≪1月12日(月)〜1月21日(水)欧州へ≫



          【行程】1月12日(月)イサカ発⇒シラキュース⇒シカゴ⇒
               1月13日(火)ロンドン2泊
               1月15日(木)ロンドン⇒(Euro star)⇒パリ2泊
               1月17日(土)パリ⇒(同上)⇒ロンドン⇒(FinAir)⇒ヘルシンキ 1泊
               1月18日(日)ヘルシンキ⇒ロバニエミ(Lapland, Fin) IEA会議 2泊
               1月21日(月)ロバニエミ⇒ヘルシンキ⇒ロンドン⇒シカゴ⇒シラキュース⇒イサカ⇒ホッケー?
    

1月21日(水)4回搭乗/day+ホッケー

 いっきにイサカに戻ってきた。地球の自転の関係で日にちは変わらず。フィンランド時間の早朝ロバニエミを出て、 アメリカ東部時間の夜11時にイサカに到着した。飛行機に連続4回も乗ったことになる。さすがに疲れた。もっとも 直行便も出ているのだが、行きにロンドンに寄った関係でこのような日程になってしまった。にしても不思議なものだ。 というのは、まさに帰国。という気持ちになれたのである。普通自分たちにとって「帰国」とは日本に帰ること。でも イサカに戻ってきたときもなんだか「あ〜戻ってきたなぁ、わが故郷」とか思えたのである。既にロンドンからシカゴに 入ったとき、アメリカテイストのレストランでけんさんとディナーをとったのだが、その店のBGMがイサカで聞いている ラジオでよくかかる曲だったので、自分たちがUSAに戻ってきた、、、ということを肌で感じた(味覚・聴覚・視覚・嗅覚)。 やはり欧州とアメリカは違うよね・・・会議に一緒に参加していた欧州各国のメンバーもそれぞれが英語を母語としない 国からのメンバーなので(イギリス・アメリカはなぜか居ない。カナダはいるが)、まさやんが聞いていても、みな上手なのだが 第2言語としての英語にやはり聞こえた。アメリカではそうは言わないよなぁ・・・と。まぁ偉そうに語れるほどまた話せない 自分でもあるが「耳」はだいぶ変わってきたように思う。でも疲れた・・・が、、、Garrett に帰ってきたらすぐリンクに 直行すると約束していたので、空港からリンクに・・けんさんにクレージー呼ばわりされたが、2Pから遅れて登場。案の定、 時差ぼけ+それ以上に疲れていたこともあって全然駄目駄目プレーヤーでかえってメンバーに迷惑をかけた。でもみんな まさやんが今朝フィンランドを出て、さっきシラキュースに着いて、いま来た。といったら「クレージーだよ、お前!」と 本当に言われてしまった。試合は全然駄目だったがまたひとつ仲間と密になれた気がする。明日は日本からお客さんが来る。 おやすみなさいませ。  

1月20日(火)Finish Sauna

 会議2日目を迎えた。今回の会議でこの IEA Annex37 の活動は終了する。3月までに報告書をかねたガイドブック(CD−ROMつき) を発行するというタスクがあるのだが、それの調整作業がこれから1ヶ月の間続くようである。Miaは大変な忙しさだと思う。 午後はフィンランドの企業技術者などを交え、発表が行なわれた。フィンランドの発電所事情の話がとても面白かった。 冬にマイナスになるフィンランドでは、多くの発電所が水力なのだが、凍ってしまって発電能力が落ちるのかと思ったら、 そうではないらしい。豊かな水量があるから可能な話なのかな?と推測した。夜はFinish Saunaを体験。貸しきりで、 日本で言うとカラオケボックスをサウナにした感じ。さすがにカラオケはないのだが、中に料理を持ち込み、ビールやワインを 飲みながらサウナルームを行ったりきたりしてすごすという。サウナは中央にある高熱の石に適宜、水をかけながら湿度を 調整して過ごすという少し変わったスタイルのサウナだった。まさやんは5分が限界・・だった。 サウナと食事や団欒ができる場所を行ったりきたりしながら過ごすというスタイルを含めて フィンランド式のサウナなのだろう。プールもサウナの横に併設されていて泳ぐこともできた。 長い冬を楽しむ文化がフィンランドにはあると思った。  

