決めたので3対9というスコア。まぁ1セット交代なし対3セットでやっているのだから、良くやった方だと 自分を褒めているところ。試合終了後は紳士になろうと「Good game」といってきちんと握手。さっきまでの狂人と化して いた相手も今日のわれわれ5人+GKの奮闘振りに賛辞の言葉をかけてくれる者がなぜか多かった。この辺がアメリカ人だよな、 妙な感心をしてしまった。ゲームはシンドかったが日記を書いている今はなぜか気持ち良い。終わりよければ全てよしだね。 ところでまさやんの後輩が日光で全国大学選手権に臨んでいるはず。結果がとても気になるところ。確か1回戦は関西の 龍谷大学。勝てるよな。え、厳しいって?頑張れ後輩!!でも今日は疲れたさぁー(北海道弁)!


1月3日(土)Mattの応援


 年末から体調を崩しているが、なかなか復活できないでいる。どうも治りかけに無理をするのでまたぶり返す。 という悪循環のような気がする。しっかり休まないといけないよね。でも今日は前から約束していた、Alan(所属先の教授)の 息子Mattのホッケーの試合を観戦にいってきた。Alanの奥様Maryとまさやんとけんさんの4人でイサカから車で40分ぐらいの距離の Elmiraという街まで応援にいった。MattはElmira Junior JackalesのFWでチームの中心選手である。去年まで地元のイサカ高校の アイスホッケー部で活躍。今年はセミプロで一年ホッケー三昧の生活を体験し、来年、父の勤めるコーネル大学のアイスホッケー部の トライアウトを受ける予定とのことである。ジュニアといってもみな身長は175cm以上。身体のつくりはほとんど大人である。 実際、今日の対戦相手Pittsburgh Junior Penguins(NHL:Pittsburgh Penguinsのジュニア)もかなりでかい。Alanは「今日は 点の取り合いだよ」と試合前に言っていたがまさにその通りの展開になった。第1ピリオド序盤、いきなりMattが一人抜けて先制弾を ペンギンズから奪った。これには父親Alanも母親Maryも大喜び。でもその2分後から立て続けに4点入れられ1Pを1対4で終えた。 2Pに入ってもエルマイラの動きはよくならず(Mattだけは孤軍奮闘していたのだが)、1対5にまで得点差は開いた。だがここからである。 相手の不用意な反則でのパワープレーで確実に加点し、3対5まで迫った。そのときのMattの動きがすばらしかったのである。 文章だとうまくかけないのだが非凡なセンスを感じた。エルマイラはMattのいる第1セットは相手より強いのだが、 第1セット以降はどうしても敵のセットよりパワー不足が否定できず、 敵もそのへんはうまく考えていて、1セット目をエルマイラの2セット目、3セット目にあてるようにしていた。 体力の消耗が激しくなる3Pには立て続けに加点され、試合は5対9でエルマイラの負けであった。でもマットの1ゴール4アシストとすべての ポイントの絡む活躍には脱帽であった。Alanは途中からゲームの展開に夢中になってしまい、味方のDFやGKの不甲斐なさをまさやんに 訴えていたが、そんな父の姿は、新横浜のプリンスJrを少し面倒見ていたときに接した親の姿とまるで同じだった。そう親の方が子より 真剣なのである。だから味方の選手の癖なんか良く知っている。ミスをすると「彼はいつもあそこで同じミスをするんだよ・・・・」と まさやんに嘆くのである。GKにいたっては「奴は最低6点はとられる。まるでバスケットボールだよ!」とOh My God!!のポーズで嘆いていた。 まぁそんな気持ちもわかる、肝腎のMattはミスもほとんどしないし、確実に点に絡むし、FWだけどキルプレーではDFもやる。乱闘もしない。 さすが英国紳士のJrという感じである。顔も格好いいんだな、これが(今度アップします)。Maryに聞くとAlanは一人でもよく応援に来るらしい。 大学ではインテリな雰囲気ばりばりだけど、週末は熱い親父に変貌するのだな・・・と新たな発見ができたのであった。明日はまさやんも04年初試合である。


1月1日(木)脳の使いかた


 元旦である。平成で言うと15?16?どっちだ?最近、札幌の住所や電話番号が出てこなくなるときがあるが、平成何年かも 出てこなくなるときが少なくない。30代だからなのだろうか?脳みそが縮小しつつある兆候なのかもしれない。 でも脳の退化ということより脳の使い方が変わってきているように思う。どうでもいいことと、大事な事をハッキリとわけるというか。。。 20代のころはどうでもいいこと、大事なこと、その中間ぐらいのこと、が若いだけあって境界線をひくことができずにどれも全力で向かっていたような気がする。 それに対して最近は、最初からはっきりしていて(決め付けていて)、どうでもいいことには力を入れない、記憶に残さない、右の耳から左の耳へ、、、と その中にも段階を自動的につくって処理している自分を感じる。そうやって感動することなんかもやっぱり減っていっているのかなぁ?それだとなんだか悲しい。 そんな一連の流れもやはり自分の脳を使って考えているんだよなぁ。 紅白の後のNHKの特番で養老孟子と犬飼道子(犬養毅の孫娘、作家です)の対談をしていて延長してみていたのだが なかなかふーんと納得させられる内容だった。対談のテーマはひろいのだが、要約すると「人間愛を論理的に解釈する」というテーマのような気がした。 「論理的に」というところを養老孟子のバッググラウンドから補足するなら「脳科学の知見から」ということになるのだろうか。 いずれにしても久々に耳にした高尚な日本語による対談であった。一番腑に落ちた養老氏のことば「テロだテロだと日本人はよその国で起こる ことのように言うが、同じことを過去にも自分たちでもやっている(犬養氏が暗殺された515事件→第2次大戦・学園紛争などをさして)。 どういう結末を迎えるかも結局は脳の使い方の違い。」「幸せの度合いが強いと、ヒトの不幸の度合いがわからなくなる」 うーーん、文章にしてしまうとなんだか当たり前な感じになってしまうのだが、自分の脳に記憶として残っている彼のことばはとても新鮮で、 自分にとって腑に落ちた一言だった。犬養氏の言葉もなかなか迫力があったが彼女は言葉と言うよりも、彼女の体験が言葉に強く(重く)乗っかっている 感じで迫力が出ていた。5・15事件で、「話を聞こうじゃないか」と言ったおじいちゃん(犬養毅首相)は「問答無用」と青年将校に射殺されたが、 「話をしても決着を見出せない」ことは「おじいちゃん」の方がむしろ覚悟できていたことだったように思う・・・そんな第3者のような分析を孫娘がしていた。 祖父の壮絶な死は、当時10歳の彼女には大きなショックだったのだが、彼女は祖父を殺した青年将校らを不思議と憎まなかったそうである。 先日のNYタイムスに、9・11のときWTCで尊兄を失った弟の言葉が紹介されていたが、テロが起きてしまう背景を世に訴えるものだった。 彼女の分析に近いかもしれない・・・ということでまたまた収拾がつかなくなったが、2004年もがんばっていきたい。


12月31日(水)紅白をみる


 今日は日本語では大晦日。アメリカでは特別な言い方はない。前からコーネルで日本語を教えるK先生(もちろん日本人)が 年末年始に日本式パーティーを家で主催するとのこと。誘われていたので鼻水ジュルジュルではあったが参加した。なんと K先生の家、サテライトで日本のNHKの番組が入る。そうNHK、年末大晦日、といえば連想ゲームではないが、「行く年くる年」では なく、その前の「紅白」である。こちらの放送ではアメリカの時間にそれなりにだいたい合わせて(アメリカ大陸には4時間の時差がある)、 衛星から中継してくれる。そう日本から14時間遅れの紅白をアメリカに居ながら見ることが出来るのである。けんさんと それはもう見逃したら日本人でないと思い参加させてもらった。けんさんの筑前煮(?)を食べながら、K先生がゲットした Momokawaという吟醸酒を楽しんだ。もうそれはまるで日本である。小林幸子の大衣装がうまく開かなかったような気がしたが、 個人的には大満足の紅白だった。総合司会の女性アナウンサーは個人的に好きなタイプの女性だったが、ちょっと気合が入りすぎていて 興ざめした、というのもある。でもあめりかで紅白。うーーんなかなか日本人だな、改めて思った。K先生に感謝。箱根駅伝も見たいところであるが。。。 年明けは2日からアメリカ人並に働こうと思う。。。2003年に感謝。


12月30日(火)ひとつ歳をとる


 33歳になってしまった。そう「なってしまった」という表現がぴったりだろう。もう33。あと7年で40。当たり前の ことを考えつつ迎えた誕生日だった。少し体調を崩してしまい、鼻水ジュルジュルの誕生日であった。もうあと2日で 年越し。滞在もあと3ヶ月を残すのみである。いやぁ早いね・・・でもアメリカにいると全然年越しという感覚がない。 毎年自分の誕生日の日は周りがあわただしく正月準備をしているのが常だったが、それは日本の話し。アメリカは今日も平日であるから 普通に工事現場で人が朝早くから働いていて、銀行も郵便局もみーーんなやっている。年明けも2日から普通に働くそうだ。 さすがアメリカ。でも日本のように年末年始、家族と一緒に過ごし一年の出来事や新年の抱負を、一度リセットしながら 考える時間があるというのもまたいい文化だと思うのである。まぁアメリカはそれを12月25日のXmasにやる、ということなのだろう。 ところでケアンズに1ヶ月のワーホリに行っていたHからメールが届いた。人生最大の岐路を迎えているようだ。Hからのめーるは いつも心が温かい。どんな状況に奴がいたとしても。自分もそんな人間になりたい。さぁ、まさやんに何ができるかわからないが連絡してみようと思う。 とうとう33になった。気分を入れ替えてがんばっていきたいと思う。


12月27日(金)Ayako-san


 今日は同期Yと別行動、Yらはかねてから楽しみにしていたミュージアムツアーに朝早く出た。 朝から少しけんさんもまさやんも体調があまりよくなく、すぐにイサカに帰ろうと思ったが、 今日は高専の卒業生AyakoさんとNYCで会う約束をしていたので、これも逃してはやはりなるまい、と気合を再びいれ 正午に宿泊先のホテルのロビーで再会した。Ayakoさんは高専のミュージカル部「I'm」で活躍してきた役者である。 身長はまさやん以上。流石、役者だけあって歩き方がすごく格好いい女性である。 この秋、北海道の芸術系財団の留学プログラムに 採用され、一年の予定でNYC(マンハッタン)のダンススクールに通い、単身武者修行にきている女性である。

 彼女のシンボルであった長いロングヘアはばっさり切られ、 ショートヘアになっていたAyakoさん。やはり気合が入っているだけあって一味違う雰囲気をすでにもっていた。 きて2ヶ月ばかりというが、もうすでにNYのテイストが身体にしみ込んでいるかのようだった。 けんさんと3人でまずは再会を祝してChina townに食事に。まさやんお勧めの(一押しの)上海ジョーズ(?)の小龍包(あってる字?) を注文し、3人で美味い美味いを連発しながら高専時代の話やAyakoさんの学校の話し。さっぽろにいる仲間の話をした。 やはりお互いのバックグラウンドを知っている、というだけあってとても楽しい時間を過ごす事ができた。その後で リトルイタリーの端にある喫茶店に入って延長戦に突入。まさやんらが帰るバスが出発するギリギリの時間まで付き合ってくれた。 彼女が話してくれた中で印象に残った言葉がある。1つは「自分はなるべく笑顔でいたい。自分が笑顔でいられれば相手も・・・」 もう1つは「異国で暮しているといろいろとげんなりすることもあるけど、できる限りポジティブに考えたい・・・」 まさに同感であった。とても存在感のある子なのでけんさんはまさやん以上に驚いていた。 札幌高専の卒業生がみな各地でがんばっている。そう思うとまさやんも元気になれる、元気をもらった気がした。 来月はフランスでRieさんとも再会する予定である。楽しみである。


12月26日(木)初NHL観戦!


 ホッケーを始めて14年ほどになるが(早いもので)、人生初のNHL観戦をした。ゲームがマジソンスクエアガーデン。 NYレンジャースのホームリンクである。このスタジアムに入るのも初めてだった。予想していたより中はこじんまり。 でもリンクが思っていたよりかなり近くに。プレーヤーは皆身体が大きいということもあるが、とても大きく見えて満足の席だった。 さすがNY。レンジャースファンがほとんどである。相手はトロントのメイプルリーフス。現在、Divisionの首位にいるチームだった。 ここからはホッケーファンで無いと面白くないかもしれないが、トロントはさすが首位チーム。13年のキャリアのまさやんが見ても わかるくらい安定した(無理のない)ホッケーを展開していた。逆に言うとギリギリのことはしない。とにかく安定型であった。 要するにセオリーどおりの守り・攻めという繰り返しだった。いっぽうレンジャースはまったく違った。それなりにスター選手が 何人かいるのだが、セットによって戦い方がばらばらなのである。一番力のある第一セット(マーク・メシエのいるセット)は、 とにかくフォアチェックがんがん。DFのチェックも殺人的。でもパワーはあるのだが、突然ポカッと穴が出るのである。 観客はエキサイトするセットなのだが、そのポカっとあいた隙を相手のトロントは見逃さなかった。一時1対4になったときは もうゲームも決まったかと思ったが、この日のレンジャースはここから盛り返す。3P終盤にギリギリで追いついたのである。 ゲームはオーバータイム戦に。終始勢いで後半から押していたレンジャースがパックを支配するが、これも一瞬の隙だった。 一対一を抜いたトロントFWがノーマークゴールを冷静に決め試合終了。会場の99%がレンジャースのファンはブーイングで 家路に。夏にヤンキースの試合を見たときも9回表に敢え無く逆転され負け、まさやんにとっては2試合連続のNYホームチームの負け。 いる間にまた来ようと心に誓いマジソンスクエアガーデンを後に。でも最高に面白いゲームだった。さすが興行。脱帽である。


12月25日(木)いざNYCへ


 今日は東京から学生時代のホッケー部の同期がNYに来る。NYCで合流するためにバスでNYCにむかった。昨晩から 高熱を出していたけんさんは奇跡的に熱も下がり若干調子が悪そうだが、予約していた宿をキャンセルするのももったいないし、 けんさんも楽しみにしていたので出かけることに決定。朝7時20分イサカ発のバスで延々5時間かけていった。ひさしぶりのNYC。 街はすっかりXmasカラー・・・と思いきや。シャッターを閉めている店ばかり。そうクリスマス休暇。アメリカは本当に休暇なのである。 日本は最近正月かデパートも初売りとかいって店を開けるが、アメリカはしっかり休む。そう昨日もかいたが家族と一緒に過ごす日なのである。 夏・秋にきたときにはにぎわっていたNYC。12月25日のNYCはまるで盆と正月の皇居周辺の雰囲気そのもの。閑散としていた。走っている車も めちゃくちゃ少ない。タクシーもまばら。イメージとはだいぶ違った。でもタイムススクエア・ロックフェラー周辺は観光客が局地的に 集まっていて店もいくらか開いていた。ここだけは時間は関係ないらしい。

 同期Yとは昼過ぎに宿泊先のホテルで再会。連れの彼女も一緒だった。半日近く飛行機に乗ってきただけあって、またギリギリまで 仕事をしてきたようなので2人ともかなりお疲れのようだった。日本(東京)での時間の動き方がイサカのそれとは少し違う気もした。 あ、俺は札幌にあと3ヶ月して帰るけど、日本の流れになじめるだろうか?急に不安になった瞬間だった。 映画にも出てくるお馴染みのロックフェラーセンターのスケートリンク。滑ってNYっ子の注目の的になろうとYと企んだが、 あまりに芋を洗っているかのような混雑ぶりに諦め、大きなツリーの前で記念撮影。それでよしとした。 明日は初のNHL観戦。楽しみだ。けんさんの調子もだいぶよくなってきた。


12月24日(水)アメリカのXmasイブ


 ひと月前にはサンクスギヴィングというアメリカ特有の休日があったが、Xmasもアメリカ特有の文化だろう。 コーネルもだんだん学生が散っていき、また家族と一緒に過ごす時間がくるという。日本のように恋人と二人で 過ごす、そんな学生はいなくもないのだろうが、あれは日本独自の文化なのだろう。はっきり言って笑えると思った。 商業主義先行の日本とアメリカはだいぶ違う・・・と思いきや、アランに聞くとアメリカもイギリスも神のことなんて 考えているやつはそういないとのこと。家族みんなで買い物をして食事をして一年を語る、それだけのことだ、ということである。 ということなので商業主義先行はなにも日本だけということではないようだ。にしても日本は有名どころのホテルは予約が 殺到し、家族とでなく恋人と過ごそうとする、またメディアもそれをアオル・・というと驚いていた。いやはやおかしいらしい。 子どもの頃を思い出した。サンタクロースが本当にいると、小学校6年まで誰にもいえなかったが本当に信じていた。 アメリカの子どもたちもそうらしい。最近めっきり変わりつつある日本であるが、当時、夢を与えてくれた家族や仲間 たちに感謝したい。けんさんが風邪で高熱である。看病をして過ごすクリスマスも初めてだった。


12月23日(火)53F


 最近、とても温かい日が続く。先週まで降っていた雪も今週はまったく降っていない。そうほとんど溶けてしまった。 今日のWeather forcastで、イサカは53Fということである。摂氏温度にすると12℃。もう春になったかのよう。なんだか 異常気象のような気がする。ボストンはちなみに氷点下である。気流の通り道か否かで同じ緯度でも気温はだいぶ変わる。大陸 の特徴だよね。。。体調がすこぶる悪い・・・気をつけないと「どかーん」ときそう・・・?