会議中はなかなか話せなかったが、今回のホストMarrkuとフィンランド史について話をした。 ロシア領だったはなし、それから独立した話、少し世界史で習っていた記憶が あるが初めてだった。新鮮だった。そしてMarrkuはフィンランド史の話になると、専門の建築環境のこと以上に真剣な 目でまさやんに語ってくれたのがとても印象的だった。あといきなり「Kenjiはすごい奴だ」という。 最初、ピンとこなかったのだが、あのノルディック複合でかつてメダルを独占していた、荻原健司さんのことだった。 ノルディックというぐらいなのでノルウェーの国技なのだが、フィンランドはノルウェーとまさにライバル関係。 北欧のスポーツだがあるときアジアの日本の選手で「とんでもない奴」が現れたんだよ。。と言う。 北欧の選手がどんなに頑張っても勝てない選手が荻原選手だったそうだ。フィンランドは複合競技ではノルウェーに 負けていたけど、「Kenji」がいつもノルウェーに(当時)大差で勝っていたのでフィンランド人は皆、Kenjiのファンだと いう。Kenjiを通じて日本の情報もそれなりに入ってきたんだ、、と。そんな話がとても面白かった。

Miaも同様に語ってくれたが、彼女は自分史を紹介してくれた。 もともとアートに興味があったのだが(彼女の姉は帽子のデザイナー)、数学が得意だったので数学をとったという。 その後いわゆる理科系の分野に進み、今の仕事(VTT:フィンランド政府の国土交通研究所)に就いている。男と女の 認識のされ方の違いを(どこの国も一緒なのか?)特にけんさんに真剣に語っていたのが印象的だった。熱い女性である。 Miaを含めてメンバー全員とまたしばらくの間会えなくなる。特にMiaは、けんさんが参加してくれた(全然関係なかったのだが) ことをとても喜んでくれていて、最後に別れるときは「今日はいっぱい話を聞いてくれてありがとう。。。と何故か涙声だった。 なんだかまさやんも「ジーーん」と。そしてアメリカでは板につきつつあるハグもして、次の再会を約束した。最高の2日間だった。 Miaありがとう。明日というかあと数時間で出発である。フライトなんと朝6時。もう寝れないなぁ。これじゃ行きと一緒じゃん。  

1月19日(月) IEA Annex37会議開幕

 朝から会議が始まった。前夜食事やオーロラ鑑賞で交流を深めたので、自然に会議に入ることができた。 恩師はスノーモービルに2時間乗っての疲れがまだ残ってるようである。まさやんも時間があったらぜひ体験してみたい。 00年にストックホルムの会議で会って以来のMia(会議のオペレーティングエージェント)も、3年ぶりの再会だが、 元気そうである。彼女はとても気が利く女性で、彼女なしではこの会議もグループの活動も成り立たないと思う。 彼女はまさやんがアメリカのコーネル大学で研究していることをとても喜んでくれた。いろいろな情報を今後も 交換できるといい。夜はロバニエミのテクニカルカレッジを見学した後、ディナーをイグルーの家(模擬的に 作ったもの)でとることに。まさに気温0度の世界。壁も椅子も氷である。外気温がマイナス25度くらいなので、 中は25度も高温の室内環境ということである。不思議なことに中は確かに「温かくはない」が「寒さ」をそれほど 頭で想像するよりは感じなかったことである。ヒトは外気をなんとなく察知して室内の環境を直に感じているのでは ないか?またそれを裏付けることができるのが、まさやんらがずーーと研究してきているエクセルギーで説明できる のではないか?と思ったのである。恩師と議論をしようと思ったのだが、まさやんの目には日本での仕事の負荷の 影響(想像)と、スノーモービルの疲れがまだ残っているようなので、なんだか話せずじまいだった。そう日本語を 使いにくいと思える自分がいることに気づいた。アメリカで生活したからか、日本人同士で日本語を使うことは日本人 だけしか居ない環境ならぜんぜん気にならないのだが、そうでないときに日本語を使うことがなんとなく嫌だな、と 思える自分がそこにあった気がする。だから不思議だが、恩師とも後輩Kともみんながいるような、たとえばバスの中、 会議場、ディナーのときは英語を極力使うようにしていた。これは意識していたか無意識かわからないが、わからない から多分無意識なのだと思うが、少なくとも2000年のときよりは変化したことなのかも知れない。  