12月19日(金)間(ま)のとり方


 アメリカに来て、やはり同じアジアから来たということで韓国・中国そして台湾の人たちと触れ合う機会が比較的 多い。実際、コーネル大学にもその3国からはたくさんの学生・研究員が来ている。日本は東アジアでは4番目ぐらいの 規模だと思えばよい。今日は研究室に所属している、台湾出身のChia-chenと久しぶり長時間話をした。彼はいま修士論文の執筆真っ只中。 相当忙しいのだが、たまにはランチでもと外に一緒に出た。彼は台湾で心理学を大学で専攻し、軍隊でカウンセラーを 経験した後(台湾は徴兵制があります)、コーネル大学の大学院で(心理学+人間工学)÷2の勉強をしにきている。 修士論文のテーマは、コンピューターマウスのデザインの違いと作業効率の関係を明らかにすることである。 彼とは年齢も比較的近い(まさやんが3歳↑)から話もよく合う。印象に残った話に台湾の建築事情があった。

 日本では建築家が施主(クライアント:お金を出すヒト) に依頼を受けた後、建築家が自身の作品として残すべくクライアントを 時としては説得して作業を進めていくのに対して、台湾では建築家はあくまで施主のロボットということである。 だからせっかく大学で建築やインテリアデザインの勉強をしても(留学しても)・・・という意味のようである。 とにかく施主は効率至上主義で、少ないコストで最大の利益が出るビルの設計を要求してくる、というのである。 日本も同じといえば同じ状況でもあるのだが、Chia-chunが言うのには日本は(見た目が) 美しい建築が多い、という。 まぁそれはある意味バブル期に、金をかけて大量に(一部へんな)建築を生産した、という側面があるのと、 いま日本は経済が停滞気味とは言われているが、むしろそれは本来の姿で、効率の計算ではじけない効果を 建築に期待しようかな?というポジティブな施主が徐々に現れてきている、ということになるのだろうか? 環境性能の良好な建築が評価されるようになったのも、その潮流の表れなのかも知れない。 (もし建築関係の読者で異論反論などありましたらメールをください。かなり直感で書いています)で、 Chia-chunが言うのには、韓国も台湾と同じ効率至上主義でちっとも建築が面白くないことのようである。 かぎになることは「施主・建築家・エンジニア・住まい手」の間(ま)のとり方に集約していくような気がした。 彼は日本が建築も人間も料理も漫画も家電製品も車もみーーんな好きらしい。 日本のファンだ、というのである。だから歴史も良く知っている。われわれが台湾のことをよくわかってないのが 恥ずかしくなるくらい。話を戻すが、彼がアメリカに来て元々の専門である心理学とインテリアデザイン・人間工学 を勉強しようと思ったのは、アメリカが一番その分野で進んでいるから・・とのことであった。 そういう意味では彼から見ると、日本のファンではあっても、彼の専門分野では 日本もマダマダ、という彼のシビアな判断が逆によくわかった。どうも心理学(学問)とカウンセリング(現場) には相当の乖離がある、研究者−現業の間が悪いということなのだろう。建築も似たような話があるわけである。

 ところで日本時間の昨日、横浜で行なわれた後輩Kの学位論文の公聴会は無事に終了した、とのメールが届いた。 Kのメールは以下のような内容だった(抜粋)。 「脳みそが沸騰したような感じです」「質疑応答では、質問に対し、とにかく黙らないで、 何らかのリアクションをすぐ出すことに徹しました。」とあった。最初の言葉、「沸騰」とはまさにぴったりの言葉。 で次の「何らかのリアクションをすぐに出す」これは、まさやんがアメリカに居てとても強く感じることでもある。 日本人は「言わなくても感じろ!」「感じて・・・」みたいな独特の間があるが、アメリカは少なくとも間はない。 すぐにリアクトしないとホッタラカシにされる、という表現がぴったりの場所である。最初、これに慣れるのに とても苦労した。リアクションをすぐに出さないといけないのは、なんだか早押しクイズの回答のような雰囲気に なってしまうときもあるが、瞬時に考えすぐに口か行動に移す。その環境に慣れる、感じるだけでもかなり勉強に なっている気がする。慌てる必要は決してないのだが、時間は止まってくれない。 間の取り方もケースによるのだろうが、Kも日本に居ながらにして鍛えられているなと感じた。


12月18日(木)Hedge Jr.


 今日は研究室で久しぶりにAlanと話しをした。研究の話しから始まったのだが、話がそれてホッケーの話しになった。 そう2日前の初ゴールの話しである。彼には息子2人と娘さんが一人いる。長男はコロンビアのロースクール(まぁ優秀なのだろう)、 で次男はどこに所属してるか知らなかったのだが19歳でアイスホッケーをしている、とは聞いていた。 で16歳の高校生(イサカハイスクール)に通う娘さんがいる。で、普段あまり雑談をしないAlanは用事が済むと 自分の部屋に戻るのだが今日は少々違った。そう、ホッケーが結構好きだったのである。しかも次男のホッケーの試合には 必ず見に行くという。の割にはリンクで会わないよな?とか思っていたら、次男がやっていた場所(レベル)が全然違った。

 なんと次男Mattは、Ithacaから50マイルほど離れたElmira(エルマイラ)という街をホームタウンにしている、 Elmira Jackals というNHL傘下のマイナーの ジュニアチーム・Elmira Junior Jackals でバリバリ現役のFWだったのである。ジュニアといってもプロといっていいレベルである。 そのうち上(シニア)に上がるという。しかもさきほど、 ためしにGoogle.comで「Hockey Elmira Hedge」と検索したら、出てくる出てくる、Mattの偉大な記録が(ホッケーの)。 例えば、 ココや チームのWebsiteを見たら、結構キーマンになるレベルのスコアをたたき出しているではないか? しかもイサカ高校時代はチーム一のスタープレーヤーで地元紙Ithaca Journalにも結構記事が紹介されていたのである。 NHL LAキングスに行った友人もいるという。所属チームの戦績はイマイチ(最下位)なのだが、 いずれにしても、そんな話しは今日初めて聞いたのでちょっとびっくりだった。 しかもホームゲームがあるたびに、家族で車に50分乗って応援にいっているというではないか?「Masayaも一緒に今度行こう!」と 誘ってくれた。Alanとは研究の話ししかしない感じでいたので、最近になって「もっといろいろ下らない話しとかもしたいよなぁ」 と思っていたところだった。けんさんが言うには、まさやんの顔つきもだんだん慣れてきて「硬さ」が取れてきたから・・・と いうのもあるのではないか?というのだが、確かにそういう面もあるかもしれない。 今まではどちらかと言うと、Alanに対して少し構えている自分があった気がする。 今日のAlanも自分には何か違った気がした。自分もホッケーの話しには少し興奮していたような気がする。でも 人間に内面ってヒトにもよると思うが、でまくりの人と、あまり表に出ない人がいるけど、Alanはあまり表に出ない人かな?と 思っていた。だけど今日だけは違った。「垂れ流し」ぐらいの勢いで笑いころげるような話しができた。 しかも娘さんも高校でホッケーをやっているよ。というではないか?もっと早く言ってよなぁ!と思ったが、 彼もまさやんに話すタイミングをもしかしたら探していたのかもしれない。 ということで、さきほどMattの試合のスケジュールがAlanから送られてきたので、けんさんと一緒に 連れて行ってもらうことにしようと思う。でも正月の3日からゲーム開始って、アメリカでは普通なの? 日本でも天皇杯とか箱根駅伝とかあるけど、日本人の素朴な感想。こっちでは普通に2日ぐらいから仕事らしい。

 最後に、今日というか日本時間の12/19(金)の午後、ということはほとんど今?は、まさやんの大学院の後輩Kの学位論文の 公聴会が行われているはずである。Kはコツコツとやっていくタイプでそうね、まさやんとは正反対のキャラかもしれない。 Kが4年生で研究室に入ってきたとき、まさやん博士課程の2年生だったか?夏の暑い実測で結構怒ったりして、 「涼しさの研究をやる人はアツイんですね?」とさらっと言われたときは、ハッとさせられた思い出がある。きっと 今ごろ一生懸命がんばっている頃だろう。吉報を期待したい。じゃ寝よっと。


12月17日(水)初稿 提出


 いそがしい割にはホッケーをしているんだから、仕方ないよ。と自分にいつも言い訳をしている。今日はいままで溜まりに たまってしまっていた原稿(初稿)を提出することができた。アメリカに来てすぐに片付けようとおもって半年以上、 普段からの心がけが大事だよな。とこの日記の更新もそうだがいつも思う。溜めて溜めていっきに書く。 そんなことでやっていくのももう33歳になるのだからここらでケリをつけないとまずいよな、と反省する。 毎日継続してやること、簡単なようでいてこれが一番難しいことである。もっと成長しないといけない。ということで前のめり になっている。反省だけは一丁前なんだよなぁ。自分で言うなって?


12月16日(火)初ゴール


 今日はアイスホッケーの試合で記念すべきアメリカ上陸初ゴールを決めた。自分で言うのも難だが自分らしいノーマークをとってのゴールだった。 単純に嬉しい。なかなかゴールできなかったので本当に嬉しかった。 チームメイトでいつもフォローをしてくれるGaryも祝福してくれた。アシストこそ付かなかったが、 Garyはノーマークをとったまさやんに迫る敵のDFを抑えていてくれた。走り出したときの右奥にかすかに見えた。 Bradも日本人初のゴールかも?と。 いままでチャンスは何度かあったのだけどキメあぐねていた。 相手の執拗なチェックにも少し苛立っていはいた。審判のジャッジにも少し不満をもっていた。 なんだか日本でやっているのと少し違う、という苛立ちも正直あった。そう言葉も氷も、身にまとっているプロテクターも何もかも違う、 そんな環境だったので、いくらシュートを打っても狙ったところから一寸ずれていたのかも知れない。 でも今日は少し違った。いつもより余裕をもって全体を見ながら試合に参加できた。相手のいいプレーには素直に賛辞を送る事が できた。興味深いことにそんな風にやっていると、試合相手なのに「Nice play!」と相手からも声をかけられた。 試合は負けてしまったがこの日を一生忘れないだろう。趣味とはいえ、ホッケーでこの大陸と繋がっている気さえする。 ホッケーに出会たこと、そしてアメリカに感謝。


12月15日(月)逮捕の後


 またまた週末になってしまったが、開き直りの週記のはじまりである。フセイン逮捕は米国時間の日曜日早朝にアメリカに第一報が 入ったのだが、TVのインタビューによる反応としては「どちらかというと良かった」という安堵感がアメリカには広がっているようである。 ブッシュ大統領は「まだまだ緊張が続くから気をつけよ」というメッセージを出している。まだまだイラクの状態は悪いということだ。 不思議なことは大学で誰もその話題の話しをしないことである。それもアメリカ(もしかしたらイサカだけ) を象徴するような姿か?まさやんの周りでは新聞とTV、ラジオだけである。

 いまのアメリカがイラクに軍隊を派遣している理由は、世界のリーダーとして、テロは絶対に許さない、イラクの自治の回復、 生物化学兵器の根絶、利権がらみ、いろいろな理由がこちらでも支持・反対という立場で毎日のように報道されている。 今週は特にサダムの逮捕で始まったのでその番組が多いのも事実である。 あともうひとつ大きなことに(これは日本ではあまり報道されていないかも知れないが)、いまイラク・中東からどんどん アメリカ軍の兵隊として派遣されている人たちが一時的にアメリカに帰ってきている。一時的に、というのは、また出て行く予定がある、 ということだが、帰還の理由は2つある。1つはクリスマス休暇、もうひとつは前線の情報をいまアメリカ国内で待機している別の部隊に 伝える。サダムが逮捕される前にすでに決定していたことである。兵隊が戻ってくるので、連日地方のローカルテレビでは、 各地域で開かれている帰還兵のための「お疲れさま会」の内容が多い。彼らの表情に共通して言えるのは、みなアメリカ軍の兵隊として 誇りをもって戦い、部隊に配置し、ヒトによっては修羅場(実戦)を経験してきた、ということなのだろう。でも妙にハイテンションな 兵隊さんが多いのが気にはなる。怖いぐらいに。その一方でアメリカという国は面白いもので、 逆の立場のヒトもきちんと映像入りで報道する。そう、帰ってきたヒトと交代でこれからイラクに赴く兵隊さんたちである。 それはもう緊張感に満ちた、ただでは帰ってこない、ぐらいの形相である。 テレビをみている自分の方がむしろむしゃぶるいをしてしまいそうである。いま日本にいる(北海道の)自衛隊さんたちは どんな感じなのか?気になるところである。

 昨日の日記が下に書かれているのでもう一度読み返してみているのであるが、少し偏った(もう少し具体的に言うと)アメリカ批判に回っていた ような感が自分でもある。なんでそんなことを書いているかというと、日本にいる母親からアメリカにいるまさやんの元に1通のメールが届いた。 どうも定期的にこの日記を家族で読んでいるらしい。それで内容はというと、サダムのいままでの悪行を考えたら アメリカのやっていることは100%批判できるというものではないのでは?・・・という内容だった気がする。 それで少し自分の考えを振り返ってみることができた。未だにそんなにおかしいとは思わないのだが、自分の意見には解決の糸口がないように見えた。 アメリカがイラクで行なっている行為には100%支持はできない。イサカの町がわりとリベラルだから、ということもそれに影響している。 ただじゃ、他に解決の方法は?と問われると自分には強い答えがない。日本の貢献というと、政治の世界では(経済の世界でも?) 自衛隊の派遣しかもう選択肢は無いようであるが、1人の個人として何ができるのか?イラクでどんなことが行われ、その結果として 今があるのか、彼らイラク人の人たち、あるいは中東の世界の人たちの歴史的な背景を理解していない、そんなことが多い気もした。 残された米国生活は3ヶ月あまりだが、そんな視点をもって少し中東をこれからみていこうと思う。


12月14日(日)サダム・フセイン元大統領・拘束


 今朝の全米(というか世界の)トップニュース。サダム・フセイン元イラク大統領がイラクでアメリカ軍に 拘束された。拘束・捕虜という言葉は、Captureというらしい。初めて知った単語である。 今朝早くからニュース番組はその特集で、C-SPANでは戦争支持・戦争反対・世界、という窓口で視聴者から電話による声を受け付けている。 アナウンサーがかわるがわる、みのもんたの思いっきりテレビのような暢気な雰囲気ではないが、一人一人の声を慎重に聞いている。 何かひとつの結論を出すというのではなく、とにかく時間が許す限り流し放し、それもひとつのアメリカのいまの状態を 一部ではあるが反映したメディアの伝え方と感じた。

 さきほどホワイトハウスからブッシュ大統領によるメッセージがライブで全米(世界?)に放映された。  彼のメッセージは「Today is a great day for American.」にはじまり「アメリカには神がついている。 この一連の戦争は自由のために自由を獲得するものだ。」と強調した。なんていう傲慢なコメントか?と素直に思った。 最後には「アメリカ人には神がついている」としめていた。イラクのフセイン元大統領がかつてイラク国民にいっている こととなんら変わらないメッセージである。今朝、イラクでフセイン拘束の第一報を世界に流したUSセクレタリーが 「We got him」といったとたん、記者会見場は興奮の坩堝と化していた。一種、異様な雰囲気だと思った。フセイン拘束によって ブッシュはイラクは自由を得た、というが本当のところはどうだろうか?むしろ水面下でのテロ活動が激化するのではないか? という話があまり出てこないところに少し恐ろしいものを感じる。世界が動いている、そんな一日である。

 ひとつだけ少しおどろいたこと、戦地での記者会見は英語で行われているのだが、記者からの質問はフランス語、スペイン語、 アラビア語(いろいろあるのだろう)、とさまざまであり、同時通訳者を用意しているというのはとても驚いた。当たり前の 対応かも知れないがそれは大事なことだよな、と感じた。日本語はちなみに出てきていない。普段、英語と日本語しか使っていない のでどうしても自分にとっては日本語が近く、英語が遠くなってしまうのだが、いろいろな言語を聞くと当然まったくわからない。 ただ、そのとき、英語を話す記者のコメントが普段よりよく聞こえるのである。不思議だと思った。多言語を同時に学ぶことが 効果がある、という話があるが、それは結構あたっているかもしれない。多言語の中では英語がとにかくよく聞こえる。 びっくりするぐらい。お試しあれ。


12月13日(土)Janette&Gaby来訪


 先週土曜日にお邪魔したジャネットとギャビーが家に遊びに来てくれた。相変わらずまさやんは 原稿書きでいそがしいのであるが、ジャネットは先週われわれが家に来てくれたことを とても喜んでくれていたようで、今度は我が家に行きたい、とけんさんにBOCESのクラスで言ってくれていたようだ。  ジャネットはまさやんの目には、先週よりも生き生きしているように見えた。けんさん曰く「家にいるより、 彼女は外で伸び伸びしたいんだと思う」ということである。それもわかる。ふだん旦那さんの応対が大変だから、 そんな状態の裏返しの気持ちなのだろう。だから今日はとてもリラックスしているように見えた。ギャビーは今日は われわれの家がアパートだからか?人の家だからか、先週の土曜日よりはおとなしかった。でも時より見せるヤンチャな 雰囲気は変わらないのでやはり可愛い・・・。

 よく考えたらイサカでテンポラリーではなくきちんと腰をすえて生活している人と知り合えた人はそれほど多くないと 思う。エコビレッジのエリコさん・アランさんご夫妻もそうだが、なかなか知り合うチャンスがないというのが現実である。 そういう意味では、BOCESの役割はとても大きいと思った。彼らは家に一人で残っている父(旦那さん)が気になったところで 先週とはだいぶ様相が違い、9時過ぎに帰宅した。家族思いの二人を感じた。


12月10日(水)外交官の死・自衛隊イラク派兵


 先月末、日本の外交官がイラクでテロリストと思われるグループに奇襲を受け殺害された。日本人のイラク戦争での初の犠牲者であった。 とうとう出てしまったか・・・とアメリカにいながら残念な訃報に驚いていたが、アメリカは昨日も今日もそして明日もおそらく変わらずに いくのだろう。アメリカの報道としてはNYタイムスの隅の方に「日本人のdeplomat2人が死亡」と書いてあっただけであった。同日に スペインの文民も9人死亡したので、むしろそちらの方を強調していた。日本ではスペイン人の死亡は報道されたのだろうか?

 いずれにしても外交官という国を代表する人材をテロによって失ったので、その直後の小泉さんのコメントが気になっていたのだが、 当初の予定通りイラクに自衛隊を派遣するとこのこと。自衛隊を派遣することがどのような意味をもつのか?それに対するコメントは アメリカにいる自分にはあまり理解できなかった。アメリカ政府のラムズフェルト国防長官は、「われわれアメリカを世界が後押ししてくれ ている。特に日本がmilitaryのイラク派兵を決定したことが今日の一番のニュースだ。」と述べていた。ミリタリーとしっかり言っていた。 アメリカの記者の多くは、日本が後方支援だけをする、とは思えない発表である。メディアに対するコメントが国によって異なる、 人間がやっていること、誤解や間違いも多いと思うが日本で報道されている事実とアメリカでのそれはまた大きく異なる。それが現実なのか。


12月7日(日)Bradとの約束


 アイスホッケーチームのキャプテンBrad(Bill Cookトヨタディーラー勤務)と試合の後でのみに言った。チームメイトの Garyとその彼女Meganも一緒だった。前から彼には、まさやんは反則が(なぜか?)多いので、ごめんなさい、の一言に尽きるのだが、 なかなか自分がイサカでのホッケーの試合や審判のレベルについて、意見を彼にぶつけられないでいた。そう彼の英語、めちゃくちゃ早いのである。 でも今日は隣どうしになり少し反則のこと、その他自分の思っていることについて話をすることができた。 まさやんのとられてしまう反則は、日本であればほとんど反則にならない、というかなんで反則になるかわからない、ということをトクトクと訴えた。 彼は首を縦に振りながら、まさやんの説明をおおよそ理解はしてくれたようである。それは、反則ではないのだが、争いごとを起こさないように するためのかれら(審判)の方針だと思う。ということである(実は会話ではよくわからなかったので、 この見解はけんさんと帰宅後に話して改めて確認したことである)。

 彼が説明するのには、われわれが対戦するほかのチームは、それはもうなんとも説明がつかないくらい、悲しいというか目をあまり むけたくないバックグラウンドがあるそうだ。例えば、過去にドラッグをやっていたり、もともと高校生でホッケーをやっていたが、 大学に行けずグレテしまったり・・・(ぐれるって今でも言う?)そうイサカは田舎。そんな輩もそれなりにいるということなのだ。 前から不思議に思っていたのだが、わがCooksは今シーズン初めて組んだチームメンバーの雰囲気、実際そうであったの だが、みなお互いの名前を知らないで徐々にお互いの癖みたいなものもわかってきた感じでやっていた。それに対して他のチームは もともとの知り合いか?と思うようなチームメンバーの編成でかなりチームワークも良かったのである。最初は、新人ばかりの寄せ集めた のがうちで、そうでない例年リーグ戦に参加しているチームという感じでわけているのかと思ったら、それもあるようだが、 もっと根が深いようなのである。要するに犯罪者一歩前まで堕ちてしまった経験があるひとたちとコーネルにほとんどが籍を置くような ひとたち、というような住み分けをチーム編成にしていたのである。だから、彼らはわれわれを餌食にしてしまえ。ぐらいな気持ちで 反則寸前というかもろ反則なプレーを繰り返すのである。要するに普段日があたらない人たちがギャフンと言わせる絶好のチャンスということ のようである。まったくアメリカとは差別の無い自由な国を目指しているようだが、そんな話は微塵も感じないような現実であった。 怪我しないようにしないとまずいよね。Bradにはおとなしく試合に集中するよ、とかたく約束をした。


12月6日(土)Janette家 訪問


 けんさんとBOCESで同じクラスのJanetteのお宅に招かれた。彼女はドミニカ共和国出身の女性である。以前、けんさんから彼女の もつ複雑な心境を聞いていたのだが、そんなことは微塵も感じさせないくらい明るい雰囲気の女性だった。複雑な話しというのは、 彼女はもともとドミニカンなのだが、彼女の旦那さま(同じくドミニカン)が弁護士をしていた関係で渡米。しかし今から数年前に 旦那さんが脳に障害をもち、弁護士としての仕事を継続できなくなってしまい、旦那さんは今でも元気ではあるのだが、英語はもはや 話すことができず、母語のスペイン語も少しだけ、記憶も徐々になくなってきている、ということなのである。訪問したときに、 旦那さんにも挨拶したのだが確かに少しそんな雰囲気は感じることができた。しかし、もともと弁護士さん。脳はだんだんと 働かなくなってきているとはいうものの、わたしたちが話す英語をかなり興味をもって聞いてくれて、反応をしてくれたのだ。 ジャネットと彼女の娘ギャビーが通訳をしてくれたのだが、一番印象に残っている彼の質問は「日本は第2次大戦後何を学んだのか?」 いきなりこの質問にはびっくりした。「いまはどうだ?」不意打ちのしつもんに最初はびっくりしたのだが、回答としては 自分の親の世代は物をつくる、売る、そんなことに一生懸命だったが最近は少しその流れは止まり、世界の中で何を次にしなければならないか? 考えなければいけない時代に入った、と答えた。スペイン語に通訳してもらったが、ほとんど理解してくれたようなので安心した。

 Janettedは旦那さんがそのような状態でもまさやんの目にはがんばっている、ように見えた。気丈に振舞うという表現が適切かも 知れない。彼女がけんさんに言うには、旦那さんがそんな状態なので、自分たちもなかなか外に旅行に出ることができないし、 ヒトを家に招くこともなかなか実はできないんだ、ということである。でも逆だと思った。旅行はいろいろな制約があるかも知れないが、 友達であれば可能な限り家に招くといいと素直に思った。でも彼女もいまはそれが限界なのかも知れない。われわれが訪問して 普通に話しをしていたのを見てジャネットは本当に嬉しかったようだ。われわれも言葉ではない、要は気持ちだと思った日だった。 ひとつ書き残しておきたいことに彼女の娘ガブリエラ(通称ぎゃびー)がいる。彼女は10歳。小学校に通っている女の子である。 とても明るく、かわいい子だ。われわれが遊びに来てくれたことをとても喜んでくれ、部屋を案内してくれたり、自分で描いた絵を けんさんにあげたり、いろいろなコスチュームで現れたり、ゲームをしたり、ととにかく明るいのであった。4時におじゃまして、 結局われわれがジャネット家をあとにしたのは夜中の1時半だった。そうギャビーがわれわれを帰してくれなかったのである。 明日もまた来るんでしょ?という彼女がとてもかわいかった。ジャネットは旦那さんのことで大変でもギャビーが今の心の支えに なっていると思った。


12月5日(金)河さん邸 訪問


 今日はBOCESでまさやんと同じクラスの河(Ha)さんご夫妻のお宅に招かれたのでけんさんとお邪魔した。韓国から来ている コーネルに夫婦でVisiting Researcherで来ている家族である。しかもお二人は日本語がぺらぺら。というのは、彼ら夫婦は 日本の東京に留学していたときに知り合ったというのである。旦那さんの河さんは日本の近代史がご専門。奥様は日本文学、 源氏物語がご専門ということである。正直驚いた。日本語がお上手ですね、といったとき「商売に必要ですから・・・」と 言われ最初、何か貿易関係のことをやっているかと思ったのだが、納得である。むしろ、われわれよりきちんとした日本語を 知っている、歴史も源氏物語もである。お二人ともソウルにある大学(学校は別々)に勤められていて、今回のイサカは サバティカルイヤーにあたっているということである。

 彼らが言うには、英語を話すより日本語を話す方が話しやすい、ということなので、お言葉に甘えて日本語で話すことにした。 お互いのもっている歴史観、いまの日本人・韓国人の考え方いろいろなことまで深い話も含めてかなり話しをした。ふたりが 日本に行くときはかならず小料理屋を探すそうだ。そう二人はフォークの「神田川」ではないが、本郷にある「小料理屋」で よくデートをしていたそうである。そこのおかみさんが無愛想なんだけど、いい人だった、というのが面白かった。江戸っ子ですね、 と返したら、江戸っ子という言葉もよくわかっていたので驚いた。。。気づいたら11時過ぎ。彼らも少し興奮気味だったが、 またやりましょう。。。ということでお開きに。札幌・ソウル間には定期便もあるので、今度マイルがたまったらソウルに直行だ! と思った。その前に少しハングルやっておかないとな。


11月29日(土)加藤キャプテン帰国


  今日はコーネル大学日本人バレーボール部キャプテン兼剣道部キャプテンの加藤さん(イヒで有名な会社から来ている 研究員)がこの11月で日本に帰国されるために送別会があったので参加した。といってもまさやん、バレーボールには 一度も参加したことがなく主に飲み会要員として参加していた。

 会に参加していていつも感じていたことであるが、加藤さんはなかなか気が利く人だな、ということである。 さすが企業の人、という見方もあるかもしれないが、なかなかフレキシブルな対応ができるヒトなので とてもまさやんにとってはユニークな存在であった。飲み会だけしか参加しないまさやんにも 定期的に連絡をくれるし、なんとなく会全体の話がマニアックになってしまい、まさやんとかがぽかーんとしていても みんなが共有できる話に話を戻すようにするなど、細かなところにも彼がいつも気をとめてくれていて、 全員の居心地をよくしてくれた気がする。日本で32年と半年、アメリカで半年を過ごした中で、 これほど気が利く人にあったのも初めてだったかもしれない。そんなことで加藤さん、2年間お疲れ様でした。


11月27日(木)Thanksgiving days


  ぜんぜん更新しずまいで、日記が週記を超えて、いよいよ月記になろうとしている。ここ数日は日本での仕事の 締め切りに追われてばたばたしていた。例によって思い出して書く日記である。おいおいサンクスギヴィンデーって だいぶ前ジャン?けんさんにも、まさやんが日記を更新しないなら、もう閉じたら?と最後通告を受けてしまっていた。 ということでご無沙汰しちゃってます。読者のみなさま。

 ターキーを焼いて食べるというこの時期、どこの家でもスーパーでターキー1羽まるごと買ってきて、ビルドインの ストーブ(オーブン)でゆっくり時間をかけて焼くということである。日本にいたときから「感謝祭」という言葉は 聞いていたが、アメリカで一番大事にされている(クリスマスと同じくらい?)休暇だそうだ。なんでターキーなの? ということだが、いろいろな説があるらしい。昔、アメリカの原住民(日本でいうインディアン)の人たちが、 ヨーロッパからわたってきた移民の人たちが不作で飢えで死にそうになっていたときに、ターキーを振舞った・・・ という説。そのまったく正反対の説(白人がターキーをインディアンに・・・本当かよ?)、300年も経っていない のに随分といい加減な話である。実際、休暇を楽しむアメリカ人に聞いても「わからない・・・」がほとんど。 まぁ日本もいきなり「勤労感謝の日がなんでいつから休みなの?GWってなんでいっぱい休みなの?」と アメリカ人に聞かれたら答えるのに窮するわな。ところで肝腎のターキー。くい損ねました。というのは、 前日、徹夜に近い状態で原稿書きをしていたら、おきたらもう夕方。慌ててスーパーに行ったのだが・・・ いつもは24時間営業の大きいスーパーもこの日は特別で。5時で閉店でした・・・オーマイゴッド!の サンクスギヴィングでした。