1月18日(日)オーロラの下で

 午前中はヘルシンキの街を散策した。映像で頻繁に見るモスクワの雰囲気に似ていると思った。 もちろんネオンや商店の輝きは多少あるのだが、パリを見ているわれわれにはさびしい感じに見えた。 かつてはロシアの一部だったのだからそれも無理はないだろう。でも夏は気持ちのよさそうな街である。 散策といっても半径500mぐらいの距離だが。本当はヘルシンキ工科大学や建築家 アールトの作品も見たかったのだがスケジュールの関係でそれは今回できなかった。にしても兎に角寒い。。。何℃なんだ? でもCNN(from USA)を見ていると北米、そうイサカは大寒波だそう。。。もしかしたらヘルシンキよりも寒いか???笑 午後の便でまさやんの仕事の会議場になっている、ヘルシンキよりさらに北の街・ロバニエミに入った。ここで2日間会議が 行なわれる。なんと外気温マイナス23℃。天然の気候では初体験かも知れない。日本でも旭川ぐらいだと普通なのかも知れないが、 札幌はここまで下がらないからだ。でもCNNによるとイサカはマイナス30度ぐらいだったかも?なんだか寒さから逃げてきたようである。 フィンランドにいるのであるが。。。笑 ロバニエミでは、日本からも今もお世話になっている(なりまくっている)恩師と後輩K(博士号取得まで あともう少し)と再会した。またかつて会議のメンバーで顔を併せている欧州各国の研究者グループとも再会ができた。 夜は、スウェーデンから来ているGudni(アイスランド人)がオーロラのエキスパートなので、彼の指示通りにオーロラの出現を 待っていた。横でレーザーショーをしていてよく判別できなかったが、なんとなくオーロラらしいものを肉眼で見ることが出来た。 これも初体験である。空からのささやかな歓迎のメッセージをうけとることができて嬉しかった。  

1月17日(土)いっきに北へ

 今日はいっきに北上してフィンランド・ヘルシンキに移動した。朝からパリは良い天気。でもEurostarでロンドンに戻る途中ぐらいからか、 またドンヨリ。ロンドンでは完全に曇りの天気だった。こうも違うと国民性の違いと天候の関係も相関があるのでは?と本当に思えてくる。 実は乗り換え時間にあまり余裕がなくて、Waterloo駅からヒースロー空港までは、もうそれはそれは「踊る大捜査線」だった。 スーツケースを走らせ転がせ、汗だくになって受付を探しているけんさんとまさやんを見つけた BA(英国航空)のスタッフは、「急いでいるのね?!あなたたち・・・私に任せて・・・」とまさやんらの 航空会社はFinAirであったのだがすぐに搭乗手続きをしてくれた。ヒースローは英国航空のホームグラウンドのようなもの、 コンピューターですべての航空会社のデータをすぐに引っ張り出したりできるようなので、搭乗手続きもお手の物、という 感じだった。95年にも恩師とアフリカ・ジンバブエからロンドンに戻ったとき、夜通しの飛行で早朝の到着だったので、 ふかふかのタオルとシャワーを利用するよう薦めてくれたことがあった・・・もうBA最高! このような緊急の対応をすんなりやってくれるBAは偉大である。 JAL,ANAにここまでのサービスができるか?と思ったぐらいだ(関係者の方いたらすみません)。 サービスってでも予期できないときに如何に対応できるかが問われている気がする。予期できるサービスもいいんだけどさ。 でも彼女の判断のおかげでなんとか出発30分前にゲートに到着。無事に搭乗できた。ふぅ・・・。  