11月23日(日)First Win


 タイトルにあるように初勝利をあげた記念すべき日になった。週に2度もアイスホッケーのリーグ戦の試合があるのだが、 本日わがBill Cook'sチーム、8試合目にして初勝利をあげました。前回の試合もなかなかの粘りで負けはしたものの、 チームに勢いがでてきた感触はつかめていたのだが、やはり勝つというのは何事にも変えられないものである。アスリートであれば・・・笑  人数が集まらなくて試合開始のとき6人しか居ないときなんか、絶対このチームには勝利という言葉はないとか正直思ったときもあった。 千葉ロッテの18連敗を超えるかの勢いで負け続けていたときは、翌日も朝起きるのが本当につらかった。でも勝てたのでめちゃくちゃ気分がいい。

 ただ簡単に勝てたわけではない。今日はAリーグでも指折りの暴れん坊チームとの対戦であった。先制したのはうち。これも初めて。 いつも必ず先制されていたからベンチでもみんなで「はじめてだよね?_」なんて感じで試合は徐々に進んでいった。いつもとは 動きも違い、みんなで守って攻めるホッケーに徹した。試合会場を間違ったコンバットGaryも1P途中で登場し、点数の入らない時間が しばらく続いた。相手は前の対戦でうちから12点も取っていたので、前とは違ううちの状態に驚いていたようだが、徐々にあせり始めたらしく 汚いプレーが見え始めた。我がチームの反則王はGary、その次はまさやんなのだが、またやってしまった。ぺナ。 相手の術中にはまらないようコントロールしていたのだが、正々堂々とやりたい日本男児まさやんの怒りは頂点に達していたのである。 でも味のあるキャプテン・Bradが。Masa、頼むから反則はしないでstay focusでやってくれ、といわれた。まったく仰せの通りである、と 反省した。横でGaryがそうだそうだ、という顔して笑っていたのだが、そのすぐ数分後に自分から相手にパンチしてあげられていた。笑  その後再三のピンチにもたたされたが、なんとかジリヒンで相手の猛攻をしのぎ3対2の初勝利。めちゃくちゃ気分のいい夜だった。  小学生の絵日記のような文章だが感動したときってあまり文章にならないでしょ。そんな勢いだけの文章もたまにはいいよね。 ということでサンクスギビングデー(感謝祭)に突入。ターキー食べませう。


11月20日(木)ZaZa's


 タイトルを見て、なんのこっちゃ?て感じだと思うが、イサカで一番美味いイタ飯屋の名前である。昨日紹介したGaryの働いている 店である。前から何度か約束をしていたのであるが、奴が「鹿撃ち」にいっているとか、今日は休みだ、とか言ってなかなか実現できずに いた。鹿撃ちと簡単に書いてしまったが、まさやんも最初に鹿撃ちと聞いたときは、ショットガンを打つまねして、まじで鹿を撃つの?と 聞いたのであるが本当なのである。たまに間違えてヒトを撃ちそうになるときもある、と淡々というから、こっちは冗談じゃないと正直思った。 アメリカ、特に北東部ではごく普通に行われているらしいのである。イサカから2時間ぐらい車で行ったところでやるそうだ。 でも流れ弾とか飛んできたら本当参るよな。とだいぶアメリカでの生活に慣れてきたと思っていた矢先のカルチャーショックであった。

 ところで、肝腎の店は、というと、これがちょっと気取ったインテリアでイサカらしくないなと思ったのだが、  ウェイターさんの対応も出てきたワインも料理も最高であった。シーフードに主力を置いているかのようなメニューの構成ではあったので、 イサカでこんなに美味しい店があったとは。。とけんさんとおどろいたのである。厨房にいるGaryはというと、なんだか(言っちゃ悪いのだが) 似合わないシェフの格好(ユニフォームがモダンすぎていて、戦争ムービーのコンバットに出てくるドイツ兵のような顔つきのGaryには似合わないのである。 でも昨日貸靴でがんばっていた彼は、厨房でもがんばっていた。いま前菜を盛り合わせているところだといっていったん奥に引っ込んでしまったのだが、 われわれが食事を開始したところで、小さな皿にマッシュルームの入ったパスタをもってきてくれた。 味はというと、これまたぐーー!なのである。アメリカにあるイタ飯屋は正直期待していなかったのだが、さすがGaryの腕?料理の鉄人をみて 研究しただけの一品であった。もちろん値段はやや高め。でもこれぐらい美味しい料理を食べさせてくれるならリピーターになろうか、と思案中である。 料理のサイズはアメリカンサイズなので、二人でシェアしてもおなかが十分いっぱいになる。チップ込みで70ドルぐらいか?たまには 外で、って時にはもってこいの店であった。ブックマークにいれておこっと。Garyごちうそうさま。


11月19日(水)初アシスト


 イサカホッケーリーグが開幕し、数試合を消化したが我が「Bill Cook's(なんとスポンサーは日本のトヨタ自動車)」 チームはまだ未勝利である。そろそろ勝ちたいなぁと思って臨んだ今日の試合。メンバーも平日の深夜にもかかわらず結構集まった。いつも ギリギリ2セット(10人)だから、今日は12人いるし余裕があるな、しかもキーマン(うまいやつ)が何人か揃っている。 勝てそうだ。先日の親睦会で仲良くなったGary(名門John Hopkins大学の機械工学出身。現在イサカのイタ飯屋でシェフ。 料理の鉄人が大好きな番組のひとつ)とドレッシングルームで着替えながら今日の試合の展開を予想していた。 いいパスをGaryがまさやんに出して、まさやんがポイントを決めたら、寿司を食いに行こうと約束している(といってもイサカの寿司は 安い)ので、Garyはいつもいいパス出しているのにmasaが決めないからsushiがなかなか食えないよ、、とか偉そうなことを 言っている。と話しているとGaryが何だかモゾモゾしている。どうした?と聞くと右のスケートを家か車に忘れてきたかも?と 言うではないか。。。まじ?こやつ?学生時代の同期でキャプテンだったYも確か試合だか練習前にそんなことを言っていた が、Garyもそのピンチな状況に入っていた。彼はいきなり立ち上がり、左足にスケートを履いたまま控え室を出て30秒後に 貸靴(一応ホッケー用)をもって登場したのである・・・。お前大丈夫か?とそれじゃsushiもお預けだよ・・・と言ったが、 そんな状況とは裏腹に「まじで今日は勝ちにいくから」と気合満々なのである。笑いたくてもやつの気合で正直笑えなかった。。。

 そして試合開始。早速2失点。今日もいつもと同じ展開か?と思ったらここから貸靴のGaryが爆発したのである。なんと2得点。 気合って最近あまり入れても仕方ないと妙におじさんホッケーに染まっていたまさやんだったが、かなり刺激されてしまった。でも その間敵に1点追加されたので2対3。まだまだ。と3P逆転にかける。ここ数日イサカはかなり温かく、半屋外のリンクは靄で 視界は15mぐらいになっていた。そう反対のGKを確認することもままならない、そんな状況だった。たまたま自陣で苦しい パック争奪戦になっていたところで連続2失点。DFの身体がブラインドになっていたのとやはり靄で味方GKのDon(イサカカレッジ学生) の視界が遮られていたのが大きかったようである。2対5となったところでいつもなら素直にそのままゲームセットになるところだったのだが、 ここから今日の我がチームは踏ん張りました。かつて(?)のコーネルのエースのTed(コーネルの経済学の助教授、35歳ぐらい?)がノーマークを決め3対5。 その後1失点があったものの、終了5秒前に。むさこーのかつてのエース(?)まさやんも踏ん張りました。敵陣でGaryのパスを受け、 フリーのJohn(ボストン出身の売り出し中の31歳)が視界に入ったのでバックパス。落ち着いてJohnが肩口に綺麗に決め4対5。 負けはしたけど最後まで追い上げの今シーズン一番の出来でした。終了後はどっちが勝ったかわからないぐらい盛り上がり。 身体をはって守ってくれた巨漢のMike(コーネル機械院生)がハイタッチをしようと、できないものだからメットをゴツン。かなり 痛い祝福だった。まさやん初のアシスト。さぁ次は初ゴールだ・・・。だんだん2セット回しの辛さ?にも慣れてきたので、 ダイエット効果はいかに???そんな淡い期待も込めてNext Gameで初ゴールを狙ったる!明日はGaryの店にけんさんと行く予定。 厨房でも気合が入ってそうなGaryだが、その腕はいかに?次報を乞うご期待。


11月15日(土)Mia&Jason


 立て続けに人の家に行ったり、自分の家に招待したりすることが続いているが今日もそんな一日だった。 今日は同じラボの仲間Jasonとその彼女Miaの二人を自宅に招待した。Jasonについては以前の日記にも何回か登場したと 思うが、Miaのことを紹介したい。彼女はなんと日系アメリカ人。そう見た感じではほとんど日本人である。 最初に会ったとき(7月の頭に)Jasonは日本人と付き合っているのかと思ったぐらいだ。 彼女は、京都で日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれたという。3歳までは京都→大阪→東京と移動し、 その後父の仕事の関係でアメリカに渡ったそうだ。 日本語の基本的な「音」は頭の中にあるらしいが、日本語はほとんど話せない。そう英語だけである。それも また不思議でならない。でも彼女の英語はJasonの英語より若干聞きやすいし(なぜか)、仕草なんかまるで 日本人である。専攻はエコロジーで湖水植物の物質循環などを追いかけているという。研究テーマに人柄が出ている 感じがした。

 Miaだけの話になったが、JasonとMiaはベストカップルだと思った。二人はコーネルに入学する前に大学で 開催されたマイノリティーのための事前説明会で知り合ったという。付き合い始めたのがいつからかは聞かなかったが、 知り合ってからもう4年が経過するという。まさやんはMiaの研究テーマにも多少の興味があったので、 少し質問をしていてMiaと話が進むと、Jasonはあまり面白くないらしく「何でMasayaはMiaの研究テーマの ことで話ができるのか?」とストレートに聞いてきたのである。アメリカ人らしいストレートな質問に驚き、 またそれを興味深く、きちんと説明する必要があると感じ、今、書いてる(日本語の)本の原稿の一部を2人に見せた。 まさやんは植物のはたらきについて、建築環境との関係で熱力学的な見地から(なんのこっちゃ?って言う人も多いのですが、 ご期待ください。来年には書店に出ます)執筆しているんだよ、と説明するとMiaは興味深げに見てくれ(日本語を)、 Jasonもなんとなく理解してくれたようである。二人はまだ20過ぎぐらいの若いカップルなのだけど、 なかなかしっかりと発言するし礼儀正しいしナイスなのである。以前、彼らの礼儀正しさを受けて、 まさやんがやっていた柔道(JUDO)は、礼にはじまり礼に終わる作法も1つにあるんだよ、と教えてあげたら Miaは知っていたけど、Jasonは「それ空手でしょ?」て格好をしていてさすがブルックリン出身と思ったさ。 肝腎の食事の方であるが、日本食ということで「おでん」を出した。はんぺんをJasonは「これなんだい?」と最初 気味悪がっていたが、「だまされたと思って食べてみて」とは言わなかったがすすめたら、かなり旨い!と感激 していた。面白かったのは、おでんの具をさして「何が一番美味しい?」とまさやんに聞いてきたこと。 これは個人的な意見であるが、おでんは全部があってトータルで美味しいんだ、と説明したら納得してくれた。 1つだけではだめ、コンビネーションの美味しさが日本食にはある。。。と力説させていただいた。日本食の特徴の1つで あるかも知れない。聞かれたから感じることができた、そんな発見だった。


11月14日(金)エリコさん&アランさん


 以前、エコビレッジのことを紹介したが、今日はそこに住む日本人のエリコさんの家に食事に招待されたので、 お邪魔してきた。まさやんらの住むアパートから車で5分程度の距離にある丘の上にエコビレッジはある。エリコさんは 作家、旦那さんのアランさんはグラフィックデザイナーの仕事をそれぞれ自宅でされている。もともとエリコさんは東京で コピーライターの仕事をされていたそうだが、物書ききになりたいと単身渡米留学し、アランさんと一緒になったという。 夫婦ともにクリエーターというだけあって、お住まい拝見ではないけど、素敵な住空間だと思った。このエコビレッジは、 何棟か同じ間取りの家が並んで東西軸に建っているのであるが、人間というのは与えられた空間をこうも自由な幅のある発想で 変えていけるのかと思った。

 いざ食事の時間になって、話を始めたのはいいのだが、彼らと話す場合英語で話していいのか日本語で話していいのかわからなかったので アランさんにもわかってもらいたいので英語で話すようにしていた。でも可笑しいのは、エリコさんは日本語で返事をしてくれ、 アランさんもなんとなくはわかった感じで頷いているのである。彼は98年から99年に東京で1年生活経験があるようで、 全部とは言わないまでもなんとなく日本語のニュアンスをわかっているようなのである。当然、日本人や日本のこともよく知っていた。 英語での会話ではあったが、お互いの職能の活かし方や今後の夢などにも話は及び、まさやんとしてはとても楽しい時間を すごせた。アランさんはクリエーターらしいポジティブな意見を我々にいつも投げかけてくれるので、個人的には元気をいただいた 気がしているが、エンジニア魂の強いけんさんには少し見解の相違があったようである。笑  でもそんなけんさんも堂々と英語で応戦していたので、 外から見ていたまさやんとしては、己もだいぶ変化したのう〜と感心した一日だった。


11月13日(木)スノータイヤ


 最近雪がイサカにも降り始めた。札幌の同僚N先生からも雪の便りをいただいたので、さすが緯度がほとんど 同じということもあって降雪時期も似ている。まだイサカは積もってはいないが、空の色も見ているとそれも時間の 問題のような気がする。それで札幌では毎年恒例のタイヤチェンジ週間ということになっているのだが、イサカの事情は というとどうも違う。そう誰もタイヤ交換をしている人なんていないのである。みな「オールシーズンタイヤ」という 夏も冬も両用のタイヤを自動車に履かせて走っている。まさやんは札幌での2シーズンの経験もあったのだが、 さすがに不安だったので、ガレージにタイヤ交換にいった(というより前のオーナーがスノータイヤを持っていたので)。

 前にDrydenにある台湾の人がやっているガレージがいいという評判を信じ、朝、電話を入れ、とても感じのいいおばさんが 出たので喜んで車を持っていた。が、思っていたよりかなり田舎でびびった。コーネルを中心に考えるとまさやんの住むCandlewyckと ちょうど反対の丘の上にある。それで結構すいている、とのことだったので取替えが終わるのをコーヒーでもすすって 待っていようと思っていたのが甘かった。おばさんがまさやんに言ってくれたのは、すぐにガレージに入れられるという意味で、 出来上がりは夕方5時というのである。時計は朝9時過ぎ。バスは?当然そんなものは無い。送迎サービスはないか?と聞くと そんなことはやっていないとのこと。空は雪模様。今日タイヤを替えないとまずいよなぁと思い、車を預け仕方ないので、大学まで 歩くことにした。行き足にコーネルを通り越してきたのでだいたいの距離感は頭にあったのだが、車にのっているのと実際に あるくのではまったく違う、ということにだいぶ時間が経ってから気づいた(もっと早く気づけよ!)。そうね、わからない 人がほとんどだと思うけど、学生時代に夏合宿をした新潟の浦佐屋と小出のリンクの距離ぐらいだろう・・・そこまでは ないかな、でも間違いなく5、6kmはあったと思う。途中でヒッチハイクを敢行したが、どの車にも無視・・・そりゃそうだよね。 いや、背中に背負ったラップトップが妙に重い。そのとき、コーネルの畜産学科(とでも言えばいいのか?)牧場が見えた。 そう馬である。しかも競馬に出そうなサラブレッド。道産子ではない。格好いいやんけ〜っと余所見をしていたら、自分の視界が 突然90度回転した。時計回りだったと思う。まるでphotoshopでの回転のように綺麗に一気に回転した。そうまさやん、 余所見をしていて路面が凍っているのに気づかず見事にすっころげたのである。いやぁ痛かった・・・おまけにラップトップも 宙に舞い幸い大事にはいたらなかったが、馬がこっちを見て笑っているようだった・・・いやぁ自分の足にもスノータイヤを はかせておきたいものだよ。


11月10日(月)John


 1週間以上もまた例によって例のごとく溜めてしまった。昔から夏休みの宿題(絵日記なんか)もきちんと 毎日こつこつとやることが苦手だったので無理もないかも知れない。いま恩師から催促されている原稿も日々 取り組んでいればこんなに苦労するなんてことないのに。。。まぁ今に始まったことでない。ということでいろいろ なことがあった週でもあるので思い出しながら、日記と言うより週記ということで思い出しながら。

 月曜日はBOCES(ESLクラス)の先生Johnを家に招待して食事をした。前々からJohnは自分やもう一人いる 日本人のヤス(某日本の自動車メーカー勤務で、燃料電池の研究をコーネルでしている)に対して、他の学生との 接し方が違うと常々思っていた。具体的にいうと、よく当てるのである。それでヤスも私も結構(いや時々)チンプンカンプン な回答をしてしまう。Johnはそのやり取りを楽しんでいるようであったのだが、別の理由が家で話をしてなんとなくわかった。 彼は年齢は不詳だが、まさやんの予想するところ50台半ば、生まれはマンハッタン。当然ひいきのチームはヤンキース。 松井のことは日本人のまさやんやヤス以上に妙に詳しい。シーズン中はだいたい授業前に「昨日の松井の試合見たか?」である。 ヤンキースの試合ではなくて、松井の試合、といっていたのには驚いた。そしてさらに驚いたことに、彼のガールフレンドが 日本人だったということである。詳しいことはわからないが、彼女は大阪在住でJohnは今度の年末大阪に彼女に会いに 2週間ほど行くそうである。それをとても楽しみにしているらしく、日本のこともかなり勉強していたようだ。彼女とは NYで知り合いもう何年かの付き合いになると言っていたが、なんとなく今までの彼の我々に対する言葉・行動が理解できた。 食事(手巻き寿司)をしながら彼と教育論について、ついつい熱く語ってしまったが、彼も先生、それなりに持論があるのかと 思っていたのだけど、彼はまさやんの話を聞き続けていた。そう彼は聞き上手。年も違うが教員というのは聞き手にうまく まわることも大事なことだ、と逆に感じさせられた夜だった。最近職能とはなにか?ってやたらと考える。


11月7日(金)ナンバー2


 今日のイサカはとてもいい天気だった。気温はそれなりに低いのだが、快晴の天気だったので キャンパスを歩いていたらとても気持ちが良く、思わず持っていたオニギリを外で食してしまった。 最高に美味しかった。同じようにそとでコーヒーを飲んでいるカップルがいて、まさやんの食べている 黒い塊のオニギリを不思議そうな顔をして見ていたのであった。普通(日本人は)、少し気になっても 相手が感じないように見るのであるがどうもその辺がアメリカ人はまったく異なる。そう、直視するのである。 自分が見るなと思っていても、こっちは気になるから見たっていいじゃないか?と言わんばかりに。 だから思わず、手に持っているオニギリを少し上に挙げ「俺ってグレイトだろ?」とは言わなかったが、 「美味しいライスボールだよ!」と教えてあげた。カップルの女性の方が「色が気持ち悪い!」とか 言っていたが、余計なお世話だよと正直思った。

 ランチもそこそこに午後一でAlan、Jasonと研究の打ち合わせがあったのでDEAにもどった。Alanはかなり忙しい 教授で2週間に一度はどこかに飛行機にのっていってしまう人物である。昨日はケンタッキーにて学会があって 出席してきたそうだ。1泊2日の強行日程である。先週はシカゴ。とても50過ぎには見えない。だがさすがに 今日はつかれている様であった。大丈夫か?と聞くと、もう今日は金曜日だから大丈夫だ、と 珍回答をしてくれた。それなりに業績もあり、ユニークなので信頼を寄せているのだが、 にしても無茶しすぎていないかい?と言いたくなるパートナーでもある。

ところで、Jasonは以前この日記でも紹介したかも知れないが、NYCブルックリン出身の 同じラボに所属する学部4年生である。Jasonに自分のプロジェクトの内容を以前話したら、彼も興味を もってくれて自分をサポートしてくれる様になったのである。歳は20だがなかなかしっかりした学生である。 で面白いのが、Alan,Jasonと自分の3人で打ち合わせをしていると、まぁAlanはヘッドの教授だから当然 ナンバー1という格付になる。で飼われている犬じゃないけど、次にナンバー2がどっちか?ということに なるのであるが、プロジェクトの発端は自分であったのであまり意識はしていなかったのだが、当然自分だと 思っていた。ところがJasonは(無意識だと思うが)どうも違って、自分がナンバー2という認識のようである。 渡米直後からAlanと自分はかなり打ち合わせを重ねてきたし、まぁなんといっても熱環境 のことについて言えば、アランに自分がサジェストするぐらいの専門知識は持ち合わせているので、基本的には 彼とまさやんの一対一の話しになっていったのだが、Jasonがそれに不満だったらしい。 そうこうしていると、「俺だって!」みたいな感じで急に質問付けの攻勢に出たのである。 そう英語に慣れていないまさやんは一番格下、という感じで「Masa、俺の英語がわかるか?」といわんばかりの スピードである。飼われている犬が2匹いて、どっちが主人に信頼されているか? 好かれているか?みたいことを(無意識的に)確認するような雰囲気になったのである。笑  さすがにまさやんは、母国日本に帰ったら、アランと同じような立場にあることを思い出したので、 それでも話しまくる(なかには鋭い内容も有り)Jasonに「Nice question!」とか言う余裕が出てきた。 Jasonの半端でなくムキになる姿が逆に動物的で新鮮な感じがした。小さい頃から どうやって自分をアピールするか?みたいな環境に育ってきた彼らの特徴だなと感じたわけであるが、 大事だなと思う部分もあるけれども、ほどほどが一番だな、と思ったりもする。 少なからずJasonにとっては俺は刺激的な人物でありたいし、彼も刺激的であってほしい。 仲良し組でやるというよりは、たまにはお互いに牙を(?)みせながらやっていくぐらいの方が楽しい感じもする。 英語に爆弾を抱える32歳と研究経験がそれほど豊かでない20歳の対決、 という構図もこれからが楽しみな感じだ。


11月6日(木)エコの勉強会


 折り返し地点を過ぎたところである。東京国際女子マラソンで言うと、平和島の三角ポールをグルッと周った感じ だろうか?早かったようで結構まだ5ヶ月もあるじゃん!とか思ったりしている自分もいる。でも最近気付いた ことが日増しに人と話す機会が増えているような、まぁ慣れてきたということなのかも。今日もそんな一日だった。

 今日はコーネルのエンジニアリング(工学部)で、コーネル内の勉強会が主催する 「エコロジカルデザイン」に関する講演 があったので、先週ランチを一緒にしたJackと聞きに行ってきた。 この講演会はシリーズで行なわれていて、毎月1回学外からその専門のスペシャリストを招聘して行なう講演会という ことである。最近、日本でもエコデザインとか環境共生とかいう言葉もだいぶ定着してきたように思うが、 エネルギー(正確にはエクセルギー)を何も考えずに多く使う(?)アメリカにおける「エコデザイン」とは、どんな 考えをもってなされているのか興味があった。ひょっとして名ばかりのエコ(要するにエゴ)なのか?欧州から渡ってきた 概念を素直に継承している「エコ」なのか?気になっていたこともある。 Jackは既に過去何回か参加したらしいのであるが、今回もそれなりに期待できるのではないかと話してくれた。

 どこの国でも同じ傾向なのかわからないが、アイビーのコーネルとは言っても、会場の工学系の建物の雰囲気は日本のそれと同じ雰囲気である。校舎も 暗い。なんだか母校の8号館にそっくりな雰囲気で興味深い。だいたい増築に増築を 重ねていて館内は迷路のようである。DEAもそうなのだが、正直言って初めて館内に入る人間には絶対にわからない。 日本人がもし計画するなら、ここまでわからなくなるような作り方はしないだろうに・・・と日米の違いをまざまざと 感じるのだ。愛国主義者じゃないけど、日本人の美的感覚は研ぎ澄まされているものが絶対あるような気がする。自身 はあまりそういうセンスがないかも?と思っていたが、アメリカに来てやはり自分は日本人なんだと確認できたことが 素直に嬉しかったりする。ところで、肝腎の講演のほうだが、結論から言うと結構面白かった。 講演者は、オハイオにある Oberlin CollegeOrr教授 でエコデザインには米国国内でかなり先導的な立場にある人物という紹介で講演は始まった。彼の英語は 最初はあまりよく聞き取れなかったが最後の方はよく聞けた。それにしてもアメリカのプレゼンの仕方が面白い。もちろん 人によるが、最初には導入になる一枚の衝撃的な写真を見せ、聴衆の目や耳をひきつけ、最後は(特に環境関連の講演で 多いのだが)自分の息子、孫と一緒にいる写真をアップで見せるのである。その写真を見せながら最後に「次世代のためにも 、特に自分たちの子孫のためにも・・・いまから行動を起こさなくてはならない。」と言って閉めるのである。まるで 展開が予想できるハリウッド映画のようである。日本でも水戸黄門じゃないけど時代劇という世界に誇れる展開の読みやすい文化があるが。

 まぁそんな感じの講演ではあったのだが、質問の時間が一番印象に残った。  結局、エコロジカルデザインを設計して建物を提供しても、その住まい手が何も学ばなければ 本当のエコは伝わらないのではないか?とかつて東京でいくつか携わった経験もあったので、問題提起の意味をこめて投げかけたら Orr教授も納得してくれ、彼のいまとっている方法は、測定している環境データを住まい手に見せて(モニタリング)、 その効果がどの程度あるのか確認しているプロジェクトも進めているとのことであった。 それに関連として、設計者とエンジニアリングのコラボレートの困難さを解決するには、 プロも環境のことについて互いに勉強しないといけない、とか教育の話しにまで及び、 日本で起こっていることとアメリカで起こっていることは、そうあまり変わらないんだなと確認できた講演会でもあった。 聴衆が100人以上はいる講堂で、たどたどしい英語で質問するのは勇気がいったが、きちんと答えてくれたので素直に 嬉しかったし、何より自分の話したいことがストレートに伝えられたので良かったと思う。建築環境のことも英語も 積み重ねが大事だと再確認できた講演会であった。


★★折り返し地点★★

10月31日(金)Jackとの語らい


 今日のイサカはとても温かい心地よい気候だった。なんと69度(F)。摂氏にすると19℃ぐらい。 そう春である。紅葉もピークは過ぎたのだが、日本より持続力がある気がする。まだ綺麗なのである。 日本だと一瞬で散ってしまうのだが、イサカは違う。まだ結構綺麗だから毎日学校に行くときには 心が癒されるのである。リスは居なくなってしまってちょっと寂しいのだが・・・。このままフロリダのような 温かさでいてほしい。でも天気予報によると日曜日からまた寒くなるとのこと。悲・・・。

 ところで今日はまさやんと同じ DEA の3Fにラボがある Jack とランチミーティングをした。兼ねてから「ゆっくり話をしないか?」 とお誘いを受けていたのだが、お互いの都合がつかずに延びていた。DEAで彼はインテリアデザインを 学生に教えている。CADの授業もあればデザインの導入部分を授業や演習で受け持っている。 札幌の俺の仕事とそう変わりはなさそうである。 出身はカナダのカルガリーで、ウィンタースポーツは何でもできるとのこと。 アイスホッケーも中学生までは普通にやっていたそうだ。そうね、苫小牧と札幌を足して2で 割ったような感じだろうか?88年には冬季五輪を開催した地だからと前置きした上で、 札幌が72年に冬季五輪を開催した地であることも当然知っていた。俺は当時2歳だから そんなの覚えていない。。。と言ったら大笑いをしていた。

 ランチは天気がよいのでDEAのガーデンで、Jackの驕りでサンドイッチとコーヒーをご馳走になった。  日本が好きだ、特に日本の建築が。という彼はパックの寿司とコーヒーを食べていた。 「醤油が大好き。wifeは納豆が食べられるが、唯一ダメなのが納豆。あれが食べられるなんてcrazyだ!」 といっていた。確かになんで食えるの?こんなの?って感じだろうな。Jackは面白い経歴を持っていて、 学部は物理学を出ていて、その後インダストリアルデザイン→建築デザイン→今 と進んだそうである。 自分が熱力学を建築環境にとり入れて研究している話をしたら、エントロピーの概念を知っていてくれた。 だから話が早かった。 普通、物理か機械工学を大学で専門に勉強しないとエントロピーは知らないはずなのだが、彼が知ってくれて いたので、自分のやってきたことをそれなりによく理解してくれた気がする。にしても不思議なのが 専門の話しだと自然に英語が出てくることである。モチベーション?よくわからん。彼はグリーンビルディング (日本語に訳すと、緑化や遮蔽・断熱などがきちんと計画された建物とでも言えばいいのだろう)のことに かなり注目しているようだ。日本に興味があるのは、日本の建築が美しい。。からという。誰が好きか?と 聞いたら、女性建築家Hさんのフルーツミュージアムが見たい!と言っていた。 個人的にはどうかな?(まさやんは見に行った事があるのだが)と素直に反応してしまったのだが、 視覚的な美しさにどうしても目が行ってしまう感じの様である。仙台メディアテークが好きだといっていた。

あと話しの中でひとつ耳に残ったのが、コーネル大と千葉大が交換留学制度をしているということである。 初めて知った。というのは、彼の部屋にかつて日本人がいて、千葉大学からの交換留学生だったそうだ。 彼はインダストリアルデザインも教える事ができるので、 千葉大の工業デザイン(今は名前が変わったのかな?)からの学生だったそうだ。 実は高専から来春、千葉大に2名編入学する学生がいるので話しだけでも振ってみたいところである。 彼はいまとても忙しいセメスターだそうで、約束の時間が過ぎたので、今度、学内(エンジニアリング)で、 sustainable buildingの講演があるから、一緒に行こう!という約束をして別れた。 彼はとてもcool guyで情報もそれなりに入ったし楽しいランチだった。でもやっぱ情報って大事だよなぁ ということでハロウィンパーティーの今日で折り返し地点。後半分(5ヶ月)。