 FinAirの飛行機、結構な大きさの飛行機だったが、搭乗率20%ぐらいというガラガラな状態。ロンドン⇔ヘルシンキ路線は それほどでもないのか?土曜日という時間からか?でも面白かったのが、英国航空のカウンターで搭乗手続きをしたので、われわれの 席は最後部。ひとつの塊(集団になっている乗客)とはまったく別の席に配置されていた。そう一番後ろということは、添乗員 さんの控え室の前。アジア系のわれわれがしかもロンドン発で搭乗してきたのは添乗員さんらにも興味深かったらしく、 いかにも「フィンランド人です、私」という雰囲気のスチュワートさんに到ってはいつか話しかけてくるなこのヒト、、、という 感じであった。ヘルシンキとロンドンの時差が正確にわからなかったのでまさやんから先制パンチしてみた。そしたら、 彼は時間を教えてくれる前に「君たちは日本のヒト?」と・・・。なんでわかった?って思って聞いてみると、かつて日本路線 (ヘルシンキ⇔成田・関空)に搭乗していたから。。。東京にも何回か泊まったよ・・・と。日本人大好きそうなのである。 年齢はまさやんと同じか少し上。4歳の子供がいるという。客がぜんぜん居ないから暇なので、もう横に座って話し込み始めて しまう勢い。まさやんがアイスホッケーをしている、といったら、ビックリして「俺なんてヘルシンキに到着したら、 すぐに家に帰ってその後すぐホッケーの試合だよ・・・」と。フィンランドでもホッケーは国民のスポーツだった。 4歳の子供もスケートさせていると・・・。日本路線は給料が多少upする (給料がいくらか高い=長時間・激務)のでやっていたが、家族と一緒にすごす時間を大事にしたい・・と欧州路線に つい最近、配置転換を希望し配置が変わったそうだ。。。日本の物価がものすごい高い・・・フィンランドの3倍と言う。まさやんから フィンランドのNOKIAなどの話をすると喜んで自分の携帯を取り出し、これがいま最新のもの。日本製品でもここまでのものは まだ開発できないだろう!!!と自慢してくれた。嫌味のない自慢。とても楽しいひと時だった。これも食えや飲めやと 通常の倍以上のサービスをしてくれて、腹がパンクしそうになった。LAPLANDのビールが旨かった・・・いやぁ何か素敵な予感を 感じる一日だった。ヘルシンキは深々とした町。夜中に若者が飲み屋の前で並んでいる光景が目立った。店の数が需要に追いつかず 入れ替え制で営業しているという・・・すごい国だ。道行く人はみな我々をジロジロと見るのだが目が温かい。  


1月16日(金)Rieさんと再会

 パリ2日目。ロンドンもそうだが2泊ぐらいでとても町全体を回ることのできる町のサイズではない。だがそうも言っていられ ないので兎に角主要なところは抑えておこう、、、と凱旋門へ。。。が、残念ながら工事中。なんだかシャンゼリゼ通りも工事中の 凱旋門の雰囲気に併せてどこか間の抜けた雰囲気だった気がする。その後はノートルダム寺院・ ルーブル美術館 とまわった。パリの 地下鉄も乗ってみたがまぁかつての銀座線のような感じ。降りるときに自分でドアのロックを解除して出るのには驚いたが・・。 ノートルダム寺院は日本からの団体観光客がいっぱい。ガイドが日本語なので一緒になって聞いているとガイドの方(日本人)に なんか嫌な顔をされた。NYのメトロポリタンやロンドンのBritish Museumなどではガイドの話を部外者が聞いていても、むしろ その彼らはwelcomeな顔で逆に質問してきたりする。決定的に違うと思うことである。いいじゃん、別にねぇ。。。  