10月30日(木)掃除のおばちゃん


 今日はいつもラボのゴミを回収しに来てくれるおばちゃん(ごめんなさい名前を聞いたんだけど忘却のかなたへ) のことを書こうと思う。このおばちゃんこの秋のセメスターから毎日来てくれるようになったのだが、 いつも決まった時間に来る事から、最近になって少しずつ話をするようになった。そうそう日本でもよくいる(高専にもいる) 世間話好きの掃除のおばちゃんである。彼女は最初のうちは、ゴミだけ朝の10時前後に回収しにきていたのだが、 ここ最近はいつも何か一言俺に話かけて部屋を出て行く。例えば秋晴れの快晴の日には、 "Today is a fine day! So you'd go back home before the sun set! Enjoy!" といった感じである。そして、今日もご多分に漏れず、というか今まで最高「ビックリ日本新記録(ふるぃーー! だいたい日本で無いし・・・)」のロングチャットであった。月火とシラキュースに学会で行った話はこの 日記でも綴ったが、今週あまりラボに居ない俺に「どうして今週はあまり居なかったの?」と聞いてきたのである。 学会に参加していた、だとか、家で原稿を書いていたとか云々いったりしていた。それで話は転がるに転がって 彼女の話に移って行った。すべてを聞き取れなかったのだが,要約するとどうも彼女はコーネルでのゴミの回収を 終えるのが午後の2時過ぎで、それから今は家の壁のペンキ塗りをしているそうだ。 旦那さんが4時に帰宅するまでに少し塗り、その後2人で日が暮れるまで塗るという。その後2人でデッキで ビールを飲むそうだ。色のことは専門ではないけど、建物に関することなので、 チャットとは言ってもとても興味深い話になっていった。何色にするの?色は? 小さい面積のサンプルで確認した色と実際の家の外壁の面積に塗った色の印象はだいぶ違うので気をつけて・・ などと専門家ぶった(?)コメントをしてあげると、とても嬉しがってくれた。俺も嬉しかった。笑

 でも家の外壁を夫婦そろって塗る、しかも仕事の終わった後やるなんんてすばらしい文化だと思う。  日本ではそんな習慣はないんだよね。と言うと当然だがとても驚いていた。  彼女がその後聞いてきた質問が「日本人は毎日、何を楽しみに生きているの?(正確には訳せていないがおそらく  そんなこと)」と聞いてきたのである。これにはまさやん参りました。一応、実態だけでもと、 ビジネスマンは遅くまで仕事で働き、仕事仲間と「飲み」に行ったりするので奥さん・子供とは家で 食事を一緒にとることも少ないんだよ!と教えてあげました。まぁ平均的な東京エリアの生活を 教えてあげたつもりなのだが。彼女が言うには、そんな生活なら「即 離婚!」ということだそうである。 そんなことも単純にカルチャーの違い、と言ってしまえばそれまでなんだけど、 まぁ家族と夕飯を一緒にするのは、アメリカの家庭では当たり前、 そんな違いを真面目に感じた一日でした。


10月28日(火)シンポジウムCOE-ES参加


 続けて更新!溜まりすぎだって。  昨日、今日の2日間、 建築環境に関するシンポジウムCOE-ESシラキュース大学 で開催されたので、 Alan と一緒に参加した。 シラキュースはイサカから車で1.5hのところにある大きな都市である。美味しいお刺身を 手に入れるたりするのに、時々けんさんと行っていたがシラキュース大学に行くのは初めてだった。 ぜんぜん関係ないが、札幌赴任したとき辞令を手渡してくれた前の教育長さんが シラキュース大学に留学していたよなぁ、なんてことを思い出しながら愛車(あいぐるま)アコードを走らせた。 このCOE-ES会議は、NY州にある建築・都市環境のことを 研究テーマにする大学・研究機関、企業などの研究者が集まり、 情報交換を目的にしたシンポジウムという感じであった。 100ドルという高額な参加費を徴収するわりには、予稿集などが配られるわけでなく ちょっとそりゃないでしょ?特に俺のような 英語を母語としない人間にとっては。。。云々と思っていたのだが、 それなりに満足したこと半分、不満だったこと半分の二日間だった。

まず初日、久しぶりの日本以外での会議の雰囲気に慣れていないこともあったのか、 自分の専門のテーマの発表が少なかったこともあってか、 かなりチンプンカンプンで、イサカを通り越して日本に帰りたくなってしまった。 まぁ、それでも昼過ぎぐらいからか?だんだん耳が慣れてきたのか、話の内容もよくわかるようになり、 勢い余って質問したろか?ぐらいの気持ちにまでなったのは大きな収穫だった (手を挙げる勇気までは無かった、というか手を挙げようかと「もじもじ君」になっている うちに次テーマに話しが移っていた)。でも不思議である。段々と聞こえるように なるのである。とにかくそれが嬉しかった。 翌今日の発表内容もよくわかり、勝手に喜んでいた。でも冷静になって考えると、 結構日本と言葉が違うだけで学会発表なんかと雰囲気は一緒だなと思った。 要するに良いプレゼンもあれば、なんだよ?それ?っていうプレゼンもご多分に漏れずあった。 そうかなり。で、シンポジウム色が強いからなのか、きちんとした成果の発表、定量的な発表が少なく、 曖昧なものも少なくなかったような気がする。 そんなことを考えながら聞いているとAlanが恩師S先生のように見えてくる。 Alanの質問や意見は結構的を得ていて、会場に「なるほどねぇ〜」という空気を漂わせていた。 自分の考えていたことが彼の質問と一緒だったりすると、 「そうやって英語で言えばいいのね」と偉そうに思ったりもした。だいぶ余裕が出てきたのかも。 最後のほうは「おいおいシンポって言ったって、イサカから早朝5時半起きでわざわざ2日間も 来ているんだから、もう少しまともな発表しろよなぁ?まったく何がCOEよ?」ぐらいのデカイ気持ちに なっていた。要約すると自分の英語リスニング力の(ちょっとした)成長を感じたのに 満足し、発表内容に少々の不満を持って帰ってきた、という具合である。 それでも最後にグリーンビルディングに関して最新のレポートをしてくれた発表があり、 「来年度の授業に使えるな!フフフ」と思えたので、それでよしとするか。 二日間の自分にお疲れ様。あ、刺身はきちんと便乗で買ってきて いま堪能していま〜す!!でも英語はやっぱマダマダだよなぁ・・・先は長し。


10月26日(日)イサカリーグ開幕


 今日も日曜日のことを思い出して。日曜日は記念すべきIthaca Adult Hockey League(イサカ社会人アイスホッケ リーグ戦とでもいえばいいのか)が開幕した。ここ数週間、忙しさで氷に全然乗っていなかったのでちょっと不安な 開幕であった。まずシステムから試合のルールまで日本と同じでないのでそれになれるのが大変だと思った。チームの 編成はどうなっているかというと、まず開幕前の登録で自分のスキルなどを記入し、登録代となるチェックを同封して 提出。その後、リーグ戦を司る連盟がその情報をもとに(ほとんどあてにならないのではというぐらい御粗末)適当に 人数を配分していくやり方である。だから1週間前にeメールで送られてきたリストを見てチームメンバーが12,3名 であることにちょっと不安になり(ホッケー関係者ならわかりますよね?この意味)恐る恐る集合場所のリンクに 行った。当然そのとき初めてチームメイトとは顔を合わせることになった。さすが、アメリカ合衆国、 ジョージブッシュさまさまじゃないけど、彼らの合理性には感心するばかりだけどそこまでされると なんだかなぁって感じである。で、自分の所属リーグはA,B,Cまで3部あるうちの(どうも)Aらしい。 この日記にも書いたけど、過去に洗礼をしっかり受けているので正直びびりまくっていた。で、試合開始。結構足も 動くじゃん!とか自画自賛していた時間もあっという間に過ぎ、2セット廻しのしんどさに、 はやくも1Pの途中で「はきそう」になった。 しかもディフェンディングゾーンでの相手DFとの攻防で少々熱くなってしまい、やってしまいました。 アメリカ初のぺナ。2分間豚箱に入ってしっかり休んでさぁって時にまた失点。結局、自分のミスも結構あり 2対7の完敗であった・・・・。いやぁ悔しいなぁ。まったく。あとやっぱ見方が何言ってるかわからないのも 結構しんどい。ルールはだいたい一緒だから、音楽とか松井選手の野球のように打ち解けるのもあっという間かな? なんておもってFace offしたものの、控え室では何の話しで盛り上がっているか自分だけわからずかなり寒い思いを した。いや試合もそうだし、英語力にも参ったよ。 だって審判に反則とられたときも何の反則かよくわからなかったもんなぁ 思い出して書いているのにとても悔しくなってきたのでもう終わり。でも週2回も公式戦がある、 ってやりすぎの日程だよ〜。まったく。英語力がまして痩せられれば御の字と思ってやることにしよ!


Oct. 25 Ecovillage in Ithaca


 I skipped the diary in the last week, so that I remembered that from last Saturday. The last week is for me pretty busy because I have some works regarding Japan and I should prepare for my experiment. Especially the last Saturday is special day!! In that afternoon I participated the visitor tour of the Ecovillage at Ithaca where is closed to our apartment and I have interset in this type of buildings. A guy who is one of the residents and a lecturer of the department of civil engineering in Cornell guided their site and explain these strategies. He is a nice guy and I was surprised he had stayed in Hachinohe ,Aomori, Japan while it was a high school days. His name is Flancis(?). He plays ice hockey, so we enjoyed to talk our hobby each other. His explanation is good for me but the other visitors almost asked him throughout tour, I talked him not a lot of time. In that evening Matthew who is a partner of my language exchange was invited our apartment, we enjoyed the dinner, some chat, and watching the TV that is the final game of the World Series!! But unfortunately the Yankees lost to the Florida Marlins even if Hideki Matsui set to the forth batter....zzzz Anyway it was nice and a little bit sad day!!


Oct. 18 Language Exchange


 Since the end of August I actually have spent a time for language exchage with a American student who is learning Japanese in Cornell. His name is Matthew, he is nineteen from Indiana. Every Tuesday and Saturday we have a chat each language that we are learning respectively. So Matt tries to speak in Japanese. Today's chat is pretty interesting for me because Matt was confused the difference between "きれい" and "かわいい". He wanted to tell both adjective because he has three!! Japanese penfriend who are all female!! He'd like to use the phrase in his Japanese letter. He told me he likes Asian lady!! I think he is pretty young and 女ったらし!(笑). He always watches Japanese TV program via video, he is a fan of モーニング娘。and Utada hikaru. Anyway I taught him this difference of meanings and I also taught other adjective "素敵". I told him we can use "素敵" when we want to praise not only the view regarding someone or something but the inner side....and he also confused the difference between "主人と奥様" and "主人とお客様"...I'm Japnese so I don't have a lot of care about those difference every day. It's difficult for me to explain to Matt but Suteki na chat desita!!


10月17日(金)Yankees ア・リーグ優勝


 続けてMLBねた。昨夜のMLBア・リーグ優勝決定戦は、ボストンレッドソックスをヤンキースが下して 見事にア・リーグ王者に輝いた。とこんな風に書くと、簡単に勝ったかに見えるが、大変な逆転劇のゲームだった。 6回まで0対4で負けていたのである。そこから、松井選手の2ベースなどが出て8回裏に同点。1200を過ぎたゲームに なったが延長11回でサヨナラホームランという、見ていた人にとってはスタジアムの寒さも吹き飛ばすかのような 勝ちであった。もうまさやんは完全なるヤンキースファンである。でも気をつけなければいけないのが、 コーネルには意外にボストンから来ている学生も多く、レッドソックスファンも多いことである。金曜日のキャンパスに は、なぜか?レッドソックスの健闘を称えてか?チームのレプリカパーカーや帽子をかぶっている人を3人も 見かけた。恐ろしい環境である。で、肝腎のワールドシリーズであるが土曜日からフロリダマーリンズと対戦。 もうヤンキースはツキをだいぶ使いきってしまった感じだがどうだろう?でもなんで「ワールドシリーズ」って 言うんだろう?アメリカだけじゃん!松井とかアメリカ以外の国からも選手が来ているからか?なんか傲慢な名前 だと思う、ところで、阪神とダイエーの日本シリーズの行方も気になるなぁ。あ、星野さん辞めちゃうんでしょ? でも何で今言うのだろう???星野さんの作戦、見え隠れする?少し興ざめしたかな?笑


10月15日(水)Yankees松井選手


 日本でも放映されていると思うが、メジャーリーグ(大リーグ)は、いま終盤のプレーオフを迎えている。 今春、巨人からNYヤンキースにFA移籍した 松井選手をこれまで応援してきた。 まさやんにとって松井選手は、もともと個人的には好きでも嫌いでもない選手の一人だったが、 巨人時代よりなんだかとても親しみのもてる選手になった。打席に入って球を待つ姿をみていると 頑張れ!って応援したくなる雰囲気をもっている。そんな彼も 日本では4番を任されていたが、ヤンキースでは日本に行ったらみんな4番を打ってもいい選手ばかりなので、 シーズン前半は5番、中盤は6,7番を打っていた。でもかなりの打点を稼いで、守備でも貢献し、 NYっ子は松井のことをみんな応援してくれる。

ひとつ残念なのが活躍しているのに、 彼が英語を話すことができない(?)ためか、話そうとしないのか、 ほとんどインタビューに出てこない (いやまったく出てこない)ことである。もちろん日本のメディアのインタビューには応えていると 思うのだが・・・ヤンキースにはドミニカ共和国などからの選手もおおく、 母語はスペイン語であるのに、一生懸命スペイン語なまりの英語でインタビューに 応えている姿はなかなか興味深い。松井選手もせめて次のシーズンからは、 がんばって英語で答えるようにしてほしい。ヤンキーススタジアムに応援にいったとき、 攻守交代の合間にスコアボードのビジョンで、ヤンキースの各選手が声援ありがとう!!の意味をこめて 1人10秒前後ファンになにか言うビデオが上映されたのであるが、肝腎の 松井選手は「さんきゅー!」だけでこれまたちょっと残念でした。たった2秒だよ。 せめてもう少しなんか言えよ!って感じである。

ところでNYヤンキースはいまボストンレッドソックスとワールドシリーズの出場権をかけていま闘っている。 放映されているスタジアムの雰囲気を比較すると、巨人阪神戦のようである。先日は乱闘騒ぎになったが、 松井選手は冷静に打点を稼いでいた。さすがである。乱闘よりも英語よりもグラウンドで成果を出すことが 彼の仕事ということだ。じゃぁ、俺は?机の上か?PCの前か?PCの前ではこのとおり仕事をしていない。 さぁ溜まっている原稿に向かわないとな。


10月12日()ART Trail


 頑張って更新。今日も朝から最高に良い天気。こんな日がいつまで続くかわからないんで、締め切りを既に過ぎている 原稿があるのだが、いざ外へ。今日はCandlewyckのアパートから歩いても行ける Museum of the Earthに行ってみようということになり、けんさんと遅いブランチ(札幌一番味噌ラーメン)を食し 出発。普段くるまばかり乗っているので気が付かなかった家のデザインや木々の変化に感動していた。 紅葉がちょうどピークに達している時期かとても綺麗なストリートに思わずびっくり。リスはもうだいぶ寒くなってきたからか ほとんど見なかったが、リスより1,2廻り小さな「チップモンク」を発見。かわいいというかスバシッコイので写真には とても撮れない速さ。

 ミュージアムの手前に小さな英式の中世風の館があり、なにやら案内板があり「 Ithaca ART Trail⇒」とある。面白そうなので行ってみようということになり 館内に足を踏み入れた。建物は看板によると普段「マッサージ師さん養成学校」のようで、 窓からは医療用(?)道具などが目に入った。会場になっている廊下にある 写真に見入っていたら、1人の女性が声をかけてきた。

彼女の名はDede。イサカ在住の女性写真アーティストである。 彼女に説明を受けたのだが、なんでも今週末と来週末はイサカエリアのアートフェスティバルということで、 各アトリエやギャラリー、会場(全部で50箇所以上)で同時多発的に行なっているとのことだ。 地図を見てびっくり、イサカ中のアートティストがこぞって腕自慢でないけど、 写真をはじめ、絵画、クラフト、彫刻・・・映像・・と勢ぞろい。「いやぁ高専の学生にも 見せたいな」と思った。なんでも彼女は数日前までパリに写真をとりにいっていたらしく、 いくつかの写真を紹介してもらいながら、さりげなく営業もされた。コーネルの研究員で 日本からきていることを話したら、同じ学部に以前仕事でかかわったことがあるとのこと。 けんさんは慣れない英語を駆使して意思疎通を試みているので、そんな姿をみるのも 驚きであった。BOCESの成果が見事なまでに出ていると思った。Dedeは、私たちの英語は すばらしいと誉めてくれ、少し嬉しかったのだが、彼女は自分がフランス語をもう30年も やっているのになかなかうまく話せないと話してくれた。フランスに行っていたときは 毎日すごく疲れた・・といっていた。そう私たちが英語をフルに話しているときと 同じくらい疲れるのにどうも似ている。コミュニケートがスムーズにできると心地よいのだが、 その日は猛烈に眠くなる。そんな経験を話したら、まったく同じだといってくれた。 彼女の撮った写真がポストカードになっていたので、けんさんと買ってそのギャラリーを後にした。

 ところで肝腎のミュージアムだが、これまた建築的にはとてもよくできている建物だと思った。  また展示内容も最高だった。 昨日は特別感謝の日で無料だったのだが一日遅かった。でも満足している。特にいいな、と思ったのが、 館内の展示物を説明するスタッフがボランティアの高齢者の方たちだった。とても生き生きしていて リタイヤしてもこれなら毎日楽しいな、と素直に思えた。化石がとれるイサカらしい地球のなりたち、 地震のメカニズム、生物の発生・展開と小スペースながら見事な博物館だった。子どもがみんなとても 喜んでいた。見て触れる展示であった。もし建築の設計がハードだけでなくソフトまでデザインできるなら すばらしいことだと思う。そんなことを感じたなかなかの傑作だった。 帰るまでにもう1度訪れたい。イサカの秋はまさに芸術の秋。そんな一日を過ごすことができた。さぁ原稿と・・・。

10月11日(土)多国籍群

 コーネルも秋のセメスターの丁度中間にさしかかり、学生はしばしのブレイクに入る。来週は コロンブスディで授業も数日一時的に休みになり、記念行事が大学では行なわれ、 学生によっては故郷に一時帰郷するものもいる。日本の仕事もかなり溜め込んでいるので、 この時期に一気に書き上げないと・・・と天気がいいのを尻目に机に向かわざるを得ないのはかなり辛い。 でも仕方ないので頑張ろうと思う。

 今週はひとりの台湾の院生が部屋にやってきた。彼の名はChia-Chun。  いままで校舎では会ったことの無い大学院生だったので、  詳しい事情を聞くと、前年度、修士論文を書きあげることができなかったらしく(欧米の大学ではよくあること)、  延期しているとのことである。  この秋からコンピューターマウスの性能実験をして、十二月までに論文を書き上げ、  クリスマス前に帰国するという。なんというタイトなスケジュール。しかも いま準備していて間に合うのか?俺の実験はどうなる?とかいろいろ考えたのだが、話しをしているうちに なかなか興味深い話しもできるようになったので、人のいいまさやんは彼の実験を手伝うことになった。 彼はお国柄日本と近いこともあって、日本には相当の興味をもってくれていて、なんどか日本にも行ったことがあるとのこと。 札幌には台北からチャーター機が毎週来て、温泉やらかにの食べ放題をみんな楽しんでいるんだよ。って話して あげたら自分も「かにを食べたい」。。。とのこと。ぜひとも札幌に来たら招待してあげるから、台北にいったら、 いろいろ美味しい台湾料理を食べさせてくれ。とギブ∩テイクの約束をした。

アメリカに来て良かったなと思うことに、 アメリカ人の友達ももちろんできるのだけど、アメリカには世界のいろいろな国から人が来ているので、 BOCESもそうだけど、世界中の人と知り合いになれる。それがいいところかも。BOCESで一緒のコロンビア(南米) のJoseは、いつもまさやんの隣に座ろうとするんだけど、アジア系(特に韓国の人)が多くて、 日本人のまさやんとコロンビア人のJoseはいつもジョン(先生)に席を強制的に離されてしまう。グループで 課題に取り組む内容が多く、韓国人だけのグループができてしまわないようにするジョンの配慮なのだが、 Joseはまさに「ドナドナ」で売られて行く子牛のような顔をして違うグループにいくのである。笑 この前はCayuga湖でウィンドサーフィンをするJoseの姿を地元のジャーナルがトップ記事で紹介していて、 そのコピーをまさやんにくれた。「俺ってグレイトだろ_??」だって。スーパーで買ったコロンビアンコーヒーが めちゃうまだよ!ってJoseに言ったら、「世界一に決まってるだろ!!」だって。面白すぎる。彼らには 「いやぁそんなことないよ〜(謙遜)」というカルチャーはまったく存在しないぜよ。太陽のような明るさだ 。まさやん、南米の方が雰囲気あってるかも?ってちょっと思ったりした。 でも興奮するとJoseの英語はいつのまにかスペイン語に変身しているので要注意である。

10月8日(水)若い日本語

 更新を1週間もさぼってしまった。毎日チェックしにきている人には申し訳ないの一言です。

 今日は日本語について書こうと思う。というのは、この数日ばかり日本からお客さんが来ていた。 まさやんの教え子1名が札幌から、そしてそのお友達が東京から来てくれた。 久しぶりに会う教え子の顔はまさやんにとっては新鮮で わざわざこんな遠いところまで来てくれて本当に嬉しかったさ。で、彼女らの話す日本語なのだが、 けんさんと普段つかっている日本語とちと違う。そう、それは久しぶりに聞く 生きた若い世代の日本語だった。まじで。 6月まで学校に勤めていたまさやんにとっては 聞きなれた音だがなぜか懐かしく聞こえてしまった。 まだ来て4ヶ月しか経ってないけど、なんだか自分がウラシマ太郎になったかのような錯覚だった。 彼らの使っていた日本語、具体的には思い出せないがとにかく違った。あと半年もここにいて 日本に帰ったとき、学生の使う日本語がもしわからなかったらショックかも。。。まぁそれも 新鮮でいいのかな???

10月1日(水)風呂桶の水

 10月になった。今日でサマータイムから時間が切り替わるのかと勝手に勘違いしていたのだがあと1ヶ月はサマータイム  ということである。もうイサカは秋を通り越して冬になっているような気候なのに。

 今日は朝から英語漬けの日だった。「え、毎日英語漬けじゃないの?」と思われるかもしれないが そうでもない。家ではけんさんと日本語で思いきり会話できるし、セメスターがはじまってからはJasonも 自分の授業で忙しい様なので、週に2,3度しか登場しないので、アランが部屋にやってこないとそのひ一日 事務のおばさん、ごみを回収にきてくれるおばさんと朝話すぐらいで、その日一日誰とも話さないなんてざらにある。

 でも今日は違った。朝から英語オンリーのめまぐるしい一日だった。午前中はアランと打ち合わせ、午後は  マスター論文の公聴会があるということでこれまたチャレンジャーではあるが聞きに言った。そうしたらなんと 聴衆4人、しかも1人の先生は途中で用事だとかで退席して、残りは主査のアランと副査の先生と私だけになってしまった。 まぁそれが昨日と同様で、プレゼンターの話し方はまるでCNNのキャスターをスタジオから連れてきたかのようなスピードである、発表者は もう既に社会人で名前はスペイン系だがばりばりの英語だった、で、そいつがなんかトップガンに出ていた頃の トムクルーズにそっくり(札幌の同僚N先生よりかも?)。格好いいやないけ?とかそんなことを想像しながら聞いていたりしたので、肝腎の内容に付いては、 専門知識も持ち合わせていないこともあり、理解できたのは全体の40%ぐらい(辛口)。で、またやってきました。 アランお得意のふり。マサヤはなにかないか?だって・・・予想はしていたけどまったく厳しいよ。おいって感じ。 でもプレゼンを聞いていて唯一(?)気になったことがあり、たどたどしい英語で聞いてみました。 そうしたら、聞いたことが結構論文には大事なこと、もしかしたらかなりクリティカルなこと?を聞いたらしく さっきまで威勢のよかったプレゼンたーの彼が急に考え込んでしまったのである。俺は「あ、、やっちゃったよ。 やっぱわからないよな。俺の言っていること・・・」とか思って、違う言い方をしようと考えていたら 副査の先生が「今の質問の内容に回答できないのなら、それについてもう1度調べてあなたの論文の中に きちんと反映しなさい・・・」と彼に言うではないですか・・・え、わかってるの?みなさんって自分で驚いてました。 彼には悪い事をした(いやいや良い事だ)かも知れないけど、結構俺も捨てたもんじゃないな!なんて 勝手に思って2日れんちゃんの逆転(?)に喜んでいました。。まぁ大事なことは言葉じゃなくて中身だよね。以上自己満足。

でもって夜はBOCES,なんかいつもよりジョンのいってることわかってきた。そんな一日だったのさ。今日のまさやんの状態は、 まさに栓を抜いて、蛇口を最大にして水を出している風呂桶のような状態、供給される水量は耳に入る英語の量、 栓からでていく水は頭に入ったものの出ていってしまったもの、でもって供給水量が廃棄水量を上回ると、 水は風呂桶からあふれますよね?そうそれが1度も吸収できずに(右耳から左耳に)抜けていった英語、という 感じです。一日、蛇口からいっぱい水を注がれて、栓がしまってなくて、水が溢れていた、という状態です。 毎日やっていたら確実に力つくよね。・・ということで後半年。

Sep. 30 Tue. Academic Class

 I have been spent a month in this semester. I have joined a class for graduate students of prof. Alan Hedge. This class is held on every Tuesday morning. Now, we are studying the relationships among the ergonomics(人間工学), the virtual reality with the computer technology, and the educational feed back... There are five students (including me) in this class, a group subject was made from Alan!!

The whole meanings of this class is understood, probably 50-60%, but I hesitated to speak my opinion in our discussion even if I have some idea. This is because their talking speed is very high for me. Fortunately or unfortunately, in the end of the class one student asked me "Masaya, what do you think about this??" so that I have to answer immediately and then I told them my opinion... After I told them, they were a little bit surprised that my opinion had maybe important points. I am a little bit happy, at the next time I do not hesitate to speak in English. By the way, I am very tired because I always translated English to Japanese in my brain while I talk something in English. We are going to discuss on Friday again.

9月28日() 締め切り

 もう日曜日である。明日は月曜日・・・なんて当たり前なことなのだが、最近妙に1週間が過ぎるのを早く感じる。実は 先週金曜日締めの依頼原稿があって、自分ではまだ全体の構成に不満があり、月曜日まで待ってもらうよう にお願いした。少し余裕が出来てホッとして土曜は例によって例のごとくボー−としてしまい、 今日を迎えたのだが、冷静になって考えてみたら、日本はイサカより半日早く 進んでいるからもう月曜日の深夜?とか急に思い出して、昼過ぎからシコシコ書き始めた。もう日本は朝になっちゃう! 相変わらずの間抜けぶりに、自分でもあきれながらヨウヨウ先ほどメールにて送信。札幌にいるときとまるで 変わっていないスタイルである・・・。

にしても、このWebsiteもそうだし、メールってのは本当に便利なものである。時差はあってもギリギリまで 粘れる。最近は学会などの発表原稿の提出もWebでできるようになった。ハイテクである。 学生時代の原稿の提出といえば、郵便局に締切日の日付が変わる直前にギリギリに持ちこむ作戦が常だった。 夜の11時50分ごろを狙って玉川郵便局に原稿を持って滑り込んでいた頃が懐かしい。そうそうメールといえば 昨日、海外派遣でストラスブールに留学したリエさんからもいただいた。 彼女はこの9月から1年の予定で研鑚を積まれるとのこと。札幌・イサカ・ストラスブールと昼夜は違っても、 それぞれが頑張っている状況を感じることができる、そんなメールのテクノロジーに改めて驚く。 そういえば建築のやっしぃ先生もウズベキスタンだったよなぁ?さすがにPCは持っていってないのかな?あ〜もう9月も終わりじゃん〜


9月27日() インカレ


ということで立て続けに更新。今日のイサカは天気がいいのだが風がすごく強い。 コーネル大学の学内用Webには、イサカの気象データがリアルタイムで 公開されているので面白い。目の前のCayuga lakeの水質まで出ている。きっとヨットとか乗る人がみるのかな? もうすぐ紅葉の時期、北海道もこれからすごいことになるのかな?イサカ周辺の綺麗な写真がとれたらまたけんさんといっしょに 公開します、ということで、、、

表題からはだいぶそれたが、先日朗報がイサカにいる私にも届いた。といってもMLのメールだけど。 学生時代に所属していた母校のアイスホッケー部が来年正月に日光で開催されるインカレ(全国大学選手権)に 出場を決めてくれた。後輩たちの頑張りがなんだか自分の事のようにうれしい。

イサカに来てもアイスホッケーは続けてやろうと思い、 先日Usedのホッケーショップ(イサカにはここしかない)に行き、 中古の防具を一式購入し、イサカでホッケーデビューしたところだった。 ホッケーを大学入学後はじめて以来、早14年弱。 更衣室で東洋系の奴が防具に着替えているのを見て、100%間違い無く不思議そうに見られる。 アメリカ人ってのは面白くて、そんな表情が顔にもろにでている。その数秒後には、 たまらず、「おまえはどこで何年やってたの?」とだいたい聞いてくる。待ってましたではないが、 「日本から来て、キャリアは14〜5年になる」と言うと、今度は好奇心丸出しだった顔から 得意気な顔に豹変し、「日本にアイスホッケーというスポーツがあったのか?」 といわんばかりのジェスチャーをされる。 侍ニッポン、負けられないと思い氷上で一発お見舞いしてやろうと思ったが逆にやられてしまった。 完全になめられている・・・まぁ身体のサイズや結構若い奴が多いので無理もないのだが、 久しぶりに悔しさがこみ上げてきた。そう、あのインカレ予選で負けたとき以来の悔しさ・・・ ほどではないが、なんだかスポーツの世界は厳しいと肌をもって感じる。 まぁこのまま帰国するのイヤなのでどこかで一泡ふかせてやりたいのだが・・・。 と思ったのだが、後で話しを聞くと18才、なんと、コーネルに入ったばかりのフレッシュマンで、 来週、 コーネル大学・アイスホッケー部 (全米ランキング4位)のトライアウトを受けるので その調整に来た・・・と話すではないか、しかも「調整だぁああ!?このやろう!」と思ったが、 正直負けるはずである。でも将来NHLの選手になるかも知れないので、ここはひとつ大人として振るまい、 友達になっておいた。

今回も残念ながらインカレに出場する後輩たちの勇姿を応援にいくことはできない。 まさやん23才の時のインカレは予選で敗退したけど、 そうそう、イサカでのホッケーシーズンは俺にとってのインカレだ! 遠い地でも同じスピリッツでやっている32の男がここにいるぞ! 後輩たちよ!頑張れ、暴れまわれ!!応援しているぞ!