 夜は、まさやんの札幌の学校の海外派遣特別研究員でストラスブールに留学しているRieさんがちょうどパリに来ているというので 再会。ルーブルのガラスの ピラミッド前 で数ヶ月ぶりに会うことができた。美味しいフレンチを食しながら久しぶりに会話を(日本語で) 楽しめた。彼女のフレンチ、板についていると思った。やはり生活しているということはデカイ!!綺麗なフランス語だった。 先月NYで再会したAyakoさんといい、今回のRieさんといい、やっぱりうちの(札幌の)学生は気合入ってるし元気があっていい!!と逆に 元気をもらって宿に帰ってきたのでした。いやぁにしてもストラスブールにも行きたかったなぁ!!!Rieさん、残りの留学生活も楽しんでね・・・  


1月15日(木)EuroStar for Paris

 今朝は早く目覚めた。そう移動である。しかもパリ。でも飛行機ではない。電車である。 Eurostar  というロンドン⇔パリを3時間で結ぶ鉄道だ。最近はベルギーのブリュッセルにも行っているようである。 1時間にほぼ1本の割合。東京と大阪を結ぶ新幹線のようである。それぐらい欧州各国はお互いに近い。EUで一緒にやろう。という気持ちに なるのもわかるよね・・・。朝8時過ぎの列車。朝早いにもかかわらず満席である。 Waterloo駅の待合スペース は、銀河鉄道999に出てくる超未来型の駅に見えて、これから月にでも行くかのような雰囲気をうまく演出していて 気持ちよかった。  

 そうこうしている間にパリに到着。車内アナウンスがいつの間にかフランス語、英語の順に変わっていた。あ、もう 英語が通じない・・・どうしよう。。。Gare de Norde駅(北駅)から徒歩5分くらいの距離にホテルはあった。 立地条件は最高!という場所なのだが、 ロンドンの例もあったのであまり期待せずにチェックイン。でもそこはtotally different。部屋のサイズも浴室も、 なにもかもが似たような値段なのに違った。ヒトが快適に暮らせるようになるために、、、を優先順位の高い位置に 持ってきているカルチャーを感じた。イギリスはむしろそれを犠牲にしている。。。という見方がぴったりかも知れない。 それほど豪華な宿ではないが、とてもcomfortableな空気、環境だった。なんといってもフロントのおばちゃん。英語と フランス語が混じっているのだが、とても愛想が良い。日本人が多いのだが盗難も多いので気をつけろ・・・と温かい アドバイス。もうこれでけんさんとまさやんは一気にフランスのファンに・・・。  

 シャワーを浴び町に繰り出した。ランチをまだ取っていなかったのでとある街中のレストランに。MENUをもらったが、 全部フランス語、そう英語なんて書いていないのである。彼らのカルチャーには英語が存在しない、むしろ存在させないように していると感じた。何かわからないので50代くらいの人のよさそうなウェイトレスの女性に(英語で)たずねてみた。 するとなんとなくまさやんの言っていることは理解してくれているようなのだが、彼女はフランス語で説明してくれた。 なんとなくまさやんもけんさんも(30%ぐらいか?)理解できたので、まぁ試しに。。ということで一番最初に聞いた ものをオーダーした。出てきたものはなんとハムやオリーブ、チーズなどの乗ったプレート、しかもデカイ。パンとワインを 追加して頼み食してみた。旨い!こんな美味しいもの普通に食べているのか?しかも値段が安い!それだけで気持ちがなんだか 明るくなってしまった。ウェイトレスのおばさんも我々の表情を確認したのか笑顔で水を入れにきてくれたりして 幸せな気分になれた。最後に会計をしたとき、目的地のポンピドーセンターの場所を知りたくて聞くと、彼女は店でどうも 一番英語のできる奴がいるから彼女を連れてくる・・・といっていったんおくに。出てきた少し若めの女性。まさやんの英語を 聞いて必死になって英語を話してくれるのだが、Go straightだけ英語でほとんどフランス語だった。 ホテルのフロントのおばちゃんの方がまだ英語に近かった。でもとても親切で気持ちが良かった。おそらくけんさんと入ったこの 店、観光客なんて来ない店なんだと思った。周りはみな地元のフランス人ばかり、常連客でにぎわっている店だった。日本でも おなじような状況を考えたらそうだよね。ホテルは外国人がいっぱい泊まるからフロントに毎日座っていれば英語も耳に入る。 でも店は観光客相手でなければ関係ない。フランスが好きになった。

ポンピドーセンター  を見た感想。まさやんが大学に入学したばかりのころ、パリに突然現れたビルで話題になっていたのを思い出す。 実際に見てやはりびっくりさせられる建物だ。周りの建物との調和は0%である。 レンゾ・ピアノさん(世界的に有名な建築家・関西国際空港の設計も手がける)、 やっちゃいましたね?あなた?って感じのビルだった。フランスに、しかも街中に作ったから世界的に有名になれたんだな。。。と思った。建築単体で見ると だからなに?って感じのビル。世の中の評価ってわからないね。でもいろいろな評価のされ方がある、ということか?  

1月14日(水)Tate Meuseumの仕掛け

 やはり一睡もしないでイサカを出てきたのは間違いで爆睡明けで迎えたロンドン2日目。やはり曇り時々雨だった。 けんさん、かなりブルー。彼女いわく「イギリス人がブルーになのは、この天気と町の雰囲気だから・・・」と 分析していた。レンガ造りの建物が多いロンドン町並みは、もう産業革命の頃からのものか?という建物も数多く 残っている感じである。外壁のレンガは黒く煤けて、どの家々にも煙突がある(今はほとんど使っていない)。 昔は暖房や給湯で石炭や木を燃やしていたのだろう。ロンドンの町が煤で大変になっていた、、、という歴史を 思い出さずにはいられなかった。

 今日は朝からけんさんとバス券(一日乗り放題1.5ポンド)を買い、 キングスクロス駅、大英博物館(ランチ)、ロンドン大学、とビッグベン(国会議事堂)を回った。これまで ロンドンではバスを使ったことがなかったので今回購入した券はなかなか使えると思った。街中をバス、特に 2階建てバスに乗って回るのは景色を眺めながらの観光もできるので最高である。地下鉄だと当然真っ暗だから。 あと値段がバスの方がお買い得である。地下鉄にも一日周遊券があるが、これは7ポンドぐらいだったか(きちんと 調べてください)かなり高いのである。もともと英国ポンド自体が高いので頭にきていたのだが・・・ なんでEuroじゃないのよ?とも思うわけである。そのへんもイギリスらしいといえばイギリスらしいところなんだろうが。  

 Big Benを後にして一番まさやんが行きたかった Tate Modern Meuseum  に足を運んだ。テムズ川の対岸にある美術館で昔はロンドンの 半分ほどの需要を満たしていた発電所だった建物である。それをTate財団が買い取り、美術館として再生させた、という 建築的にも一見の価値がある建物である。もともと発電所のあった建物なので、アクセスが悪く当然バス路線からも 見事に外れていたので、タクシーで現地に(ロンドンのタクシーのドライバーとてもマナーが良いです)。着いた美術館、 なかなかの傑作でした。かつて発電所としてタービンを設置していた大空間を見事なまでに 光の造形・演出によって来場者を迎えてくれる仕掛けになっていました。言葉では説明できない・・・ 百聞は 一見  にしかず。いや写真の一見だけでは駄目です。ロンドンに行ったらぜひ行ってみてください。  