9月26日(金) さぼり

北海道で大きな地震があったようだ。ニュースで釧路のNHKの映像がNYでも流れていた。札幌は大丈夫だろうか? 苫小牧は大きな火災があったようだが、札幌に移ってそれなりに道内にかなりの知り合い、友人もできた。 なので心配である。Yahoo Japanあたりでそのへんの情報はチェックしてみたりしているのだが・・・。

ところで今日はもう土曜日朝、ただどうしても昨日のことが書きたかったので一日遅れの日記である。 このサイトを公開してカウンターが毎日変わっていることを確認するのが嬉しいのだけど、日記をかかなきゃ、という感じで ぷれっしゃーになったりもしている。まぁこれまで結構きばって書いていたような気がするが、けんさんみたいに 3行日記という方針にしようかな、まぁ、気まぐれなのでそのへんのスタイルも変わるかもしれないのでよろしくです。

冒頭から話しはそれたが、昨日は大学にいくのをサボってみました。なぜか?理由は天気がとても良かったから。 まるでラテン系のりだが、本当に昨日は天気が良かった。で、けんさんもBOCESから昼に帰ってきたので、 午後に近くの Buttermilk Falls State Park に行った。 けんさんが一昨日発見してくれた公園である、で、 初めていって驚いた。滝もすごいのであるが、滝の上の湿地とや自然である。 まるでいきなり尾瀬と支笏湖を足して2で割ったような景観である。まぁ湖はpondと 紹介されていたので支笏湖ほど大きくないのだが。秋の色取りにもなってきてまるでそこは別世界。 自然も本当に豊かで何より人がほとんど居ないのがいい(当たり前か平日だし)。でも日本だと必ず 人が結構いたりする。観光バスなんかみちゃうと結構興ざめしますよね?自分が乗っていたりする場合もあるけど 笑 高専のヤ〇ッチなんて喜んじゃうんだろうな?とけんさんと2人ではなしていた。 あーーー俺はいままで大学の研究室にずーーとなんでいたんだろう?っと意味もないことで後悔してみたりした。 最高な時期は今からの紅葉の時期とやはり夏7,8月だったのだろう。まぁこれからが最高だと思うので また来ようと思う。写真も近々アップしまっせ。

9月24日(水) 英語のスキル

毎週月・水はBOCES(Board of Cooperative Educational Services)の日である。約2時間半、英語だけで会話、文法などについて勉強する。毎回休まずに 出ているのだが、いつも思うことは自分の語彙力の無さである。他のクラスメート、特に韓国や中国から 来ている人たちはとても語彙が豊かだと感じている。レベルはかなり高いのでこちらがついていくのが大変な 状況である。

なぜかわからないのであるが、大学でアランや他の学生などと英語で話しているときより緊張する。ESLの クラスなのにである。ESLのクラスメートの多くはアジア系なので、なんだか英語を話す時に自然体になれて いないのかも知れない。もしくは間違える事を恐れているかもしれない。まだ始まって2週間だが、なんだか 先のことが不安である。

ただBOCESでは、非常にユニークなやり方で英語を学んでいる気がする。例えば、 今日は「What is your favorite movies?」というテーマで、自分の好きな映画のジャンルを誰かが即席で プレゼンをする。話している相手に 先生のジョンが、もし間違えた言いかたをしたら「ストップ」をかけ、どこが間違えかをすぐには言わず、 話し手が気付くようにアシストする方法である。もしそれでもわからなければ教室の誰かに問い、それでも 誰もわからないとジョンが最後に説明するという流れだ。それで終わりかと思ったらまだ終わらない、 今度は話し手に対して、ジョンに指名された誰かが、話し手の話しを受けて質問する。という課題がある。 自分のクラスは夜の部のB(AはBよりハイレベル)なのだが、ジョンに言わせると、この質問が AとBとで違うそうだ。Aクラスは火・木にジョンがやはり指導しているのであるが、good question が多いようである。なんだか学習塾のような雰囲気もあるが、自分にとってハードであることは言うまでもない。 帰国するまでに力がつくことを願うばかりである。

9月22日(月) 親父のこころ

昨日、日本から親父がきた。なんでもこの秋で定年退職ということで、退職金の一部を充てて、 その記念に夫婦2人でイサカにきてくれた。 5月末自分が日本を離れるとき、なんとなくいつもと同じように、ぎこちなく「じゃ頑張って来いよ」と 一言くれただけで他に何か言うわけでもなく見送ってくれた父。昔から言葉数が少ない父だとわかって いたが、さすがにもっと他に言うことねーのかよ?息子がアメリカに長いこといくんだから・・と 正直思ったりもして日本を後にした。

イサカの空港に出迎えにいったのだが、あいにく2人の乗った飛行機がNYCを定刻40分遅れで出たこともあり、 小さな空港の大きな窓越しに、きれいに澄んだ青空のむこうの機影を待ちながら、 親父と自分の過去33年(実際の記憶としては30年ぐらいだが)をボーと思い出していた。

幼稚園のときだっただろうか、土曜日はいつも親父が迎えにきてくれる日だった。帰りは決まって 亀戸駅前のラーメン屋、親父がオーダーするのはたしかいつもタンメンで、 メガネを曇らせながら無言で黙々と食べていた。曇ったメガネを傍のティッシュでいつも拭いていたのが 印象に残っている。父親参観のとき「ティッシュペーパーはなにに使うもの?」と聞かれ、 「お父さんがメガネを拭くもの!!」と元気よく言ったようである。幼稚園の先生は笑いこけその後仕事にならなかったらしい・・。 中学1年のときは食塩水の濃度の計算ができずに正月ひっぱたかれながら特訓させられた。 「ひっぱたいたら余計計算なんかできないよ!」と泣きながら訴える自分に 「痛みを感じる事が無くなったらおまえはもう終わりだ!」と言われ、結局その言葉の方が怖くて、 計算できるようになった(これは間違い無くDVというやつで問題ある指導法である)。大学入学後、アイスホッケーばかりしている自分に 「おまえは体育大学に入ったのか?」と。 D論の公聴会を聞きにきてくれ、質問にうまく回答できなかった自分に終わった後で一言 「相手を説得するのでなく、納得させる技をつけなきゃな。」 ・・・それぞれ言葉は少ないがいつもその時々で印象に残る、自分にとっては名言ばかりだ。

そうこう考えているうちに、青空の中にキラっと光るものが見えた。 成田で別れてから4ヶ月。月日としてはそれほど経っていないのだが、 長身のアメリカ人らに混ざって最後にタラップから降りてきた父の姿を みて「あ〜だいぶ歳をとったなぁ」と素直に思えた。ゲートから出てきて一言。 「いいところで勉強してるな」

誰の世話にも基本的になりたがらない父は、もっと居たそうな母をつれ、今日夕方帰路についた。 今月還暦を迎えた父に改めて感謝している。



9月18日(木)Would you〜?

今日は日本語だが英語の話題を。こちらに来て自分がよく使う言い回しに、「Would you 〜 ?」という お願いがある。例えば、飛行機に乗っていてべっぴんな(死語ですね)すっちーにコーヒーを 頼むときは「Would you give me a coffee ?」とか言えば、coffeeの発音さえきちんとできれば、 まず間違いなくコーヒーが出てくるでしょう。でも一つ疑問がある。なんでWould〜なのだろうか? 中学や高校でもやったかも知れないのだけど。誰か教えてください。上の場合、Would you の部分は Pleaseでもいいわけだが、なんで過去形なんだろうか?きちんと調べたわけではないので、いまだに正確な答えは わからない。ただひとつ関連があるかな?と思うことがある。東京から北海道・札幌に越したときに、 コンビニの店員さんがレジで「お弁当は温めましたか?」といったり、レストランのウェイトレスが「コーヒーの お替わりはよろしかったですか?」と過去形で言うのを思い出した。2年住んだ今は違和感がなくなったが、当時はなんで 過去形なのか疑問に思ったものである。あ、これと関係があるかも?って答えは相変わらずわからないの だが、北海道の言葉は英語に似ている・・・もしかしたらクラーク博士のころまでさかのぼらないといけないの かも知れないが、北海道で最初に英語を訳した人がそのまま和訳を北海道での日本語のスタンダードにして しまったのかも知れない?大胆な、しかもなんの根拠もない憶測だが、そのあたりは学生時代の同期で道産子が1人いるので 議論してみようと思う。やっぱり関係無いかな〜。


Sep. 16 Japanese Dinner

Today I am writing diary in English. I join the Japanese Dinner program that is the conversation between the students who is studying in Japanese at Cornell and native speakers in Japanese. Of course, I join this program as a native speaker. This program is opened every Tuesday evening, we enjoy a dinner with talking in Japanese about some topics. In this evening I met three Amrican people, and especially, I told a person who came from Indiana. He has been studying in Japanese since this June, just when I came Ithaca. I am surprised his Japanese skill is high!! I have learned in English since I was a junior high school days, total is about 20 years, but I have not speaked well yet. According to my opinion, if we would like to master any language, we had better concentrate!! Anyway, I promised him to exchange each language every week. I maybe become too busy!! but it is exactly that this opotunity is very important for me. Ganbarou!


9月15日 BOCES

NY州から援助を受けて運営されているといわれる、なんと無料のBOCES (なんの略かわかっていない)というESL(English as Second Language)の教室に2週間ほど前から、 通っている。毎週月曜日と水曜日の夜6時半から9時までの2時間半、英語の基本を学ぶ教室で ある。最初に面接をうけ、指定された教室に行くとお祭りかのような雰囲気で第1回目の 教室ははじまった。みなの出身国を聞いていると、韓国、中国、コロンビア、スペイン、 そして私の日本と様々である。アジア系が全体の7割強を占めているのと、最近スペイン の人は帰国してしまったので、コロンビアの彼はなんとなくいずらそうである。でも真剣だ。

まず最初に2人組を作り、お互いの情報を交換するということで、自己紹介ならぬ他己紹介 をした。組んだパートナーは韓国ウルサンからきた子供が3人もすでにいるという、私と同 じコーネルのVisitingの人である。彼にも自分のホームタウン札幌の話しをしたのだが、韓 国で日本のことをある程度勉強していたようで、妙に日本のことに詳しい。自分が隣国韓国 のことを知らないのにである。もっともっと彼にいろいろなことを聞きたいと思っているう ちにプレゼンの時間になり、あまり情報を収集することができなかった。彼は私の紹介をし てくれ、ほぼ完璧な英語でやってくれた。要所要所に自分が伝えたかった内容が彼のプレゼ ンの中にちりばめられ、紹介されている自分としては彼の英語表現力と理解力に感動すると とも素直に嬉しかった。いっぽう自分はというと、あまりうまくできなかった気がする。情 報収拾不足がたたったかも知れないのだが、プレゼンの時間に終始、自分のとったメモをみ るあまり、クラスメートの面々を見ることなく(途中で2回ほど先生に注意を受けたが)やっ てしまった。自分としては、彼の情報をうまく集約できないままプレゼンに臨んでしまったこ とが心残りだが、彼とて大して自分の情報をまとめたとは思えない。ようは、言いたいこと を集約して、与えられた時間をいかに有効に使うかであった。彼の英語はとても生き生きして いたし、今後の自分の当面の目標になる人物が現れたと感じている。いいライバルになってほ しい。明日はアランの授業でまたプレゼンである。学生のような生活を楽しみたい。


9月13日 日本人の買い物

今日は、秋・冬ものの洋服がないので、近く(といっても1時間強だが)のショッピングモ ールにけんさんと出かけた。Cayuga lakeとSeneca lakeの間の87号を北上した先にあるWaterloo というモールである。あの御殿場にあるモールと同じ系列の「The アメリカ資本どーだ!」 というモールだ。小さい頃、千葉の船橋に「ららぽーと」というショッピングセンターが出 来て、週末になると家族で出かけた記憶があるが、まさにそんな思い出を髣髴させるような モールである。いわゆるブランド品が市価の50%ぐらいの値段でクリアランスセールして いる最中であった。行って気付いたが、秋物なんてほとんどなく、在庫処分の夏物ばかりで 参った・・・。

まぁせっかくだからと、靴とセーターを買った。驚いたのだが、レジで購入するときに 「What is your ZIP code??」といきなり聞かれた。普段Zipコード(郵便番号)は何気なく 使っているが、いきなり聞かれたもので、例によって例のごとく金縛りにあってしまい、 不覚にも同じように「What is a ZIP??」と聞き返してしまった。よくわからない顔を店員 にされてしまい、まぁ買い物は問題なく済んだのだが、自分としてぜんぜん腑に落ちなくて (相手もそうだと思うが)、けんさんの買い物のときにようやく思い出した。これはおそらくど こからどれだけの人が買い物に来ているか?というマーケティング調査のようなものだと思 う。けんさんは思いきり「Japan」と答えていた。店員もそうか、と言わんばかりにタグをとって いた。われわれの回答としては、イサカからきているのだから「14850」と答えるのが 彼らの調査には貢献していることになる。相変わらずまだ慣れていない夫婦である。


9月11日 テロから2年

今日はあの同時多発テロからちょうど2年目にあたる日である。日本でもそれなりに報道が されているのではないかと思うが、こちらはもろに攻撃を受け、被害者の遺族もたくさんい るためか朝からその報道・記念特集のオンパレードである。この2年でアメリカは何を世界 から感じて、何を学んできたのだろうか?住んで3ヶ月あまりになるが、自分でもよくわから ない。どちらかというと(個人的に思うに)国レベルでは何も学んでいないように感じる。

ここイサカの雰囲気も荘厳な雰囲気に包まれているか?と思っていたら、私の目で見る限り ほとんどそれらしい雰囲気は感じられなかった。朝のニューヨークシティからのライブとは まるで正反対である。まぁNYCからの中継もグラウンドゼロ周辺だけなのかも知れないが・・・ 金融街やその他の商業はいつもと変わらず動いている、それもアメリカらしい動きだ。

けんさんの通うBOCES(NY州指定の無料ESL教室)の先生は、どうもブッシュ大統領が大嫌いのよう だ。ここイサカは住んでみて思うのだが、とてもリベラルな町で決して「アメリカ至上主義」 な雰囲気はない。いまだに家のあちこちに「No War Iraq」の垂れ幕があったりする。少し郊 外の町やシラキュース(結構な大都市)に行くと、星条旗がたなびいているのに・・・である 。ここはアメリカだけど、本当のアメリカではない・・・同じ在外研究員でコーネルに来てい て、先日、日本に帰国した静岡大学の先生もおっしゃていた。まぁ日本人の自分にしてみれば、 (アメリカ至上主義でないだけ)住みやすい町ということになるのだが・・・話しはだいぶそ れたが、同時多発テロでは、日本人も多くなくなったと聞く。心から犠牲者のご冥福をお祈り するばかりである。


9月2日 初授業(受ける方)

今日は所属先のアラン・ヘッジ教授の授業があったので、少々英語には不安はあったが躊 躇っいても何も始まらないので試みに出席してみた。大学院生対象の授業なのだが、授業 と言うよりは、日本の大学で言うゼミのような雰囲気ではじまった。メンバーはアランを 入れて、総勢6名。最初に新メンバーの私がいたこともあり、自己紹介から始まった。ま ずはMasayaからだ。といわれ、日本から来た、札幌は日本でも寒いところでイサカと同じ ように雪が降る・・・と紹介した。アランにMasayaの勤務している学校のことも話してよ・ と言われ、札幌市立高専の話しも紹介した。学校案内を持ってくればよかったといまさら ながらに思う。

ところで、授業のメンバーは自分も含めるといろいろな国から来ている。一人はインド(男性)。建 築を専攻しているそうだ、インテリアデザインに興味があるらしい。次はアメリカ人(男性)。経済 関係のマネージメントが専攻(?)ワシントン出身だそうだ。もう1人は韓国の女性。なぜか近くの国 なので親しみがもてた。彼女はインダストリアルデザインが専門。まさに札幌高専を紹介した甲斐が あった。アランはイギリス人だし、TAの女性はケンタッキーということで世界各地の視点で、 Ergonomicsを考えていきたい。と冒頭にアランは言った。なかなかのメンバー構成かも知れない。期 待大。

肝心の授業の内容についてであるが、1時間強のアランの話しの中で、理解できた内容は50%(辛口) ぐらいだろうか?もちろん英語の理解度としてである。たぶん日本語で講義してくれたら内容としては それほどハードでは無いのだろうが、やはりハンディは大きいかな?でも50%だとしても自分として は上出来かな?と今日のところは思った。早速宿題が出たので、学生時代のようにこれからやる予定で ある、今度の授業でプレゼンが課されている。これまたビッグイベントである。とても疲れたが心地よ い疲労とでも言えばいいのかな?でも今日の授業はお試しで出たけど、この人数だと抜けられない・・ ふぅ。