1月13日(火)ロンドンとの再会

3年ぶりに訪れたロンドン。もう3度も来ている町なだけあってヒースロー空港に着いたときは、久しぶりに再会 できた友人のような感覚を得た。独特の雰囲気のある空港。まさやんは結構好きな空港である。シカゴよりも大きい 空港。NYのJFKと同じくらいの世界の玄関といった空港である。まさやんにとって、今から8年前の1995年にこの地 に着いたのが海外初。思い出のある町である。けんさんは前からロンドンは見てみたい・・・と言っていたので、 横でワクワクしているのがよくわかる。  

さっそく空港からUnderground(地下鉄)で街中に。まだ早朝だったので兎に角、荷物だけでも宿泊予定のホテルに 預けておこうとまずホテルにむかった。パディントンという国鉄の駅もある繁華街の駅前にあるホテルだった。 フロントで交渉すると、、出ましたQueen's English!!男のヒトなのに妙に高い声。けんさんは、もしかして「これ?」 かも?と例のポーズ。まさやんも多少納得して部屋に。。。もうそれだけで大英帝国に きたんだな、と思った・・・彼も彼でまさやんの英語がアメリカ訛りになっていると気づいたらしくかなり強調して 「英語」を使ってくれた気がする。やはりこの時にAlanの英語は「英語」だと思った。  

部屋に入ると、もうそこは中世のいや産業革命時代の労働者階級の部屋。あまりの狭さでさすがにゲンナリした。 特にイサカから来たわれわれにとっては究極に狭くまた息苦しく感じた・・・これにはさすがに閉口という言葉が ぴったり。宿にはあまり居ないようにしよう・・・と早速街中へ、ただロンドンの地下鉄、東京もそうだがわかりにくい。 しかもさすがTubeと言われているだけあって穴という穴が全部 まるい のだ。 NYみたいに番号とかアルファベットで書いてくれるといいのだが、そういうカルチャーはUKには存在しない、、ということか 似たような名前のラインもあって困惑する。乗り換えをしそこねてしまい、テニスの全英で有名なウィンブルドンに行ってしまった。 でも間違えてもたのしかった。 地下鉄といっても郊外を走っているときは地上を走るので景色を眺めることができて楽しい。機関車トーマスの世界のようだ。 そしてロンドンを象徴するかのような天気、そう曇っていて雨が降るか降らないか?みたいなドンヨリ空であった。  

1月12日(月)イサカ発

いざ、出発。というか最近書いている原稿が終わらず結局ほとんど寝ることができない状態で出発。ロンドン行きの 飛行機で寝ればいいやぁ、と思っていたのが間違いだった。シラキュースまで行く道(車)で眠くて眠くて、久しぶりに (というか洒落にならないが)居眠り運転を少ししてしまった。もう横でけんさんプリプリ。当然である。しかも朝から 雪でスタッドレスを前輪につけているというものの、カーブで後ろが振れるので怖くて仕方なかった。ようようシラキュース 到着。もう早く飛行機に乗って一眠りしたい・・・  

けんさん見事に搭乗ゲートの手荷物検査で引っかかる・・・だってワインオープナー持ってきているんだもん! 当たり前じゃん!!もう?頼むよ・・・って感じ。俺、これからテロするから・・・って言っているようなもんだよ。 幸いシラキュースの空港は田舎の空港で、また我々の風貌を見てどう見ても怪しくないと検査官も思ったのか、苦笑い しながら対応してくれた。無事に出発。2時間弱で シカゴ に到着。町にも繰り出してみたかったが微妙な長さの待ち時間で 空港にとどまることにした。でもなかなか綺麗な空港だった。というかデカすぎ。ロンドン行きのUA機に乗り換え。一気に 翌朝に突入。